大河ドラマ「天地人」直江兼続
▼お船(せん)の方
弘治3年(1557)〜寛永14年(1637)
与板城主・直江景綱の娘。長尾信綱を直江家の婿に迎えるが天正9年(1582)死去。その後、樋口与六(後の兼続)が直江家に婿に入り、一男二女をもうける。
お船の方は内助の功に徹した聡明な女性で、四辻大納言公遠の姫(景勝の側室)が生んだ玉丸(後の定勝)の母かわりとなり養育する。
兼続の死後は後室と呼ばれ、定勝の政治に裏から尽力。女性としては異例の禄三千石を与えられる。兼続の遺志であった『文選』の刊行を手がけ、寛永14年(1637)1月4日、81歳で死去。墓は米沢市林泉寺にある。
2009.07.24:大河ドラマ「天地人」山形県推進協議会
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