山形でクラス被災者日記

▼☆あれから…☆ PART1

早いもので、あの震災から、4ヶ月が経ちました。

気持ちの整理をつける為にも、あの日を振り返りたいと思います。

3月11日(金)

pm 2:46頃

この日、主人は、青森出張中の為 不在でした。
長女は、高校が二期の受験の為に休校で、家にいました。
二女と三女は、小学校に… 四女は、幼稚園から、帰ってきたばかりでした。

長女の携帯電話の地震速報が流れ、長女が焦って、「大きい地震がくるよ!」と大きな声で叫びました。私は、二階の部屋にいたのです。
数日前にも、宮城県で地震があったので、あまり気にも止めず、今思うと、どうしてそんな事が言えたのか… 「大丈夫だよ」と返していました。その直後、ガタガタと揺れ始めたと思ったら、今まで経験した事が無い大きな揺れに、家の柱が『ミシミシッ』と音を立てていました。二階だから、揺れが大きいのかなと思った矢先に、部屋中の家具が全て倒れ、物が散乱していました。一階にいるはずの、長女と四女を思い、『危ない!!』 すぐに下に駆け降りようとしても、いつも以上にずっと揺れていて、柱にしがみつくのがやっとでした。壁と床にしがみつきながら、必死に一階へ降りてみると、階段のすぐ下で玄関のスペースに、長女が四女を抱きかかえて、しゃがみ込んでいました。すぐに、二人に覆い被さるように抱きつきました。バラバラと上から何か降ってきたので、見てみると、階段の天井から吊されていたシャンデリア風の電灯が揺れて壁にぶつかり、割れて降ってきたのでした。通常では、壁にぶつかる程、揺れるなんて考えられない事です。
揺れがおさまったかと思いきや、ますます揺れ始めて、家がミシミシ音を立て、築30年以上たつ古い家なので、このままだと、家の中の方が危ないと思い、玄関から逃げようとしたら、170pの高い靴箱が倒れ、玄関をふさいでいました。
無我夢中で 靴箱を立て直して、娘達と外に逃げました。

家の前には、砂利が敷いてあり、その上に、車がとめてあったのですが、地震の揺れで、とめてある無人の車が、ズズッズズッと動いていました。 外は、まだ3月…冷たい風も強く、とにかく、車の中へ娘二人を入れました。娘達は、裸足でした。
寒いので、まだ、余震で揺れ続けている家の中へ、娘達の靴とジャンパーを取りに入りました。
娘達がいた茶の間は、大きな茶ダンスが倒れ、食器も粉々に割れていました。
もし、今日 長女が休みじゃなかったら…
四女は、この茶ダンスの下敷きになっていたかもしれません。考えるだけで、ゾッとしました。


出かけていた母も ちょうど、帰って来ていたので、娘達を預け、心配でたまらなかった小学生二人を、学校へ迎えに行きました。
学校までの道のりは、今まで見慣れていた道とは、別のものでした。アスファルトがひび割れて、段差になっていたり、ブロック塀が倒れて道路がふさがっていたり、道路沿いの家がつぶれて、ペシャンコになっていたり… 目を覆いたくなる光景ばかりでした。

小学校に着くと、寒空の下、全校生徒が校庭に出て、避難していました。二女と三女を見つけ、無事を確認した時は、心の底からホッとしました。娘達を連れ、家に帰ろうとした時に、また、大きく揺れ始めました。あんなに頑丈な校舎の壁と下のアスファルトとの間が揺れる度に、真っ黒い穴が見えて、すごく、不気味でした。

何とか、母と娘達と一緒になり、夜は、停電で家の中が、真っ暗で、足の踏み場も無い為に入れないので、ぐちゃぐちゃの家から、何とか毛布を取り出し、車の中で、不安な一夜を過ごしたのでした。


次に続く→

2011.07.11:nakamurake

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