2011年3月12日(土)夜も明けだした朝5時半過ぎ、玄関ポストにはもう新聞が届いていた。一時帰宅をしてきた夫と共に、倒れたテレビ、食器棚、冷蔵庫、下駄箱を順に起き上がらせていった。靴を履いたまま自宅の中を歩くのは何だか抵抗があったが、歩くたびに「ミシミシ、バリバリ」と音がするので仕方がない。ほどなくして夫はまた会社に向かってしまった。午前中いっぱいかけて子供達は子供部屋を片付け、母は居間を何度もホウキで掃いて危険物を取り除いた。やっと部屋らしくなった頃、もう昼をとっくに過ぎていた。近くに住む両親が開いている店を探して、お菓子・ジュース・果物を買ってきてくれた。私達がお腹を空かせているだろうと、携帯用のガスコンロでチャーハンを作り、芋を焼き温かいうちに持ってきたのだ。「実家の中もめちゃめちゃだというのに・・・」とてもありがたかった。会社に戻ると、社長が豚汁の差し入れを持ってきてくれた。さらに寒いだろうと寝袋や毛布までも。心遣いが、ただただありがたく、でも自分にはお礼しか言えなかった。小学校で配給してるという事を聞き、4人で行ってみると、校門の周りは給水をしに来た車で渋滞していた。配給はおにぎり2人で1つと、クラッカー。ありがたくいただき、会社へ戻る。途中立ち寄ったコンビニでは、店頭販売をしていた。食料はなく、マスク、雑巾、栄養ドリンクが売っていた。日が落ち、ロウソクに火をともす。余震に敏感になりながらも、6時半には三人とも眠りについた。今日は作業台の下に布団を敷き、下の兄妹2人が眠った。少しでも睡眠をとらないと体力が持たないと感じ、母も強制的に目を閉じて体を休めた。