美術館大学構想

■写真上:描きはじめる前の真成師の講話。美しい夕日の射し込む7Fギャラリーには、300名を超える観客が集まり、なかには庄内地方や東京や、はるばる京都から駆けつけた熱心なファンの姿も。
■写真中:1時間に及んだ制作の様子は、作品とともにモニターで展示した。
■写真下:学生たちの目の前で、大判の鳥の子紙に綴られた文人画風の作品『念佛注語』。
(※写真をクリックすると拡大画面で見られます)
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洋画コース主催で、美術館大学構想室が会場構成を手がけた齋藤真成師の展覧会『一心觀佛』が、先日、盛況のもと無事終了しています。ここで初日の6/13夕刻に、展示会場で開催された講話と公開制作『紙に点を置くところから』の写真をアップしておきます。


この小企画は洋画コースの課外授業の一環として有志学生により実施・運営され、設営作業から会場管理(受付/監視/解説)まで、すべて学生が自主的に取り組みました。
その過程で、90歳とはとても思えない、真成先生の軽妙かつ品のある人柄に魅せられた学生たち(多くは女子学生)は、公開制作終了後に老画家を取り巻いて、延々たる悩み相談(中には涙を浮かべていた学生も!)+ケータイで記念写真。
疲れていたはずの真成先生も、「ほんまに近ごろはよう見かけん、素朴でかわいらしい子らやなぁ」と、穏やかな笑みを浮かべつつ、実に丁寧に対応してくださいました。
(その時の、実にユーモアとペーソスに溢れた問答はまたの機会に紹介します)

年金問題や孤独死、少子化・過疎化などなど、「老い」のネガティブなイメージが先行するこの社会で、天台宗の僧として厳しい修行を積みながら、半世紀以上も静かに描き続けてきた老画家の、品のある「軽み」と「まるみ」は、苦しく漠然とした「自分探し」としてでしか、自らの作品制作の理由を咀嚼できない多くの若い学生たちに、不断の制作や思索によってもたらされる、ある種の「格式」の在処を知らしめたのではないかと思います。

人生は長い。芸術の道も同じ。
詩でも書でも、画においても、東洋における芸術の伝統は、老齢に至って真の深まりに到達する道を重んじてきましたが、近頃のアートシーンは若い作家にすぐに結果を求めがちで、みなシーンから切り捨てられないようにと必死です。あえて斜に構えて独自の「回り道」を楽しもうとするような余裕が失われている気がします。
マーケッティング、セルフプロデュース、…そんなことは広告代理店に任せておけばいいじゃないですか。
無理せず、無駄な雑音に耳を塞ぎ、ゆっくり淡々と、己の芸術世界の確立を目指して進みたいのですが、学生も、僕も、ついついオーバーワーク気味(この大学も?)です。余分なところに汗をかいている気がします。

短い期間でしたし、あくまで「お手伝い」的なキュレイションだったので、はじめは心情的にあまり全力投球できなかったのですが、それがかえって今の自分を自然体に見つめ直すいいタイミングとなりました。アートの意外な、いや本来の効用でしょうか?
京都風に言うと「はんなり」な、いや「おかげさん」な出会いのある展覧会でした。
宮本武典/美術館大学構想室学芸員


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