日々の想い

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随分、お休みしてしまいました…

お恥ずかしながら、色々な事が 頭を悩ませ、浮き沈みの激しい日々を過ごしておりました。

考えても悩んでも、どうする事も出来ない、解決法などない問題の為に、ずっと ずっと 暗い気持ちになっていたように思います。

今も、何も変わってはいないのですが、少しだけ、気分が落ち着いてきたので。。。

今日は、久しぶりに外に出て、人と話し、繋がることが出来ました。
おかげで、少しだけ、気持ちが軽くなりました。

気がつけば、あんなにたくさんの雪も、すっかり無くなり、春なんですね‥

娘達は、おかげさまで、元気に新学期を迎え、毎日 楽しそうに学校へ通っています。
長女は、無事に入社式も済ませ、新社会人として頑張っています。

娘達のたくましい笑顔だけが、私の心の支えです。

春になり、今年こそは、私自身も前に一歩踏み出そうと思います。

また、明日から あまり変わり映えのない毎日ですが、色々と綴っていきたいと思います。



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久しぶりの更新になります。

PCも久々に開きました。


どうした事か、ここ2週間ほど、何もする気になれず、気分的にも落ちたまま…

震災から一年という事で、テレビは特番ばかり。。
極力、見ないようにと思っていても、目に耳に入ってきます。

明日で一年。

一年の節目を迎えたら、何かが変わるのでしょうか?





昨日は、浪江町の自宅へ3回目の一時帰宅で帰ってきました。
震災から一年が経つのに、家に戻れたのは、 3回。。。


土曜日に雪も降ったので、お天気やら道路状況やら心配でしたが、何とか無事に帰ることが出来ました。

3回目の一時帰宅…
中継地点での説明や帰宅する為の段取りも、いい加減に感じる位、簡単なものでした。

浪江町も珍しく 雪景色でした。

自宅に帰るまでに通る道路も補修されておらず、所々 穴があいていたり、段差になっていたり。。

やっと自宅へ…

鍵を開ける時に、何とも懐かしい感じ。。
家の中に入り、前回持ち出せなかった書類などをまとめて、家の状態を見てまわりました。

不安は的中…

余震のせいか、前回の一時帰宅よりも、家が傾いていて 明らかに3月11日の時より家の損傷はひどい状態でした。

今までの2回の一時帰宅は、持ち出すものを探して袋に詰めて、散乱している部屋の中 それだけで時間がいっぱいで、必死でしたが、今回は、持ち出す物も少なく ゆっくり家の中を見る時間がありました。
その分、考える時間もあるわけで…

今までにない絶望感でした。
『もう、この家には住めない』

改めて、いま、自分がどんな立場に立っているのか思い知らされた感じがしました。

あの原発事故が無ければ、3月11日の地震で半壊状態だった家でも、すぐに補修し、家の中を片付け きっと一年経った今頃は、少しは前に進んでいたはず。。。
なのに、帰ることも許されず、家のどこが壊れているのかも確認できず、一年間 窓を締め切りほったらかしにされたままの我が家。。
今は亡き 大工だった父が建てた愛する我が家。。

このまま、何もせずに置いておけば、きっと近い将来、潰れてしまうのは、目に見えます。
かと言って、自宅に置いたままの荷物を全て持ち出す事は、とうてい出来ません。
今回も 本当は、持ち出しておきたい物が沢山ありましたが、今の借り上げ住宅は、家族6人が寝起きするだけで精一杯の広さ…もう何も荷物は、置く余裕がありません。

このままだと、家が潰れてしまう事が分かっていても、どうする事もできないもどかしさ。。

次はいつ帰れるのか。。また、鍵をかけて我が家をあとにしました。
滞在時間は、2時間30分…

今回は、時間が少しあったので、浪江町の請戸地区、津波の被害のあった沿岸部も回ってきました。
あの日、11日に停電になり携帯も使えず 自分の住んでいる町が、津波で流された事さえ分からずにいました。
どうしても、自分の目で確かめたかった。
あんなに慣れ親しんだ請戸の海は、私の知っている請戸ではありませんでした。
何もかもなくなってしまった。。

辛すぎる現実を 覚悟はしていたけど、どう受け止めたら良いのか分かりません。

浪江町内も走りました。全てがあの日のまま…
本当に、時間が止まったままでした。

かなりの数の牛も見かけました。
犬や猫、ペットは保護されている中、あの牛や豚はあのままなのでしょうか?

動物には 何の罪もないのに…


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今日は、女川町の実家跡地に行ってきました。

11カ月が経ち、瓦礫は片付けられ、電信柱が建てられ、地震直後のあの姿からは、だいぶ印象が違いますが、それでも、『復興』という言葉には、程遠い現状のように感じました。

被災地の時間は、ゆっくり、ゆっくり、ゆっくりと流れているんだなと思いました。

でも、浪江町のように時間が止まっている訳ではなく、復興に向けて、みんな力を合わせて前に進んでいる…
それは、大きな違いだと 感じました。



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この時期になると、娘達がそわそわと忙しそうにキッチンで何やら作りはじめます。

そう!バレンタインチョコです(*^o^*)

好きな男の子だけじゃなく、友チョコを沢山作っています。

娘達があぁでもない、こうでもないとキャッキャ言いながら、チョコ作りをしている光景は、微笑ましいものです。

私は、おすそ分けを期待しながら、見学です(≧∇≦)

娘が四人もいると、作るモノも様々で 楽しみです♪




私の母が、福島市にある仮設住宅に入居しました。

今まで、仙台の兄のお宅で避難生活を送っていました。

仙台の兄夫婦には、本当に良くしてもらっていたのですが、やはり、高齢で今まで何十年も住んでいた家を離れ、お茶飲み友達にも会えなくなり、突然 兄夫婦以外には知り合いのいない街へ避難し、色々と精神的に参ってしまったようです。

そんな時に、仮設住宅にいる浪江町のお友達に誘われ、遊びに行ったところ、まだ、同じ仮設住宅が空いていると聞き、思い切って入居を決めたそうです。

高齢なので、ひとりで仮設住宅に行く事について、家族で心配しましたが、誰も知り合いのいない街で、何もする事がなく 寂しい思いをするなら、同じ思いを抱えて避難生活を送っている浪江町民の方々が近くにいて話し相手になってくれた方が、生活に張りがでるんじゃないかと…

福島市なら、兄のいる仙台市にもバスで行き来できるし、私たちの住む山形市にも近いし‥
仮設住宅と私たち子供の家を行ったり来たりして、今後もみんなで支え合っていこうと思います。

仙台にいる時は、眠れなくなり、睡眠薬を処方してもらっていたのですが、今は、薬なしでも眠れるようになったそうです。
ひとりで仮設住宅で寂しい思いをしてるんじゃないかと心配になり、電話も今まで以上にしましたが、近くにお友達がいるので、楽しくやっているようです。

安心しました。

私の母だけじゃなく、今まで住んでいた家や町を奪われ、慣れない土地で避難生活を強いられ、ツラい思いをしている高齢者の方々は、たくさんいます。

私の母は、生きているうちに、浪江町の家やお墓など、今後どうなってしまうのか、見届けられるのか…そんな心配ばかりをしています。


たくさんの人々が苦しんでいることを国や東電には、しっかりと受け止めて、誠実に対応して欲しいです。

こんな個々の小さな声じゃ届かないのかな…でも、その小さな声も百、千、万とまとまれば、必ず国をも動かす事ができるはず!

信じて、負ける訳にはいきません。





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