NORIYOs NOTE

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仙台市北部にある「葛岡リサイクルセンター」

ここでは、不要になった衣類や家具等を無料で引き取り
必要な人に抽選で譲っていだけるありがたい場所。

先日、学習机だけを集めての募集があった。
来年小学生になる娘にと思い覗きに行ってみた。

30近い数の学習机がずらっと並び、どれもきれいにメンテナンスされてピカピカ。

その中でもひときわピンクが可愛らしい机があった。
娘も一目惚れして「絶対コレコレコレ!!!」

受付のおじさんに聞くと、
「この机は86人申し込んでるね~人気だから厳しいよ」と駄目出しの一言。

頑固な娘が他の机に折れるはずもなく、
駄目もとで申し込んでみた。

記憶から無くなりかけてた3週間後、奇跡の当選通知が我が家に届く。

大喜びで飛び跳ね、家中を駆け回りながら、
まったく無関心な兄ちゃん姉ちゃんにも当選通知を見せびらかしていた。

やっとの思いで家に運び、さっそく自分流に机を飾り始める。
教科書の代わりに折り紙やメモ帳、ぬいぐるみをセッティング。


あとはランドセルか…ピンクがいいって言ってたなぁ。

初売り恒例の、大型スーパーで開催する千本引きで
割増商品券を当ててから買おうとたくらんでいる、ちゃっかりしっかりな母である。





乾燥した落葉をパリパリと踏みながら進むのが何ともいい。

まだ乾燥しきってない葉はしんなりしていて、音が鈍いからイマイチ。

節電で苦しんだ夏がうそのように毎日涼しくて、
出しっぱなしの扇風機を見ると何だか寒くさえ感じる。

日本は四季があって喜怒哀楽の感情のように表情が豊かだ。
無表情ではつまらない。

これからやってくる冬に向けてどんな表情を見せてくれるのか楽しみ楽しみ。







昔何かで聞いた話をふと思い出した。
「七転び八起き」にはこんな意味も含まれているという話。

人生が80年だとすると、7回位は何らかの難しい時期に差し掛かる。転びながらも自分なりに乗り越えると、次の段階に進んで起き上がっていけるという。


10代…小学校高学年~ 学校での問題や家庭内での騒動、反抗期

20代…二十歳前後 卒業、進学、就職、結婚などの大人になるための壁

30代…親の援助から離れ自立して一人前の大人になっているか試される

40代…男性は課長以上の中間管理職になれるかという関門。
    女性は体の変調、更年期障害

50代…人生に少しずつ“秋風”がふく。
    白髪も出だし、流行の服の前を素通りするようになるが、
    人生もう少し燃焼しなければならない、もう一頑張りがいる厳しい時期。

60代…周りの人が自分に合わせて調整してくれている頃。
    風格が出て尊敬されているように見えるが、主観と客観のずれに注意が必要        

70代…自慢話や愚痴が多くなる。自己を客観的に観察することが難しくなってきて、
    周りは言っても変わらないので諦めている面もある。

80代…普通でいるだけで褒められる。歩く・食べる・読める・聞こえる。
    体のあちこちに修理が必要な状態になる。


私自身も、ここまで生きてきていくつか壁があったなーと思う。決して平坦な道ではなかった。

でも苦労した分、人の痛みが分かるようになってよかったと思う。
これからは優しいオーラの出た素敵なおばあちゃんを目指し、日々前を向いていたいと思う。


休日、イオンへ買い物に行った時のこと。
6歳の娘が自分の財布を持って店へはいり、ゲームコーナーでぐるぐる回って遊んでいた。

ひとしきり遊んで家路についた時、
「あ、あたしの財布がない…」

よ~く思い出すと、ボーリングゲームのところに財布を置いたとこまで思い出したので、
電話で問い合わせてみる。

サービスカウンターに電話がまわり、細かく聞かれる。
 落とした場所、時間、財布の形…。

わかる範囲で伝えたら、1点似たようなのが届いてるとのこと。
それでも決め手になるような何かを聞かれると、娘の財布についてよく覚えていない母。

娘に電話をかわり、詳しく説明してもらう。

「ピカチュウのストラップがついててー、ラーメン屋さんでもらったキラキラのハートがついています。ピンクのやつの…あとは…キティちゃんの腕がもげたのがついてて…顔が少し汚れてて…」

こんな感じで、自分の財布を取り戻そうと必死に説明した。

この説明で思いが届き、翌日サービスカウンターで財布とご対面。

お金の確認をしてくださいと言われて確かめると、ちゃんと全財産の24円が入っていた。

夕食の買い物をして自宅へ戻ると、留守電1件。
「イオン○○店です。先ほどお渡しした財布がぬいぐるみと一緒にまた届いております。」

「な、何でまた落とすかなぁ…」(-_-;)

こんなところは母そっくりである。



中学校の授業参観の帰り足で末娘を保育所に迎えに行った。
突然、「ねぇママ~、車輪なしで乗れるようになりたいから帰ったらすぐ車輪はずして~!!!」

「車輪って自転車のうしろについてる2つのタイヤのこと?」

「そうそう、それ。○○ちゃんはもう乗れるんだって!!!」


さっそく補助輪をはずし、練習開始。
結果から先に言うと、現時点ではまだ乗れていない。

片足でペダルをおもいっきりこいで、勢いをつけてから、反対の足を乗せればいいのだが、
最初っから両足を乗せてしまう。

バランスを崩してひざから血が出ても、手のひらにマメができても、
必死で前へ進もうとしていた。
小さな心の中で、思うように進まない自分との葛藤が続く…。

1時間たって、少し体で感覚をつかんできたところだったが、
残念ながら太陽が山の向こうに沈んでしまった。

翌朝、母の体は中腰でずっとサドルを持っていたおかげで、首から背中が
声なき悲鳴をあげていた。
保育所でのわかれ際、「今日も練習するからよろしく!!!」
とやる気満々の娘に、ちょっと背中と顔が引きつった母であった。




気温もぐっと下がり、季節の変わり目でカゼが流行中。

わざわざ流行に乗らなくてもいいのに、母を除いて我が家も皆ダウン…。
今回のカゼは「鼻」と「のど」にくるようだ。
市販のカゼ薬で何とか乗り切ろうと思ったが、そうもいかない感じ。

症状の軽い者から学校やら会社に向かっているが、声がかすれて痛々しい。
他の人に移さないようにしっかりマスクしないと。

母親は気を張っているうちは何とかなるもので、ウイルスも気を使って寄ってこないようだ。
みんなが復活した頃に流行に乗り遅れた感じでカゼをひくのかもしれない。

その時は皆で協力してよね。







上から目線…という言葉はよく聞くが、はたして下から目線とは。
この場合は「子供目線」という意味で使ってみたい。

台所で食器をせっせと洗い、山のような食器がやっと片付く。
ふきんで流しの水けをふき取り、見たところ一応すっきりきれいになった。

そこへ、「ママ~裏のほう汚れてるよー。」
と姑のような鋭いツッコミが飛んできた。

「どこらへん?」

「下らへんずーっと。」
身長120㎝から台所を見上げると、それはそれは恐ろしい光景が広がっていた…。
蛇口の下、シンクの底、開き戸の底面、調味料置き場の下…。

どれも165㎝からでは見えないとこばかり。
台所をしゃがんで見てみるとこんな風景だったんだ…(>_<)

「下から覗いてもピカになるようにママ磨くから一緒に磨こう!」と誘うと、
急に耳が聞こえなくなり、そそくさと絵本を読みだす。

じゃあ今度の三連休に掃除するか。


こうして、この日はとりあえず保留となった。




「オレ、欲しいおもちゃあるんだけど…やっぱりDSのソフトにしようか迷ってるんだー」と息子。

「お母さんは買えないよ。お父さん買ってあげるって言ってたの?」

「いや…お小遣いもらったら買ってあげるって言ってたような言ってないような…。」

「サンタさんに頼みなよ!!あと3か月だし。」
母はばっさり会話を終わらせる。

「あ~あ。お母さんも指輪とかほしいなぁ。キラキラしたダイヤがついてるやつー。」

「じゃあオレおもちゃあきらめるよ。何ピカラットがいいの?100?10000?」

「ピカラット…?!ぷっ(^u^)」

否定はしなかったが、思わず笑みがこぼれた。
大きくなったらバイトして買ってよね。




介護の仕事でお邪魔すると、まずご挨拶から始まり、体調を確認し
日常での出来事を伺う。

思わず会話が弾んで、ケア時間の半分以上を話に使ってしまう事もしばしば。
慌てて掃除を始める。

話が弾むというよりも、聞き手に徹して楽しい時間をすごしていただくために。

年を重ねると、先の楽しみも無くなり、お葬式やお墓の事を心配したり、
残された夫(妻)の面倒をどうするか悩んだり、
自由がきかなくなってきた体にストレスと絶望を感じたりと、
マイナスの悩みは尽きず、夜に安定剤や睡眠剤を服用している方も多い。

外出するのは病院だけ。
先生に痛みを訴えると薬が増え、症状ををうまく理解してもらえず
何時間も待たされて、逆に疲れて帰ってくる。

自宅の窓から外を眺めると、はつらつと歩くお年寄り。
「わたしよりも年行ってるのに、あんなに元気に歩いていいねぇ…。」
と、ぽつりとつぶやく。

在宅介護を利用している方というのは、そういう現実と日々向き合っているのだ。

ヘルパーとして掃除も大事。でも心のケアはもっと大事だと思っている。
介護士は病気を治してあげられないけれど、
今こうして自宅で暮らせる喜び、季節を肌で感じられる幸せを共に感じながら

「話す」ということで、とびっきりの笑顔を引き出してあげられたらいいなと私は思う。


9月1日は防災の日。
一年前のちょうど今日、こんな事をダイアリーに書いていた。
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2010年9月1日 
3年前に一度だけ準備したはずのボストンバックを引っぱり出し
恐る恐る開けてみる……。
何となく避難用として家に置いてあったボストンバックの中には
今となっては必要のない紙パンツ。
2まわり以上も小さいこども達の服。
なぜか1まわり小さくなって着れなくなってしまった夫の肌着。

入れたはずのカップラーメンとカロリーメイトはどこを探してもなく、
期限切れの水とサバ缶がひとつだけ。
これではいざという時に何の役にも立たない。
今日は月の初めで缶詰もお安く購入できるから、
まとめ買いして備えようと心に誓うのであった。
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食料の備えも、服の入れ替えも万全でないまま、あの3月11日を迎えてしまった。

あの日
倒れたタンスの中から服を引っ張り出し、ボストンバックへ詰め、
倒れた冷蔵庫から食べられそうな食料をかき集めて袋に押し込んだ。

あと、保険証と母子手帳と財布と…。
頭の中が混乱して何から手をつけていいのかわからなくなる。


最初のうちは銀行も機能してなかったので入口に行員が立って紙に書いて出金の手続きをしていた。
食料を買おうとしても、お店が開いてない。
やっと開いても、早朝から4時間並んでも、希望の商品はすぐなくなってしまう。

パン、牛乳、卵を口に出来たのは、震災後何日たった時だったろう。

やっぱり日ごろの備えは大事である。