大河ドラマ「天地人」直江兼続
▼前田慶次(まえだけいじ)
生年不詳〜慶長17年(1612)
武勇に優れた武将でもあり、和漢古今の文学にも通じた風流人。派手な姿、振る舞いを好む傾奇者としても有名。
加賀の前田利家の義理の甥であり、実母が利家の長兄・利久に再嫁したため、その養子になったと言われている。本来は前田家を継ぐ身であったが、織田信長が利家を跡継ぎとするよう命じたため、父とともに浪人となった。のちに能登の大名となっていた利家に仕えた。
利久が死去すると利家との折り合いが悪くなり、前田家を出奔。京都で様々な文化人と交流し、なかでも文武両道に秀でた直江兼続と親交を結んでいた。
上杉景勝が会津120万石に加増移封されると、上杉家に1千石で仕官した。慶長5年(1600)の慶長出羽合戦では、兼続に従い出陣。長谷堂城からの撤退戦では殿軍(しんがり)を務め、追撃する最上軍相手に奮戦し、上杉軍を見事に撤退させた。
戦後、数多の仕官の話を断り、上杉家に残った。米沢近郊の堂森の地に「無苦庵」という庵を結び、悠々自適な晩年を過ごしたといわれる。
2008.07.10:大河ドラマ「天地人」山形県推進協議会
⇒HOME
(C)大河ドラマ「天地人」山形県推進協議会
powered by samidare