「直江兼続VS最上義光」〜決戦!出羽の関ヶ原・慶長出羽合戦

直江兼続(なおえかねつぐ) 最上義光(もがみよしあき)
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慶長5年(1600年)の秋9月。

上杉景勝の命をうけた米沢城主直江山城守兼続は、2万といわれる大軍で、山形城へ攻め寄せました。
その主力は直江が指揮する精鋭部隊で、旧暦の9月13日に畑谷城を落とし勢いに乗った直江軍の物見役は、早くも菅沢山に入っていました。

時は十三夜、驚いた村の衆は餅を喰わずに逃げたので、「十三夜の餅は早く喰え」と今でも伝えられています。

翌14日には、総大将直江兼続が到着して、本陣を構えて半月。長谷堂城主志村伊豆守勢と史上に残る激しい戦いを繰り返しましたが、頑強な長谷堂城と勇敢な長谷堂勢の抵抗で城を落とすことができず、遂に関ヶ原の西軍敗報を受けて、10月1日深い朝霧の中を全軍引き上げました。

(本沢振興協議会・本沢郷土研究会より)

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菅沢山より長谷堂の城山を望む
菅沢山より長谷堂の城山を望む風景です。
2008.06.22::修正削除
慶長出羽合戦
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