美術館大学構想

メモ
特別講義『Nishi Masaaki 1946-2005』
日時:2006年6月29日[木]17:30-19:00
場所:本館410講義室/全科学生・一般対象/入場無料

今週木曜日(6/29)に彫刻家・西雅秋(にし・まさあき)氏が来学。日本を代表する現代彫刻家の一人として活動し続けた25年間の軌跡を語ります。
これまで広島市現代美術館(98')や神奈川県立近代美術館(05')で大規模な個展を開催している西氏。本学では今年秋に山形の地に取材した滞在制作をおこない、その成果を7階ギャラリーと本館前の池周辺で発表する予定です。今回の特別講義はそのプレイベントとして美術館大学構想室が企画しました。
埼玉県飯能の自然豊かな山間にスタジオを構える西氏は、主に金属鋳造の溶解、凝固、酸化の過程に、物質と時間、人間と自然との根源的な関係性を探る彫刻作品を制作し続けています。その身体的リアリティーに裏打ちされた実践と思考は、山形の地でアートとデザインに取り組む私たちに、深い内省を促すことでしょう。
文化財保存や美術史系の学生にもお勧め。多くの方の聴講をお待ちしています。

美術館大学構想室学芸員/宮本武典

*9月-10月頃に予定されている、西氏の制作活動に参画したい方(学生・一般問わず)は、美術館大学構想室023-627-2043までご一報ください。

■写真:『Eden』1999年/宮本武典(武蔵野美術大学大学院修了制作)
液晶プロジェクター映像、曲げ木椅子、髪の毛、ガラス etc.
武蔵野美術大学美術資料図書館写真スタジオでのインスタレーション風景

---------------------------------------------------------------------------

卒業修了制作展のコーディネートを、美術館大学構想室が担当することになりました。そして今、芸工大ではこの「卒展」のあり方について議論が巻き起こっています。

これまで東北芸術工科大学では、卒展会場をキャンパス内だけでなく、山形美術館(日本画/洋画/工芸/彫刻/写真の展示)や、市内の映画館『ミューズ』(映像)に分散させて開催してきました。それを、今年度からキャンパス会場で一本化するという改革を、松本学長が提案されたのです。
大学内のギャラリーや劇場を活用するだけでなく、学内の一部のアトリエやラボも展示空間にリノベーションして、「制作の現場」を「公開・交流の場」に改造していく。それは、借り物の「箱」に収めるのではなく、制作現場の熱気を感じながら、その成果を来場者に見ていただこうというものです。
もちろん、提案の背景には、定員増による従来の卒展展示スペースの不足や、会場の分散化による鑑賞導線の困難さなど、様々な現実的な要因があるのですが、一番大きなコンセプトは、卒展を東北から発信するアートとデザインの「展覧会」として、メッセージ性のある、魅力あるものにしたいという思いです。

昨年夏、松本哲男学長はベネチア・ビエンナーレの視察に出られました。
ベネチアでは「アルセナーレ」と呼ばれる赤煉瓦の造船所群が展示会場として利用されていました。過ぎ去った大航海時代の記憶を留める古びた空間に、新しいアートが、新しい世界からのメッセージを運んできていました。
僕も同行しましたが、公園内に林立する各国のパピリオンを、炎天下をものともせず、誰よりも熱心に見て回っていたのが松本学長でしたね。(ただし、ビール片手に)海の上に浮かぶ小さな都市・ベニスに、点在するアート・パピリオンを巡りあるく行為は、あたかも世界とリンクする自らの「声」を聞いて回る、内省の旅のように感じられたものでした。
山形の僕は、「新しい卒展」担当者の一人として、様々な立場の、様々な視点からのヒヤリングに奔走している毎日を送っていますが、松本哲男学長をはじめ、執行部の先生方の、新しい卒展創造にかける意欲は、確実に大学を活性化していると感じています。サポートする僕たち大学スタッフは「卒展とは何か? 」の根本を問う一連の試行錯誤の果てを、クオリティーの高い展覧会として結晶させねばなりません。

今年もオフィスで迎える朝が多くなりそうです。

***

上の写真は宮本自身の懐かしの作品『Eden』の会場風景です。
大学院の修了制作として発表したこのインスタレーションも、キャンパス内のデットスペースを活用した展示でした。
民族研究室でアルバイトしていた僕は、民具の倉庫として使われていた美術資料図書館内の写真スタジオを作業中に偶然「発見」し、現状復帰とスタジオ内の整理清掃を条件に、展示空間として使わせてもらったのでした。ほとんどの学生たちが足を踏み入れたことのない、大昔のスタジオ器材の墓場のようなこの部屋は、見方によってはハードなコンクリート壁と完全暗転が、映像のプレゼンテーションには最適でした。
友人たちに手伝ってもらいながら、1週間かけて山のような民具を移動し、十数年分の分厚い埃を拭き清め、重たい撮影機材を整理しました。それから油絵学科のモチーフ室に交渉して、モデルポーズ用にコレクションされていたヨーロッパ製の古い曲げ木椅子を大量に運び込み、仮設の劇場をスタジオ内に組み上げました。照明機材はスタジオのものをそのまま流用し、ダンサーやミュージシャン、映像作家に協力してもらってパフォーマンスを映像と組み合わせたインスタレーションとしました。
展示施設として「発見/発掘」された地下墳墓のようなこの「忘れられたスタジオ」は、今では後輩たちの重要な展示会場として卒展やその他の企画展会場に運用されているようです。

美術館大学構想室/宮本武典


■写真上:ギャラリートーク風景/12メートルをこえる大作『イグアス(ブラジル)』の前で
■写真下:ギャラリートーク風景/図書館内に展示された『三春滝桜』の前で
-----------------------------------------------------------------------------------------
松本哲男展終了

建学以来、初の京都造形芸術大学への巡回展となった『松本哲男展-鼓動する大地-』が、先月20日に無事終了しました。(※詳細はHPアーカイヴで)
松本先生の学長就任にあわせての開催だったこともあり、地元山形の関心は高く、新聞、雑誌、テレビに大きく取り上げられ、2週間の会期で5千人を超える方々に来館いただきました。
「滝」「桜」「初期の代表作」など、異なるテーマ設定の展示会場を、学内3カ所のギャラリーに分散させての展観でしたが、来館者の方々がリーフレットを片手にキャンパス内を行き交う様子は、『美術館大学』の一つの基本モデルを示すことができたと考えています。山形会場では先にご紹介した展覧会カタログも完売しました。
松本学長が今回の展示に込められた思いは、6月号の『月刊ギャラリー』(http://g-station.co.jp/HTML/mgallery/index.html)に大きく紹介されています。ぜひご一読ください。編集者の大木さんは山形の会場まできてくださり、丁寧な取材をしていただきました。

京都展オープニングでは、ソウル在住のサックス奏者・姜泰煥氏による即興演奏『駆け上がる水』が、巨大な滝の絵画作品に囲まれたギャラリーでおこなわれました。描かれた滝に「純粋な精神の作用を感じた」と語った姜氏による腹の底から泉が無限に沸き出してくるような循環呼吸奏法に、約300人の観客が聞き浸りました。
その後のプログラムでは、宗教学者で京都造形芸術大学教授の鎌田東二氏と松本学長のトークもおこなわれ、「滝」をめぐる自然と人間の身体的・精神的な交感が、ユーモアを交えながら語られました。
京都展では、学生中心に2千人の方々に見ていただきました。

美術館大学構想室/宮本武典



【上写真】『ナイアガラ(アメリカ)』設置風景
横幅6メートルの作品を、昌和デザインのスタッフと、日本画コースの学生で設置しているところです。総作品面長が55メートルをこえる本展では、展示スタッフの作業は毎日、深夜まで及びました。
院展の重鎮・松本哲男先生の作品展ならば、本来は美術輸送・展示のプロの業者に委託するところですが、今回は日本画コース生たちの研修も兼ねて、学内スタッフによる設営となりました。
彼らにとっては尊敬する恩師の作品。展示に携われるという喜びと、万が一傷でもつけたら、という緊張のくり返して、疲労困憊した3日間だったようです。


【下写真】『イグアス(ブラジル)』設置風景
東北芸術工科大学ギャラリーには12メートルの作品をかけられる壁面がないため、額をすべて取り払って作品自体を自立させるという荒っぽい展示方法になってしまいました。
写真は『イグアス』パネルを左端から90度に立てながら、順々につないでいっているところ。
またギャラリー中央には大きな吹き抜けがあり、「ロ」の字を描く廻廊型の空間であるため、各作品に微妙なアールをつけて、観客の歩行導線を滝の水の渡りに沿って緩やかに巡回させました。
松本先生には「こんなに絵を素っ裸にされちまったことは、これまでなかったなぁ」と苦笑いされてしまいましたが、日本画の屏風の伝統をモダンにアレンジした、斬新な「滝めぐり」の景観になったと思います。

『松本哲男展 鼓動する大地』のカタログを紹介します。
デザイナーの豊田あいかさんによるカタログは、ベーシックな文字組の中に、効果的な特色使いや、折り込みを見やすくする工夫が随所に見られ、学長就任記念に相応しい品格のある佇まいに仕上がりました。
4段の折り込みによる『ヴィクトリアフォールズ(ジンバブエ)』の図版は、これまで掲載されたどの雑誌やカタログよりも、この作品の静かな迫力を再現していると自負しています。おかげで、私の拙いテキストもカバーされました、、、。
また、巻頭には松本哲男学長と、徳山詳直理事長、赤坂憲雄大学院長の鼎談を掲載し、画家・教育者・民俗学者の語らいを、東北芸術工科大学の新しい出発を示す本展の導入としました。
20日までの会期中、一部1,000円で販売しています。

■上写真:第1回打ち合わせ風景
左から、デザイナーの豊田あいかさん、松本先生、昌和デザインの小野社長、jazz & nowの寺内久さん、私

■下写真:作品集荷時のひとコマ
左から、日本画コースの番場三雄先生、私(後頭部のみ)、松本先生の奥様、松本先生、博士課程の高橋さん、谷善徳先生

infomationのコーナーでもお知らせしている通り、現在本学では松本哲男教授の学長就任を記念した展覧会『松本哲男展 鼓動する大地』を開催中です。
年度末の人事決定を受けて一気に立ち上がった本展。
ちょうど年度末のアニュアルレポート編集と、個人的には先にお伝えした3カ所同時開催の個展と重なって、まさに寝る間も惜しんで、骨身を削っての準備となりました。
とはいえ、松本先生とは昨年夏のヴェネツィア・ウ゛ィエンナーレ視察旅行でご一緒して以来、気心がしれていたこともあり、この若輩者に最大限の協力をいただき、また展示関係者の心強いサポートあって、右往左往しつつも、何とか無事オープンとなりました。
ここでは、この展覧会に関わってくださった方々を紹介させてもらいます。

***

まず【上写真】の風景ですが、展覧会が決まってすぐに、「とにかく実際の作品を見ましょう」ということで、関係者そろい踏みでアトリエにお邪魔したときのスナップです。

豊田あいかさんは昨年まで『BT美術手帖』のエディトリアルデザインに関わっていたフリーのグラフィックデザイナー。本展のフライヤー、ポスター、カタログのデザインを手がけてくれました。私とは武蔵野美術大学での同期で、夫君も親しい友人で彫刻家です。

昌和デザインの小野社長は、展覧会の会場施工をいつもサポートしてくれている業者さん。今回は、横幅12メートルの作品を直角に自立させ、なおかつ弧を描くように設置するという難しい要求をクリアしていただくために、事前に作品の構造確認をお願いしました。

寺内久さんは、インプロビゼーション(即興演奏)のコンサートをコーディネートしている方。以前、原美術館のギャラリーで寺内さんが企画された、ポロックやロスコなどのアメリカ抽象表現主義の絵画に囲まれての演奏会のインパクトが忘れられず、音楽企画・立案をお願いしました。寺内さんのコーディネートにより、4月28日(土)の夕方、京都造形芸術大学での巡回展初日に、韓国のサックス奏者Kang Tae Huanを招いての絵と音楽のコラボレーションが実現します。

***

続いて【下写真】は、山形展のための作品をアトリエから運び出している時のひとコマです。1971年作の『ヴォルヴドュール』は、松本先生が結婚された年に描いた作品。
それなのに院展を落選してしまって、新婚早々落ち込んだというエピソードを奥様を一緒に苦笑いしながら披露されているところです。
仲の良い松本夫妻は並んで立ってぴったり収まる感じです。
奥様は日頃から松本先生の作品やポジフィルムの出入りを管理されていて、カタログ制作時には大変お世話になりました。
また、この日は芸工大の日本画研究室の方々が応援に駆けつけてくださり、倉庫から作品を出して梱包を解き、痛んでいる箇所には修復を施して再梱包・積み込みと、3時間程の作業に力を貸していただきました。

2005年度の美術館大学構想事業を冊子にまとめて出版しました。
デザインは本学卒業生の小板橋さん(アカオニデザイン)に依頼し、ベージュの地に白く『TUAD AS MUSEUM』の文字が浮かび上がる装幀で、雪深い山形の印象が反映されたシャープな仕上がりになっています。
昨年10月に開催したシンポジウム『ことばの柱をたてる-美術館大学ことはじめ-』の採録は特に必読。
酒井忠康氏(美術評論家/世田谷美術館長)、芳賀徹氏(文学者/京都造形芸術大学長)、藤森照信氏(建築家・建築史家/東京大学教授)による鼎談はユーモア満載、知的好奇心をくすぐられる内容で、編集の過程で何度も吹き出してしまいました。
3氏が東北文化の読み解き方や、美術館の裏側について語りに語った3時間を、延べ30ページにわたって完全採録しています。

その他にも、『宮本隆司写真展-箱の時間-』関連イベントとして開催したシンポジウムや、『珍しいキノコ舞踊団』レジテンスをサポートした学生によるルポ、民俗学者で本学大学院長の赤坂憲雄氏とアーティスト富田俊明氏の対談などを掲載しています。

現在開催中の『松本哲男展 鼓動する大地』会場で販売中です。

写真上:富田俊明ワークショップ「『二重体』、『泉の話』を読む」
写真下:舞踏+ポエトリーリーディングの会/森繁哉×富田俊明

先月開催された富田俊明さんによる上記2つのイベントについて、工芸コース3年の竹田佳代さんと、洋画研究生で美術館大学構想室スタッフの後藤拓朗君がレポートにまとめてくれました。

読んでみると、彼らにとって、深い内省と対話の契機となっていたことが分かります。

この企画、その閉ざされた濃密さ故に、立ち会えた人たちは決して多くなかったですので、彼らのレポートからその場の雰囲気を読み取ってもらえたら幸いです。

「アーカイブ」中、富田展ページの2ページ目に掲載しています。

宮本武典(美術館大学構想室学芸員)


いつも図書館の机に陣取り、エスキース帳に、くしゃくしゃの文字やらドローイングを書きなぐっていた高木君の卒業制作は、池に張った氷の上、ずぶ濡れになりながら詠むポエトリー・リーディングだった。

途切れ途切れのドラムス、聞き取れない叫び声(「僕は 彼女の 赤ん坊に なりたかった・・・」)押しだまる聴衆、重たい灰色の空。

誰かに訴える為ではなく、叫びは、自分自身にこそ叫ばれるべき時がある。
今回、彼が「叫ぶため」に求めたシチュエーションは、芸術の名のもと以外に、この狡猾で、ややっこしい世界にはあまり用意されていないだろう。

長い詩の、真剣な朗読が続く間、僕は聴衆の背後をウロウロ歩き回ってばかりいて、落ち着いて聴く事ができなかった。
人々に踏みしだかれぐちゃぐちゃになった雪に足を取られながら、僕は、
「地下水道をいま通りき暗き水のなかにまぎれて叫ぶ種子あり」
という寺山修司の短歌を反芻していた。

宮本武典(美術館大学構想室学芸員)

※このブログに「図書館」がよく出てくるのは僕のデスクが貸し出しカウンター奥にあるためです。あしからず。

いつも図書館から借りていく本のセンスが秀逸だった阿部君の、これが指で描いた油絵。
重ねても重ねても濁らない色彩からは、盲目的に色彩と戯れるドローイング・ハイの高揚と、慎重にタッチを律する理論性が混在し、高い完成度に達している。
やったぜ。

阿部君は、絵画の経験を相対化する為に、普段から様々なジャンルから的確な要素を選びとれる人だった。
何よりも、それが決定的に強い。
例えば、去年の秋に開催した『珍しいキノコ舞踊団』のレジテンスでも、すべての公開練習、公演に立ちあって、ダンサーたちの動きから、絵画制作のヒントを見つけようとしていた。

けれども、そのタッチの集積が向かうフォルムについては、あくまで保留のまま。絵画の恐ろしいところは「迷い」がそのまま定着して、絵としては「完成」してしまうことだ。
自分自身の皮膚のように、日常生活に貼り付いた(時々は切ったら血が滴る)阿部君の「塗り」は、これからの彼の人生に纏わりつくのだろう。

ライフ・ワークの誕生ということ。

宮本武典(美術館大学構想室学芸員)

『いつかみたー秋田平野を想うー』
千田郁代(工芸コース陶芸専攻)

道路端が寝雪がゆるんだ気がしたのもつかの間、再び雪と寒風吹き荒む今週から、2005年度の卒業制作展がはじまりました。
大学構内に加え、山形美術館、悠創の丘と3会場にわたり、学生たちがここ山形での生活で出した「答え」が展示されています。

それにしても、真白い雪に覆われた風景の中での卒業制作展というのは、緊張と、後悔と、疲労と、安堵に充ちた(歓喜はないですよね?)このイベントに、なんだか抗し難いある種の「切なさ」を補強している感じがするのは僕だけでしょうか?
卒業生のみなさん、きっと一生忘れる事はできませんよ。

さて、千田さんのダンス。

若い人たちの懸命な、身体を張った表現を直視すべきとき、僕はしばしば「強い観者」と「弱い観者」という言葉について考えてしまいます。
たいてい僕は逃げ出してしまうのですが、これは照れくさいというより、彼らのストレートな投げ出しを、肯定してしまうことに「恐さ」を感じるのです。
とても僕には引き受けることはできないし、その資格もない。

けれども千田さんのダンスは(そんな僕なんかより)雪の身を切るような冷たさと、彼女の背後で白くかすんだ山々に、確かに祝福され、肯定されているようでした。
彼女が山形で学んだ事が、しっかりこの地の「風景」になっていると感じましたよ。

宮本武典(美術館大学構想室学芸員)

写真:『Roots and Route/1999-2004』宮本武典
2005年2月、INAX GALLERY2での展示風景
アクリルにマウントしたカラープリント、鏡、木製の棚/サイズ可変

-----------------------------------------------------------------------------------------                                        

私事ですが、個展のご案内です。
先に紹介した「松明堂ギャラリー」を中心に、国分寺周辺で着実な活動を続ける若いギャラリストと連携して、新作を含むここ2、3年の作品を再構成する機会を得ました。


■『宮本武典展 vol.1 -fig-』
会場:switch-point
会期:2006年3月2日[木]〜3月14日[火]
〒185-0012東京都国分寺市本町 4-12-4 1F tel + fax 042-321-8956
http://www.swich-point.com info@switch-point.com
開廊時間:12時〜19時(但し最終日は17時まで)水曜日休業


■『宮本武典展 vol.2 -愛の風景-』
会場:松明堂ギャラリー
会期:2006年3月2日[木]〜3月14日[火]
〒187-0024東京都小平市たかの台44-9 松明堂書店地下
tel:042-341-1455 fax:042-341-9634 http://shomeido.jp/gallery
開廊時間:11時〜19時(但し、イベントによっては開廊時間を変更する場合があります)


■『宮本武典展 vol.3 -Paris, winter, 2004-』
会場: cafe.bar.gallery.Roof
会期:2006年3月2月[木]〜19日[日]
〒187-0012東京都国分寺市本町3-12-12 tel:042-323-7762
http://www.roofhp.com roof@sunny.ocn.ne.jp
開店時間:12時〜24時 毎週水曜日定休(水曜日が祝日・祝前日の場合は営業)

*gallery tour + opening party:
2月4日[土]16:30-21:00(松明堂ギャラリーからスタート)
作家による作品解説とともに3つの会場を巡り、その後、国分寺のギャラリー・カフェ「Roof」でささやかなオープニングパーティーを開催いたします。


「展評」といっても、まだ見ていない展覧会なのですがご紹介を。

本学卒業生の佐藤妙子さんの個展が、東京都小平市は武蔵野美術大学の近く、のんびりとした東京郊外にある画廊『松明堂ギャラリー』で開催されます。

***
新作家たち2006『佐藤妙子展「Life - traveling」』

会場:松明堂ギャラリー
〒187-0024 東京都小平市たかの台44-9  松明堂書店地下
PHONE.042(341)1455 FAX.042(341)9634
会期:2006年2月17日(金)〜2月26日(日)11:00〜19:00開廊時間
アクセス:西武国分寺線「鷹の台」駅前(JR中央線「国分寺」または西武新宿線「東村山」乗り換)
***

松明堂さんは、ムサビ生だけでなく、津田塾大や白梅短大など、多くの学生が利用する「鷹の台駅」の眼の前にある、一見して庶民的な書店です。

しかし、松本清張の息子さんが経営されているということもあり、書架をよく見ると渋いセレクションの文学書、哲学書、美術書が並び、地下には黒大理石を敷き詰めた無骨なギャラリースペースを有しています。

書店の運営するスペースだけあって、望月通陽さんや司修さんなど、挿絵や装幀を手がける人気作家を中心に紹介しています。
また、長倉洋海さんや関野吉晴さんなどドキュメンタリー写真の方が、出版記念展を開催したり、また、暗黒舞踏の公演、民族楽器によるコンサートをおこなうなど、地域の文化活動の拠点となっているんですね。
松明堂ギャラリーがもしなかったら小平市の芸術文化レベルは低いものだったでしょう。

僕も学生の頃から随分通って、コンクリートの壁面に展示されている、工芸的で、少しばかりアングラな香りのする作品に、かなり影響を受けています。
2000年には「模型世界」と題した僕自身の個展も、開催させてもらいました。
十年来のご縁があって、今回の佐藤妙子さんによる版画展は、松明堂ギャラリー若手支援企画展「新作家たち」シリーズに、僕が紹介する形で実現しました。

佐藤さんの作品は、芸工大本館2階北側に常設展示されています(コレクションINDEXにもデータ有)その黒々とした描画のずば抜けた密度は、きっとあの独特の地下空間で際立つことでしょう。
東京駅からオレンジ色の中央線に揺られ、約1時間。
皆さん、東京に行かれる際は、ぜひ覗いてください。

ちなみに松明堂から線路伝いに20メートルほど歩いたところにある古びたカフェ「シントン」も僕ら美大生の溜まり場でした。
竹中直人の映画のロケ地になったりして、これまた渋いスポットです。
茶色い壁紙に染み付いている三角の跡は、僕が学生時代に大きな銅板を貼付ける展示をして、つけてしまったものです。

「街が人を育てる」というフレーズがありますが、学外にこんな文化スポットがあると、地域社会が成熟していきますね。
芸術を介することの魅力は、いろいろな世代が集まれること。
そして「松明堂」の本も、「シントン」コーヒーも、若者も老人もしみじみ楽しめるものです。

芸工大の周辺にも、そんな場所ができないかな。

このブログをはじめるにあたり、担当者としてまずは正直な気持ちを。
ここで、ここから、様々なジェネレーション、性、社会的立場、アートに対する認識のレベルなど、当然ながらまったく別個で未知、かつ不特性多数の対象に対して「書く」ことに戸惑いを感じています。

ブログや掲示板に氾濫する「語り」の、首筋にマトワリツクような粘っこいテンションに違和感を感じ、ネットの世界からいかに遠く、「時代の感性」なる代物からズレて生きていくかを思案し続けてきた僕です。

ですから、サイバー上の仮想広場で、今この瞬間、僕は誰に向かって語っているのかを考えると、かなり気後れしてしまうのです。
それは畏るべき父かもしれない、喧嘩中の愛妻かもしれない、ツナギ姿の学生かもしれない、カウンターに佇む司書・佐藤さんかもしれない、宇部でクリーニンング屋を継いでいる絵筆を捨てたかつての親友、かもしれないのですよ。

近代以降の芸術が、写真の発明により再現性の意味を変換し、見る事のできない心象の描写へと、具現化の対象を移行させたのにしたがって、「さて、とう分かりあえるか?」との問いは、すでにアートの大前提として、真白いキャンバスの上で恨み節のように渦巻いています。

時代が、いかに便利なコミュニケーションツールを生み出そうとも、アート・デザインは、常に「美をもって理解しあい、分かち合う」ことを深く思考しつづけるでしょう。
何よりも僕自身が安直な主観の垂れ流しに走らぬよう、心を引き締めなければ。

***

さて、芸工大の学生さんたちに対象をしぼっていえば、せっかく僕らはこの山形で、少なくとも1キロ圏内でキャンパスライフを送っているのですから、よかったら顔を見ながらおしゃべりしましょう。
学食で100円のコーヒーを飲みながら、現在制作中の作品のことや、生まれ育った街の特産品のことなどについて、意見交換をしましょう。
このページでは、なるだけ、その出合いや対話(人とであったり風景とであったり、芸術作品とであったり)の素敵な余韻を伝えるために、慎重に、丁寧に綴っていきたいと思います。

はじめからちょっと長くなりました。
少し緊張がほぐれてきました。
とにかくはじめてみますので、このブログ、今後ともよろしくお願いします。

美術館大学構想室・学芸員/宮本武典