山形でクラス被災者日記
▼☆浪江町へ…一時帰宅☆
昨日は、浪江町の自宅へ3回目の一時帰宅で帰ってきました。
震災から一年が経つのに、家に戻れたのは、 3回。。。
土曜日に雪も降ったので、お天気やら道路状況やら心配でしたが、何とか無事に帰ることが出来ました。
3回目の一時帰宅…
中継地点での説明や帰宅する為の段取りも、いい加減に感じる位、簡単なものでした。
浪江町も珍しく 雪景色でした。
自宅に帰るまでに通る道路も補修されておらず、所々 穴があいていたり、段差になっていたり。。
やっと自宅へ…
鍵を開ける時に、何とも懐かしい感じ。。
家の中に入り、前回持ち出せなかった書類などをまとめて、家の状態を見てまわりました。
不安は的中…
余震のせいか、前回の一時帰宅よりも、家が傾いていて 明らかに3月11日の時より家の損傷はひどい状態でした。
今までの2回の一時帰宅は、持ち出すものを探して袋に詰めて、散乱している部屋の中 それだけで時間がいっぱいで、必死でしたが、今回は、持ち出す物も少なく ゆっくり家の中を見る時間がありました。
その分、考える時間もあるわけで…
今までにない絶望感でした。
『もう、この家には住めない』
改めて、いま、自分がどんな立場に立っているのか思い知らされた感じがしました。
あの原発事故が無ければ、3月11日の地震で半壊状態だった家でも、すぐに補修し、家の中を片付け きっと一年経った今頃は、少しは前に進んでいたはず。。。
なのに、帰ることも許されず、家のどこが壊れているのかも確認できず、一年間 窓を締め切りほったらかしにされたままの我が家。。
今は亡き 大工だった父が建てた愛する我が家。。
このまま、何もせずに置いておけば、きっと近い将来、潰れてしまうのは、目に見えます。
かと言って、自宅に置いたままの荷物を全て持ち出す事は、とうてい出来ません。
今回も 本当は、持ち出しておきたい物が沢山ありましたが、今の借り上げ住宅は、家族6人が寝起きするだけで精一杯の広さ…もう何も荷物は、置く余裕がありません。
このままだと、家が潰れてしまう事が分かっていても、どうする事もできないもどかしさ。。
次はいつ帰れるのか。。また、鍵をかけて我が家をあとにしました。
滞在時間は、2時間30分…
今回は、時間が少しあったので、浪江町の請戸地区、津波の被害のあった沿岸部も回ってきました。
あの日、11日に停電になり携帯も使えず 自分の住んでいる町が、津波で流された事さえ分からずにいました。
どうしても、自分の目で確かめたかった。
あんなに慣れ親しんだ請戸の海は、私の知っている請戸ではありませんでした。
何もかもなくなってしまった。。
辛すぎる現実を 覚悟はしていたけど、どう受け止めたら良いのか分かりません。
浪江町内も走りました。全てがあの日のまま…
本当に、時間が止まったままでした。
かなりの数の牛も見かけました。
犬や猫、ペットは保護されている中、あの牛や豚はあのままなのでしょうか?
動物には 何の罪もないのに…
画像 (小 中 大)
2012.02.27:nakamurake
[2012.02.28]
お帰りなさい (麦チョコ)
[2012.02.28]
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