「直江兼続VS最上義光」〜決戦!出羽の関ヶ原・慶長出羽合戦

直江兼続(なおえかねつぐ) 最上義光(もがみよしあき)
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地理不案内の上杉勢に対し、最上勢は地の利を得ている。

長谷堂勢200余人が、突如上杉陣に夜討ちをかけて首150を取った、攻め寄せる敵軍を近くまで引き寄せ、山上から鉄砲を乱射して大損害を与えた、などと書いた古記録もある。

9月29日には「朴の木屋敷」の戦闘で、上杉軍一方の将、新影流の達人上泉主水(もんど)泰綱を討ち取るという大戦果をあげたりもした。

もちろん、最上方にも多くの戦死者が出た。村木沢の加藤掃部(かもん)、山辺町要害の佐藤理兵衛などは、長谷堂合戦に出陣し、華々しく活躍して討死を遂げたと伝えられている。
慶長出羽合戦
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