「直江兼続VS最上義光」〜決戦!出羽の関ヶ原・慶長出羽合戦

直江兼続(なおえかねつぐ) 最上義光(もがみよしあき)
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最上義光の妹で、伊達政宗の母親である保春院(義姫、お東の方)の警護役として仕えた武将加藤掃部左衛門清次を祀った塚。

清次は親友江口光清が畑谷城で上杉軍に討たれたことに憤激し、長谷堂の戦いに参戦しました。

長谷堂城の北方約1kmのところで戦死。



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長谷堂の山城の近くにある主水塚と呼ばれる供養碑。
このあたり一帯は、古くは「朴ノ木屋敷」と呼ばれ、長谷堂合戦の時に最激戦が展開された地です。

米沢より侵攻してきた直江軍と、それを迎え撃つために長谷堂城より出撃した志村勢が死闘をくりひろげ、不世出の剣豪と称された直江の武将上泉主水泰綱が壮絶な討死を遂げたところです。
合戦後、村人たちが主水をはじめ両軍の戦死者約200余人を主水塚と名付けて、連綿と供養を続けてきた跡です。

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長谷堂城主志村伊豆守光安の牌所となった寺院です。

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長谷堂城主志村伊豆守光安が使った飲み水と言い伝えられる泉。

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長谷堂合戦の戦死者を弔う供養碑です。
ここの地で、敵も味方も一同に供養されたとされています。

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最上三十三観音の十二番目の礼所。
長谷堂城の守護仏として大事にされていました。

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慶長出羽合戦
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