天正最上の乱

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画像は虚空蔵山館と頂上からの風景です。

 

天正最上の乱は、天正2年(1574)に起きた最上氏の内乱で、最上義守と嫡男の最上義光の争いです。

天正2年、義守が娘の夫である伊達輝宗に援軍を求め、義守・伊達勢と義光の間で戦いが行われました。

 

天正最上の乱について、当地に関する箇所を東置賜郡史より紹介します。

 

輝宗は舅義守の為めに兵を出し、天正二年二月末より八月迄、新宿※1・楢下等に於て戦ひ、互いに勝敗あった。新宿・楢下は当時駅伝を置かれて国道であった。中山道※2は間道であった。

最上義光の将上山満兼が、北条郷川樋を夜盗した。此時目々澤丹後、同肥前守が討死した。(中略)

新宿、高畠の人夫を以て新宿坂(按ずるに小湯より小岩澤に越ゆる山道ならん)の手入れをなし進軍の準備をした。

 

引用:東置賜郡史

なお、一部旧漢字を新字体に変更しています。

 

※1 高畠町二井宿のこと。

※2 現国道13号 川樋から元中山間は湿地帯のため、日影道が利用されていました。

2021.01.07:nakagawako:[◇中川地区の歴史]

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