山形でクラス被災者日記

▼☆9か月ぶり…☆


今日は、福島市に行ってきました。

長女が震災前に通っていた高校の顧問の先生の呼びかけで、吹奏楽部の仲間が集まり、お食事会が開かれました。

9か月ぶりに懐かしい仲間達に会えて、娘の表情も浪江にいた頃の笑顔になっていました。

みんな、それぞれ避難していて、散り散りになってしまった吹奏楽部…
今は、吹奏楽部としても存続していません。
本来なら、部長として、夏の大会に出場し、卒業式も今まで通っていた高校の生徒として、卒業できたはずなのに。。

やはり、娘達の未来を壊されたという事実だけは、心から許せない!
いまだに、悔しくて、悔しくて…

そんな、やるせない気持ちで自宅に帰ると、

報道ステーションSP

で、浪江町が放送されていました。

SPEEDIの情報を伏せられ、私達浪江町民は、放射性物質が飛散する場所へと避難をし、しなくてもよい被ばくをしました。
番組内でも出ていましたが、
『白い防護服の人』
確かに、私も避難した津島で見かけました。
あの時は、深く考えもしませんでしたが、今 思うと、津島の線量が高い事を知っていたからこそ、防護服だったんだと。。

後から、出てくる情報。。。
実はあの時…

本当に、いい加減にしてほしい!

悔しくても、誰にぶつければ良いの?

今後、娘達の体調に異変がある度に、普通なら考えなくても良いはずの

【被ばく】

という言葉が頭をよぎる事になるだろう…
何かある度に、不安になり、でも、具体的な解決法もないまま、生きていかなくちゃいけないのか。。



2011.12.29:nakamurake
[2011.12.30]
やり切れません。。。 (nakamurake)
[2011.12.29]
久々の… (麦チョコ)

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