大河ドラマ「天地人」直江兼続vs最上義光〜決戦!出羽の関ヶ原

▼歴史の跡が数多く残された平山城

山の斜面には、幾段もの曲輪(くるわ)が設けられています。
二の丸は東西310メートル、南北510メートルほどで、城山の梺の家々も含まれています。

町の西〜北は一重、東側は二重の水濠をめぐらし、南は本沢川が自然の堀となっていました。城山の長谷堂観音、八幡神社、阿弥陀堂なども、昔は城内にありました。

[画像][画像]切り岸(壁)と帯曲輪(平地)が繰り返されてできている平山城。[画像]壁を駆け登ってくる敵兵が滑りやすいように、切り岸にはシャガという草生い茂っています。[画像]当時水場のあったあたり。戦さに水はなくてはならないものでした。[画像]城山の周りには内町と八幡町があり、当時の城下町の名残りを今に伝えています。

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●2008.06.22
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