普通を疑え

慣例とか常識とか普通とかを、
疑ってかかるその目を決して無くしてほしくはないので、
なるべく頑張って向き合いたいとは思っているのだが。

子供の「なぜ?」に向き合えば向き合うほど、
いかに自分がそういうものに洗脳されて、
数多の事柄をスルーしてきたかを痛感させられる。

世界はこんなにも
「あれ?そう言えば何でだっけ?」で溢れていたんだな。

娘よ、俺にも分からん。

共にググろう。
2019.02.21:NAO:[メモ・雑感]