日々の想い

日々の想い
ログイン


今日は、福島市に行ってきました。

長女が震災前に通っていた高校の顧問の先生の呼びかけで、吹奏楽部の仲間が集まり、お食事会が開かれました。

9か月ぶりに懐かしい仲間達に会えて、娘の表情も浪江にいた頃の笑顔になっていました。

みんな、それぞれ避難していて、散り散りになってしまった吹奏楽部…
今は、吹奏楽部としても存続していません。
本来なら、部長として、夏の大会に出場し、卒業式も今まで通っていた高校の生徒として、卒業できたはずなのに。。

やはり、娘達の未来を壊されたという事実だけは、心から許せない!
いまだに、悔しくて、悔しくて…

そんな、やるせない気持ちで自宅に帰ると、

報道ステーションSP

で、浪江町が放送されていました。

SPEEDIの情報を伏せられ、私達浪江町民は、放射性物質が飛散する場所へと避難をし、しなくてもよい被ばくをしました。
番組内でも出ていましたが、
『白い防護服の人』
確かに、私も避難した津島で見かけました。
あの時は、深く考えもしませんでしたが、今 思うと、津島の線量が高い事を知っていたからこそ、防護服だったんだと。。

後から、出てくる情報。。。
実はあの時…

本当に、いい加減にしてほしい!

悔しくても、誰にぶつければ良いの?

今後、娘達の体調に異変がある度に、普通なら考えなくても良いはずの

【被ばく】

という言葉が頭をよぎる事になるだろう…
何かある度に、不安になり、でも、具体的な解決法もないまま、生きていかなくちゃいけないのか。。



2011.12.29:nakamurake:count(1,027):[メモ/コンテンツ]
copyright nakamurake
powered by samidare
久々の…
仲間に会えて楽しかったかな?

今は、悲しい現状ではあるけれど
ママさん宅の娘ちゃんにとって
今回集まった仲間は
困難を共に乗り越え
悔しさ悲しさを分かち合った
大切な生涯の仲間になるはずですね


思い返せば
数限りなく悲しく悔しい事があった一年

SPEEDIの運用や避難・警戒区域設定に関しては…

事故当初から
原発反対派から

円を画く線引きは無意味である事

早急な
気象条件を考えてのホットスポット割り出しと現地での測定
が叫ばれていました
また、除線についても

事故発生から日にちをおかず早い段階で実行されていれば

土壌ならばヒョウメン(文字化け)の薄い範囲の除去
建物ならば水での洗浄でも
かなり効果がみられたはずです

日が経てば経つほど
汚染は草木の成長や雨風によって地中深く、また遠方に範囲を広げ侵蝕し
より除線が困難になる事は
私のような一介の主婦でもよそく(文字化け)が出来ました

私達より専門知識があり、はるかに賢く、実行出来る権力がある人達が何故やらなかったのか…

そして…そのツケを
何故、罪なき子供達が背負わなければならないのか…

哀しくなります

それでもやっぱり

子供達には明るく逞しく、笑顔を絶さず、朗らかに日々を送ってほしいですね!
2011.12.29:麦チョコ:修正削除
やり切れません。。。

本当に、

「あの時、こうしていれば・・・」

「情報を公開してくれていれば・・・」

考えても、キリがないけど、やはり考えてしまいます。

わが身だけなら、納得のしようもあるけど、子供たちのこととなれば、話は違います。

考えれば考えるほど、やり切れない気持ちで、押し潰されそうになります。

前を向いて明るくいこうと頑張れば、その反面、後ろ向きな自分が顔を出す。。

毎日、そんな戦いを繰り返しながら、何とか踏ん張ってます。

2011.12.30:nakamurake:修正削除
▼コメントはこちら

名前

件名

本文

URL

画像

編集/削除用パスワード
※半角英数字4文字で自由に入力下さい。


手動入力確認イメージ
※イメージ内の文字を小文字の半角英字で入力して下さい。



 ※ 投稿後、すぐに反映されます。
powered by samidare