「直江兼続VS最上義光」〜決戦!出羽の関ヶ原・慶長出羽合戦

直江兼続(なおえかねつぐ) 最上義光(もがみよしあき)
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上杉主力軍が真っ先に襲ったのは白鷹丘陵中の孤城、畑谷城である。城主江口光清ら300余の最上勢は、死力を尽くして戦ったが、衆寡適せず全員城を枕に討死、9月13日、畑谷城は落城する。

勢いに乗った上杉軍は、山形城南西7キロメートルの長谷堂攻略に向かう。

兼続は、14日に菅沢山に本陣を置く。ここを中心に西部山麓一帯は、上杉の陣地となり、一部上杉軍は谷柏方面にも布陣した。長谷堂城を包囲し、合わせて山形・上山との連絡を断つ作戦である。

「畑谷城」周辺のムービーはこちら
慶長出羽合戦
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