山形でクラス被災者日記

▼☆あれから…☆PART2

こんばんは★

昨日、今日と 突然の雷雨には、ビックリしました(◎o◎)
まだまだ、山形の空模様を読むには、時間がかかりそうです。。。

さて、昨日の続きを綴ってみたいと思います。

3月12日(土)

am 6:00頃


昨日の地震から一夜が明け、慣れない車泊に、余震が続き不安な中、ほとんど眠る事が出来ずに、朝を迎えました。

家から、数分のところに、中学校があり、避難指定場所になっているために、中学校の校庭に車を停めて、車泊しました。中学校の体育館は、同じように避難してきた人達でいっぱいでした。

『今日中に、一部屋だけでも、片付けて、今夜は家で寝れるようにしなくちゃ』
そう思いながら、とりあえず、家に戻ってみました。

昨日の地震で、家は少し傾いたのか、玄関の戸は、ちゃんと閉まらず、鍵もかけずに、避難したので、玄関は、開いたままです。家の中は、ガラスの破片だらけで、危ないので、靴にスリッパを履くような形で、恐る恐る家の中に、入って、とりあえず、子供達にと台所から、食べられそうなものを 引っ張り出し 家から出ました。

車に戻る途中、何となく振り返り、家を見ると 二階のベランダの部分が前に出て、家が少し傾いていました。
『どうしよう… 大工さんを呼んで、見てもらわなくちゃ』
そんな事を考えながら歩いていると、近所の人が、
『何やってるんだ!早く、逃げるぞ!』
叫んできました。

何のことだか、すぐには、理解出来ずに、ポカンとしてると、原発が危ないから、放射能から逃げるように指示が出たと聞きました。
そう言えば、昨夜、車の中で、町内放送で、「原発から3q圏内に避難指示が出た」と聞いたような…
今度は、10q圏内に避難指示が出たらしく、私たちが住んでいた場所は、原発から8qの距離にあたります。
なにしろ、こんな時に限って、車のガソリンを入れてなくて、赤ランプでしたので、昨夜も、極力エンジンを切り、ラジオも聴けず、携帯電話は、地震直後から、さっぱりつながらずに、何の情報も入ってきませんでした。
とにかく、逃げなくちゃと思い、車まで、焦って戻り、避難するように指示された場所までは、結構距離があるので、「まずは、ガソリンを入れなくちゃ」とパニック気味で、近くのガソリンスタンドへ向かいました。
同じような車が列を作り、スタンドの従業員が来るのを20分程待ちましたが、一向に来る気配がない中、避難場所である【津島】へ向かう車の行列を見て、どんどん焦ってきて、ガソリンをあきらめ、その車の行列の中へと入りました。車の行列は、なかなか進まず、いつ、ガス欠で車が止まってしまうんだろうと、パニックも極限状態でした。いつもなら、30分程で行ける距離もこの日は、2時間かかりました。
何かイベントでもあるのかなと思えるくらいに、普段、あまり人がいない場所が、浪江町内から避難してきた人達でごった返していました。
何とか、ガス欠にならずに、【津島】に着くことが出来ました。ホッとしたのは、束の間で、次は、車を停める場所がなく右往左往しました。【津島】の中でも、避難場所に指定されたのは、5ヶ所程ありましたが、全ていっぱいになっていました。何とか、ある施設内に入る事が出来、おにぎりと温かい汁物を頂きました。
とりあえず、配られた毛布を敷き、私達家族の場所を確保しました。

この後、あの恐ろしい爆発が 起こります。その時の様子は、また、後ほど…

続く→


2011.07.12:nakamurake

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