美術館大学構想

フリーノート
■写真:『舟越桂|自分の顔に語る 他人の顔に聴く』展オープン前日の10月11日・夕方、展示会場でおこなわれた舟越桂さんによるレクチャーの様子。聴講した学生は、ギャラリーの受付や監視、ガイド役として展覧会の運営に携わっている。
学生たちによる舟越桂展のドキュメントはコチラ→〈舟越展staff〉bloghttp://gs.tuad.ac.jp/funakoshi/
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学生たちに向け、舟越さんが語った言葉の中から、その作品世界の本質に触れていると僕が感じたいくつかのセンテンスを紹介します。内容はすべて宮本のメモより。
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「遠くを見ているような、ここではない何処かを見つめているような眼差しに惹かれます。瞳の黒は、眼の中の影。一番遠くを見るということは、自分の内側を見る行為でもあると思っています。」
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「すでに眼に見えていることをタイトルに使いたくないのです。眼にはけっして見えていない、その彫刻の内部で起こっていることを作品のタイトルにしたいのです。」
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「近作についてよく指摘される〈変化・変貌〉は、僕にとって嬉しいことです。大学院を出たばかりで、〈妻の肖像〉を彫っていた頃は、自分がこんな彫刻を生み出せるとは思っていなかったから。」
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「重力に逆らって〈浮かぶ〉ことは、〈祈る〉ことに似ている、という気がする。」
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「いくつかの作品のタイトルにしている〈月蝕〉とは、見えそうなのに見えない、たったいま見えていたのに、次の瞬間には見えなくなってしまう、ある種のイメージの揺らぎに言葉にあてはめたものです。それは彫刻家に与えられる喜びでもあります。つまり、自分自身の手によって、今まで誰も見たこともないものが生まれつつある予感を意味しているのです。」
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「学生の頃、通学途中のバスの車窓から山々の連なりを眺めていて、ふいに心に浮かんだ言葉、〈あの山は、あの大きさのままで俺の中に入る〉という実感が、今日までの僕の制作を支えているような気がしています。人間の存在や想像力は、それほどに大きく、果てがないという意味で。」
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「僕にとって〈スフィンクス〉とは、人間の生を第三者的に見続ける者を意味しています。この世界における人間の愚かさを、ただ黙って見続ける者。あるいは自分自身を知る者のこと。長い首や、ボディの緑色は草食動物のイメージです。他者を傷つけない、どんなに愚かであっても人間の存在を肯定する眼差しを持つ者として。」
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素晴らしい2時間でした。
若い人たちに向けたこの彫刻家の言葉を、2007年度版のアニュアルレポートでは完全採録するつもりです。
宮本武典/美術館大学構想室学芸員
■写真上:桜木町の川曵き。神輿のような木橇が、五十鈴川の浅瀬で出発の木遣を待つ
■写真下:木橇に積まれた檜の年輪を数える、甥の小さな手
(※写真をクリックすると拡大画面で見られます)
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この夏、伊勢神宮で技師を務める兄の案内で、伊勢神宮の『御木曳行事(おきひきぎょうじ)』に参加してきました。
双子の兄は東京の美術大学を卒業後すぐに三重に移り、伊勢神宮の式年遷宮に奉納される神宝の研究と製作に従事しています。
「20年に一度きりのことだし、法被(はっぴ)を用意しておくから一緒に曵こう」と誘われ、「それならば今年、生まれた娘の誕生報告の参拝を兼ねて」と、山形から伊勢まで、飛行機と船を乗り継いで、はじめての家族旅行に出かけました。

『御木曵き』は、あと6年後に迫った伊勢の式年遷宮で使用される、長さ約12mの御用材を、旧神領の町民がそれぞれの町の木橇(きぞり)に積載して五十鈴川を曵いていく行事です。
兄の家族が住む桜木町の木橇がでる7月29日は、今回の御木曵き行事の最終日で、また夏休み中の週末だったこともあり、おかげ横町や宇治橋近くの川岸は、20年ぶりのハレの日を迎えた法被姿の伊勢の人々と、全国から集まった沢山の見物客で埋め尽くされていました。

宇治橋から1キロほど下流の浅瀬から、若衆による木遣音頭に導かれて、木曽で切り出された大きな檜の丸太が五十鈴川をゆっくり溯上してきます。
町民総出で水に浸かり、掛け声とともにお互いの綱を交差させ無邪気に水を掛け合ったりしながら、柱から二股に長く伸びた綱を「エンヤ、エンヤ」と曵いていく。
川岸では町ごとにお弁当やお酒が配られ、久しぶりの再会を楽しむ和やかな人々の輪がありました。曵き手たちの表情は、老いも若きも古来より受け継がれてきた式年遷宮に、地元町民として参加するのだという誇りに華やいで見えます。

僕は、あの私小説に病み疲れた太宰治が書いた、
「海を越え山を越え、母を捜して三千里歩いて、行き着いた国の果ての砂丘の上に、華麗なお神楽が催されていた」
という印象的な一節を思い出していました。
「私」の物語が、いつか見た祭の光景=共同体の記憶に、再び吸い込まれていくような生の旅路。伊勢の人々は、五十鈴川の流れを身を受けながら、様々な想いを胸に綱を曵き、この20年、そして次の20年に想いを馳せていたに違いありません。

そして、人々の手によって五十鈴川の瀬を乗り越え、参道の玉砂利に積み上げられた檜の丸太は、神宮の宮大工たちの技によって数年をかけて棟持主の建築部材に削られ壮麗なお社となり、後世に繋がれていきます。

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7月29日は猛暑日でした。
生後6ヶ月の娘は日差しを避け、木橇が最後に宇治橋の袂から一気に参道に曵き上げられる頃合いを見計らってやってきて、五十鈴川からあげられたばかりの檜に、兄のはからいでちょこんと触らせてもらったそうです。
次の御木曵き(2027年)で、今は小さな彼女はちょうど20歳。そして、会う度に兄に(僕に?)似てくる伊勢の甥っ子は26歳です。彼の方は、現在の僕たち兄弟のように結婚して、ひょっとすると(彼の父がそうだったように)子どもがいるかも知れません。

伊勢の地で、千年以上も続く技能の継承者として研鑽を積みつつ、早くから家庭を築き、健やかに育んできた双子の兄。そしてその間、東南アジアやパリをあてどなく独りで放浪していた弟。
一卵性双生児として生まれながら、大学卒業を境に、まるで相反する「放浪」と「根付き」の20代を送り、その差異を互いの創作の日々の刺激としてきましたが、今回の旅で、2人の生き方が再び同じルートに重なりあってきたように感じました。

20年後、五十鈴川の畔で『御木曵き』に参加するまでに、2つの家族がそれぞれにどんな時間を重ねていくのか。やけにくっきりとした20年という時の「仕切り」が、身体のどこか、みぞおちの奥あたりにピタリと差し込まれたような、不思議な感覚が残った夏の旅でした。

宮本武典/美術館大学構想室学芸員

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(※写真をクリックすると拡大画面で見られます)
■写真上:ギャラリー絵遊で松岡圭介作品『a standing man』を鑑賞するグラフィックコース准教授の坂東慶一先生とアートライターの白坂ゆりさん。
■写真中:馬見ヶ崎川沿いのカフェで観客参加型のインスタレーション『1984-espresso』を鑑賞。制作した大学院生たちとの対話。
■写真下:7月8日に蔵を改造したカフェ『灯蔵 オビハチ』で開催された2人よるレクチャー『仕事はつくるもの』。立ち見が出るほど大勢の学生が詰めかけた。スクリーンに映し出されているのは、白坂さんがいまもっとも注目している作家の一人、ベルリン在住のアーティスト小金沢健人氏の作品。
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山形市内で開催した『I'm here.07-根の街へ-』に、ゲストとしてお招きしたアートライターの白坂ゆりさんが、トータルアートサイト『LOAPS』の連載コラムにて、本展の様子を紹介してくださいました。

『白坂ゆり トウキョウアートリズム』=http://www.loaps.com/art+index.id+hp.htm

坂東慶一准教授との対談『仕事はつくるもの』では、白坂さんが情報誌『ぴあ』のライターとして、90年代から今日まで、「観て・書いて・立ち合って」きたアート発生の現場を、豊富な写真資料とともに証言してくださいました。

また、ロンドン、アムステルダムと欧州を拠点にデザイナーとして活動してきた坂東准教授は、日本のオルタナスペースの草分け『スタジオ食堂』での自らの実践を示しつつ、自治体や企業の助成を得ながら、地域住民と連携して展開した伝説的な『スタ食』のクリエイティブなコミュニケーション・スキルについて丁寧にレクチャーしてくださいました。

2007現在。日本の有力ギャラリーはグローバルなビジネスに乗り出し、所属アーティストのマネジメントや、若手の発掘に意欲的です。美大の卒業制作展に多くのギャラリストたちが訪れるようになり、フレッシュな才能が銀座の貸画廊システムを飛び越してチャンスをつかんでいます。
アーティスト側にも、こうした市場のニーズからこぼれ落ちないように、積極的に売り込んでいくセルフ・プロデュース能力が問われています。

後半、会場からの質問を交えたディスカッションは、昨今見られるようになったギャラリーやメディア、時には大学が連携して「今、売れる作家」を量産していくシステムのあり方や、ギャラリストと作家との複雑な駆け引きについてなど、アート業界のリアルな体験談で盛り上がりましたが、最後の締くくりの白坂さんの発言が良かった。

「今、アートシーンで何が起こっているのかを知ることは大切ですが、どのギャラリーが有力だとか、欧州のトレンドがどうこうといった〈情報〉に、アーティストの作品や制作は左右されるべきではないと思います。アート作品自体の魅力も同様に。」

90年代とは明らかに異なる「実感なき好景気」の中で、ビックメゾンや広告業界を巻き込んで流通していくアートマネーの恩恵。これらを、ただ盲目的に甘受しようとするのではなく、現実の生活を取り巻く様々な環境と、内省的な制作活動の幸福な一致のために、インディペンデントに生きていく術を模索する…。

途中、白坂さんが紹介してくれた、東京のネオンサインをモチーフにしたベルリン在住のアーティスト・小金沢健人氏のユーモアかつリリカルな映像は、日常にありふれた現象を、視線や解釈のズレによって、説明しようがない心地よい調和へと変換していました。
あの映像のアノニマスな美しさは、「アーティストとしての成功」だけを求めて制作していく態度とは根本的にベクトルの異なる眼差しでもって、アートへの真摯で純粋な「trial and error(試行錯誤)」を、若いアーティストたちに求めたいとする、この日のレクチャーに臨んだ2人のポリシーが端的に表現されていたように思います。

美術館大学構想室学芸員/宮本武典
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■写真上:7月7日に、『ギャラリー絵遊』+『蔵大マス』の庭で開催された、『I'm here. 2006』のレセプションパーティーの幕開けです。写真は乾杯の様子。左から松本哲男学長、ギャラリー絵遊オーナーの駒谷氏、そして、フライヤー17,000枚分の印刷用紙を無償提供していただいた田宮印刷株式会社の工藤社長。祝杯は工藤社長から差し入れていただいた高級ジャンパンで景気良く。

■写真中上:『Link』プロデュースのベーグルパーティーに、強力助っ人として参加していただいたCafe Espressoの高橋昌平マスター(左)。高橋さんからベーグルにチーズを挟んでもらっているのは、『ぎゃるり葦』オーナーの土井忠夫さん。今回は後藤+池谷+阿部の洋画出身のペインター3人組がお世話になりました。『I'm here.2007』で、もっともパワフルだったのは、間違いなくこのお2人でした。

■写真中下:芸工大の在学生・卒業生にとって何でも相談できる「お母さん」的存在の大学職員の方々。手前左から学生課の小林さん、原田さん。中央奥は図書館の谷川さん。この日はパーティーの仕込みに主婦パワーを発揮しつつ、大勢集まった卒業生たちと久しぶりの再会を喜び、そして『Link』プロデュースのオリジナルベーグルサンドを頬張る。息子の手料理を味わう気分?

■写真下:梅雨の奇跡的な晴れ間。夕方からスタートしたパーティーは、真っ暗になっても立ち去り難く、結局夜の9時過ぎまで続きました。参加者は300名を超えました。
(撮影:加藤芳彦)
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正直に告白すると、昨年の暮れに、今年の『I'm here.』の開催日時を決めた段階では、頭の中から「日本の梅雨」の存在がすっかり抜け落ちていたのです。
『ギャラリー絵遊』さんの手入れの行きとどいた庭を見た時、「これだ!」と直感的にひらめいたガーデンパーティーのアイデアでしたが、日時をフライヤーに刷り込み、卒業生約4,000人に送付し、いよいよその詳細を詰めていこうとしたところで、山形市内の雲行きが連日おかしくなり、地元出身の職員から「山形の七夕は晴れたことがない」と困惑げに聞かされ…た時すでに遅し。

パーティーのプロデュースをお願いした『Link』のメンバーと、ハラハラしながらyahoo!の天気欄をチェックする日が続いたのですが、あえて雨天の代替え案はなし! と背水の陣で準備を進めたところ、関係者の日頃のおこないが宜しいのか(?)ずっと雨続きの『I'm here.』展の会期中、不思議とパーティーと翌日のトークイベントは天気に恵まれました。

18:30パーティー開始の30分前から、続々と卒業生+在校生が集まり、松本学長の豪快なシャンパンオープンが、夕方の空にコルクの弧を描き、パーティーの幕開けを告げると、『Link』が用意した250食分のベーグルは次々と無くなっていきました。(なかには4つ食べた学生も!)

この日のために、『Link』メンバーが考案したオリジナルベーグルは、地元で人気のベーカリー『シャルマン』に焼いてもらった品で、生地に山形の「だだちゃ豆」「山ぶどう原液」「県産トマト」を練り込んだ特別なもの。
ボランティアスタッフの女子学生が、包丁とまな板持参で集まり、お昼過ぎから2/1スライスし続けたベーグルに、参加者がおのおのテーブルに並べられた食材をサンドして食べるという趣向。パーティーのコンセプトをオリジナルスタンプに仕立てて捺した紙に、色とりどりのベーグルに挟んで食材を乗せれば、無駄な食器やカトラリーは使わなくていいというエコなパーティーなのでした。

大きなテーブルに所狭しと並べられた各種の具材は、これまた山形産にこだわり、ギャラリーのすぐ隣にある『佐藤牛肉店』からは「米沢牛コロッケ」(※写真上の看板に注目)や特選サラミをフューチャーし、通り沿いにある豆腐店からは「豆腐ハンバーグ」をセレクト(「塩気と効かせて」と特別オーダー)。これらは余計な包装をせず、お店からトレイごとドサッと届きました。

この他、『Cafe Espresso』高橋マスター手づくりのサクランボのジャムや、本格チーズ、県産の瑞々しい野菜たちが、『Link』メンバーデザインによる有田焼の皿にレイアウトされます。
ドリンクも、大学内ではないので堂々とお酒が並びます。高畠のスパークリングワインに出羽桜の吟醸酒。アルコールNGの未成年には、県産フルーツの濃厚なジュースが振舞われました。

様々な「味」を組み合せる楽しさ。パーティーを通して交流する在学生と卒業生。地元にある様々な美味しいものとの出会い。そして、「食」と「デザイン」の融合が演出するピースフルな空間と交流。『Link』のねらいは見事的中し、パーティーは大成功でした。

会の途中で『I'm here.2007』参加作家や各ギャラリーのオーナーさんたちによるマイクパフォーマンスも会場をおおいに盛り上げましたが、たくさんのお酒にも関わらず、だらしない酔っぱらいは一人も出ず、終始なごやかな会話がざわめく大人の雰囲気ただようパーティーでした。本当に。

こういうリラックスした、さりげないクリエイトが、参加者に与える創造的な刺激ははかり知れません。
ただ酔っぱらうための安っぽいフランチャイズの居酒屋ではなくて、街の歴史を感じさせる場所に手づくリのテーブルを囲んで、ささやかな食べ物を持ち寄って。
世代をこえて楽しく語らった、家族のような親密な時間でした。
これが伝統になればいいなぁ。毎年、七夕の夜が晴れるかどうかは怪しいのですが。

宮本武典/美術館大学構想室学芸員
■写真上:描きはじめる前の真成師の講話。美しい夕日の射し込む7Fギャラリーには、300名を超える観客が集まり、なかには庄内地方や東京や、はるばる京都から駆けつけた熱心なファンの姿も。
■写真中:1時間に及んだ制作の様子は、作品とともにモニターで展示した。
■写真下:学生たちの目の前で、大判の鳥の子紙に綴られた文人画風の作品『念佛注語』。
(※写真をクリックすると拡大画面で見られます)
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洋画コース主催で、美術館大学構想室が会場構成を手がけた齋藤真成師の展覧会『一心觀佛』が、先日、盛況のもと無事終了しています。ここで初日の6/13夕刻に、展示会場で開催された講話と公開制作『紙に点を置くところから』の写真をアップしておきます。


この小企画は洋画コースの課外授業の一環として有志学生により実施・運営され、設営作業から会場管理(受付/監視/解説)まで、すべて学生が自主的に取り組みました。
その過程で、90歳とはとても思えない、真成先生の軽妙かつ品のある人柄に魅せられた学生たち(多くは女子学生)は、公開制作終了後に老画家を取り巻いて、延々たる悩み相談(中には涙を浮かべていた学生も!)+ケータイで記念写真。
疲れていたはずの真成先生も、「ほんまに近ごろはよう見かけん、素朴でかわいらしい子らやなぁ」と、穏やかな笑みを浮かべつつ、実に丁寧に対応してくださいました。
(その時の、実にユーモアとペーソスに溢れた問答はまたの機会に紹介します)

年金問題や孤独死、少子化・過疎化などなど、「老い」のネガティブなイメージが先行するこの社会で、天台宗の僧として厳しい修行を積みながら、半世紀以上も静かに描き続けてきた老画家の、品のある「軽み」と「まるみ」は、苦しく漠然とした「自分探し」としてでしか、自らの作品制作の理由を咀嚼できない多くの若い学生たちに、不断の制作や思索によってもたらされる、ある種の「格式」の在処を知らしめたのではないかと思います。

人生は長い。芸術の道も同じ。
詩でも書でも、画においても、東洋における芸術の伝統は、老齢に至って真の深まりに到達する道を重んじてきましたが、近頃のアートシーンは若い作家にすぐに結果を求めがちで、みなシーンから切り捨てられないようにと必死です。あえて斜に構えて独自の「回り道」を楽しもうとするような余裕が失われている気がします。
マーケッティング、セルフプロデュース、…そんなことは広告代理店に任せておけばいいじゃないですか。
無理せず、無駄な雑音に耳を塞ぎ、ゆっくり淡々と、己の芸術世界の確立を目指して進みたいのですが、学生も、僕も、ついついオーバーワーク気味(この大学も?)です。余分なところに汗をかいている気がします。

短い期間でしたし、あくまで「お手伝い」的なキュレイションだったので、はじめは心情的にあまり全力投球できなかったのですが、それがかえって今の自分を自然体に見つめ直すいいタイミングとなりました。アートの意外な、いや本来の効用でしょうか?
京都風に言うと「はんなり」な、いや「おかげさん」な出会いのある展覧会でした。
宮本武典/美術館大学構想室学芸員
■写真:美術館大学構想室アシスタントを2年間務めた後藤拓朗君(左)と、彼の後を引き継ぐ近藤浩平君。ともに洋画コースの卒業生。
背後の絵画作品『部屋・紫・少女の砂』は、後藤君の卒業制作で、2004年の損保ジャパン絵画大賞受賞作。その後、2004年度学長奨励賞として買い上げられ、今も学内に常設展示されている。
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美術館大学構想室のアシスタント後藤拓朗君が、2年間のアシスタント期間を終え、構想室を「卒業」します。キャンパス各所にある常設作品を巡る、入学希望の高校生を対象にした鑑賞ツアーで、作品解説をお願いしたのをきっかけに声をかけ、以来2年間、構想室が企画したすべての展覧会を裏方として懸命に支えてくれました。

これまでに構想室が招いた様々なアーティストや知識人たちとの出会いに影響され、「構想室に関わるようになって、これまでのようにシンプルに絵と向き合えなくなった」と語っていた後藤君。特に、レジテンスで山形に長期滞在したアーティストの富田俊明さん、彫刻家の西雅秋さん、珍しいキノコ舞踊団のメンバーといった、自由放漫かつ才気溢れる「マレビト」との交流は、山形で生まれ育った画家志望の青年に、少なからぬ若さ故の悩みをもたらしたようです。

春からは、「とにかく一度、故郷であるこの山形市を出て、自分の制作や生き方について考える時間を持ちたい」と心に決めたようです。そしてこの言葉は、後藤君だけでなく、親交のあった何人かの山形出身の卒業生たちの口からも聞いた固い決心でもありました。

僕が故郷と創作の愛憎関係について思い巡らすとき、心のなかでいつも反芻する言葉があります。それは、僕の敬愛するマルティニック諸島出身のアフリカ系フランス人小説家マリーズ・コンデの次の言葉です。

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精神の彷徨がなければ創造性は生まれない、と私は思います。
不動性のなかで、盲目的に根をはった生活で、何かが生みだされるとは思いません。
彷徨しなければならない。
彷徨生活は人を解放してくれます。
(…中略…)
私は、創造行為、エクリチュールとは一種の無限運動、
絶えず変化する差異の運動だと思います。
それは流れる水のようなもので、
誰かが言ったように、その水は絶えず繰り返され、再開される。
つまり小説創造は絶えず再開されるのです。

私は一カ所に根を下ろす〈根付き〉ということを信じません。
肉体は故郷に帰りましたが、精神は航海を続けなければならないのです。

マリーズ・コンデ

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クリエイトは終わりのない旅のようなもの。
故郷を離れ、たとえ何処に暮らしたとしても、そしてまた、たとえ創造の日々が中断したとしても、一度深く探し出された感性の鉱脈は、簡単に枯れることはない。これから先、虚ろな情報社会のパワーゲームに傷つくこともあるだろうけれど、芸術を学び、絵画に自分の可能性を賭けた日々に誇りを持って、生きていってほしいと思います。

後藤君ありがとう。
お疲れさま。
そしてこれからもよろしく。

宮本武典/美術館大学構想室学芸員
■写真上:美術館大学構想室と卒展ディレクターズメンバーが編集した2007年度の卒業/修了研究・制作展カタログ。これまで卒業式に配布されていた「卒業アルバム」的な記録集を完全リニューアルし、展覧会鑑賞時に使用できる手引きとして、また「卒展2006」全体のドキュメントとして徹底的に作り込んだ。製本は田宮印刷株式会社で、デザインは同社のデザイン部門「JEYONE」の鈴木敏志さんが手がけた。

■写真下:ダンボールケースの中身は以下の3アイテムによる分冊形式。
1)卒展ガイドブック(下)
各学科コースの展示内容やイベントの詳細情報と、卒展出品者523名全員の顔写真、プロフィール、作品/研究コンセプトを紹介している。鑑賞ツールとして来場者に活用してもらうことを目指し、なんとか開催期間中に間に合うように制作した。523名からの原稿回収は、それぞれのPCからブログ書き込み形式をとって手間を省略。会期中はインフォメーションカウンターで1冊500円で販売した。
また、出展者データは学科コースの枠を取り払う50音順で掲載し、通し番号が実際の作品に付けられていたタイトルプレート(キャプション)と照合して検索しやすいように工夫をした。
2)卒展ドキュメントブック(左)
全出展研究・作品の展示写真を掲載するとともに、茂木健一郎氏の講義など、会期中に開催されたさまざまなトークイベントを採録している。フルカラー&厚さ3センチ。各写真は、ガイドブックの出品者データと照合できるようにナンバリングが施されている。DVDに収録されている論文と映像の作品については、サムネール的なテキストと写真をリストとして列記した。
3)卒展DVDデータ(右)
論文と映像作品はPC上で閲覧できるようにDVDデータにした。論文はpdfファイルをダウンロードさせることで、これまでの要約だけの掲載ではなく、ほぼフルボリュームのデータベース化が実現。映像作品はフラッシュでそれぞれ短編に再編集した動画をパソコン上で観ることができるようになった。
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卒展カタログの紹介とともに、下に転載する「Guide」は、僕が年に4本書いている本学図書館発行の「ライブラリー通信」コラムです。今年卒業してしまった何人かの学生が、毎回「読みましたよ!」と声をかけてくれていたので、これからはこのブログに転載します。コラムの内容は、卒展カタログ編集時に、僕がいつも考えていたことでもあります。

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Guide:出会い難き紙片
バルセロナのソフィア王妃芸術センターで、ピカソの『ゲルニカ』にはじめて対面した時のこと。ギャラリーには大勢の人がいたのだが、皆、絵と反対側の壁に張り付くようにして、できるだけ絵と距離をとって鑑賞していたのが印象的だった。巨大な画面の全体像を視界で隅々まで捉えるためには、およそ6mは画面から離れなければならない。人々は安心した表情で、予備知識として事前に蓄えた『ゲルニカ』の図(イメージ)を確認していた。そこには、教科書通りの構図、反戦のメッセージを伝える様々な寓意が織り込まれている。手元のガイドブックには、丁寧な解説もついている。

だが、僕は一人、信号のタイミングを間違って横断歩道を渡りはじめた人のように、見えない境界線を踏み越えて歩き出す。油絵の具の香りを嗅げるくらいキャンパスに近寄って、その力強い筆致と、黒い絵具の質感を眺める。この時、僕の目の前に存在するのは、画集どおりの「図」ではなく、人間パブロ・ピカソが引いた黒々とした線なのだ。そびえ立つ雄牛に圧倒され、暗い画面に灯る?燭の光を感じ、そして何より、画家が絵筆で告発した戦争のビジョンに包み込まれるようにして、一枚の太い木枠と、麻布と、絵具と、画家の腕の痕跡として、そこに確かに『ゲルニカ』が存在しているリアリティーを感じようとしていた。

図書館の画集で、美術館で販売されているポストカードで、僕たちは名画のイメージに慣れ親しんでいる。印刷物となって、手から手へ渡っていく無数の『ゲルニカ』。世に傑作と呼ばれる作品は、出会いの空間を限定されるオリジナルよりも、その作品を取りまくイメージや、ストーリーがひろく国境を越えて共有されていく。多くの人が、例えばルーヴルの『モナ・リザの微笑み』のオリジナルを観たとき、「本物はやっぱり違うよね」と、既に見知った『印刷物のモナ・リザ』との違いを表明せずにはいられない。(よくよく考えてみれば、これは奇妙な発言だ。僕たちは、絵画そのものに、いったい何を見出しているのだろう?)

ポストカードになって世の中を巡っているアート作品は、名画だけではない。美術館でアシスタントをしていた頃、毎朝、学芸員宛に届けられる展覧会の案内状の量に驚いたものだ。毎日、毎日、呆れるほど沢山の展覧会が開催されていて、それを宣伝する一枚一枚に、大仰なタイトルや但し書きが張り付いている。発表する側にとって、それは当然の態度だろう。このアーティストに理解のない国で、どんどん公立美術館から予算を削り、義務教育から情操教育を駆逐している国で、1年以上かけてゼイゼイと資金をかき集めて準備した発表の機会なのだから。

けれども現実は、送り手の淡い期待に反して、有力な美術館やギャラリーでは、コレクションされている作家の新作展などの重要な案内状以外は、ほとんどトランプのカードを切るようにして一瞥されゴミ箱へ直行する。勿論、1枚1枚きちんと眺めて、保管してあげたいが、そんなことをしていたら書類棚はすぐに一杯になってしまうのだ。

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『ゲルニカ』であれ、無名の若手の意欲作であれ、また、それがオリジナルであれ印刷物であれ、美の価値は、様々な情報の力関係においてドライに分類され処理されていく。けれども、不意に送りつけられた何の予備知識のないポストカード上の作品に(ごく稀にだが)無条件に心を惹かれることだってある。

紙面に自分を大きく見せようとする誇大広告の因子が感じられないもの。「まだ答えは出ていない。結論は固まっていない。それを決めるのはあなただ」とメッセージを送ってくるもの。実際にその展覧会に足を運ばなくても、壁にピンナップしているだけで、充分そのアーティスティックな恩恵を与え続けてくれるもの…。

デザインワークは重要だ。写真、タイポグラフィー、コピー、紙質は洗練されていなければならない。だが、それ以上に、送り手のイメージの中で、一枚の紙片となった自身の作品が渡っていく街の風景や、受け取った人の心の動きを、どれだけ具体的に出会いのストーリーとして描いているかが大切だ。

心を打つアートとの出会いは、(どこかで読んだフレーズだけど)極めて起こり難いラブストーリーのように、デリケートにその瞬間を育てていく。膨大な情報の海のなかで生きる僕たちが、たった一枚の紙片を通して、偶然に「見知らぬ誰か」の瑞々しい感性と深く出会うことは、バルセロナでピカソと出会うことと同じくらい感動的な出来事なのだと思う。(東北芸術工科大学図書館発行『ライブラリー通信2007.spring』から転載)

宮本武典/美術館大学構想室学芸員
■写真上:出産直前の妻のおなか。卒展の準備期間と重なるように、妻は12月9日から3ヶ月間の入院生活の末、3月10日[土]に、3157グラムの元気な女の子を生んでくれた。
■写真下:4番目の孫を抱く父。山形で8年間の教授生活を終え、今春から長野県佐久の山荘に移る。これからは膨大な資料に囲まれた書斎で建築史家として総仕上げの研究に取り組む。
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私事ですが、このブログで度々書いてきたことなので報告します。
今月10日に、はじめての子どもを授かりました。
助産師さんから連絡がはいった深夜0時から家内の陣痛の波が激しくなり、明け方に分娩室に一緒に入って出産に立ち合いました。
しっかりした身体付きの女の子が生まれたのは、まだ夜も明け切らない5:30で、窓からは蔵王の灰色のシルエットが、薄ら空と大地の境界線を描きはじめていました。白々とした蛍光灯の明かりの下で目撃したその瞬間は、以前、大橋仁氏を紹介したブログでも書きましたが、本当に壮絶で切羽詰まった、愛しい命の瞬きでした。

入退院していた時期が、卒展の準備が加速度的に激しくなっていた期間と、ちょうど並行していたこともあり、大学の同僚、先生方、そして大勢の学生たちから暖かい気遣いをいただきました。感謝。
ディレクターズのメンバーからは、沢山の紙オムツのプレゼントが届いたのです。(示し合せていたようです)一つ一つちゃんと包装してあって、むくつけき男子学生が、東青田の『ツルハドラック』で神妙な顔で注文したのかと思うと、頬が緩みます。
ありがとうございます。充分活用させてもらいます。
赤ん坊の名前は、「結子(ゆいこ)」としました。
どのような生き方をするにしても、彼女なりの方法で、人と人の、文化と文化の良きつなぎ手として生きていってほしいとの願いを込め、「つなぐ糸」が「吉をもたらす」という組み合わせを選びました。現在は家内ともども退院し、大学近くのマンションで、3人での静かな生活がはじまっています。


そして、新しい家族が加わると同時に、歴史遺産学科で教授を8年間務めた父・宮本長二郎が、東京芸大時代からの、長かった大学生活を辞し、山形の仮住まいから自邸のある長野県佐久市に移ります。日本全国の遺跡を歩き続け、この列島に埋もれた古代の建築史の謎に向かい続けた筋金入りの研究人生に、不出来な息子たちは只々敬服するのみですが、不思議な縁で2年間、同じ大学に勤められたことは幸せでした。お疲れさまでした。

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さて、折しも今日3月21日は東北芸術工科大学の卒業式。
僕は式自体には立ち合わず、寒風の中、ディレクターズの活動よろしく駐車場誘導をしていたのですが、卒展でなじみになった学生たちが、きちんと正装して、堂々と歩いていくのを、嬉しく眺めていました。若い人たちの旅立ちを見送る立場として、「おめでとうと、さりげなく」よりも、どこか寂しさを感じている自分に、この1年間のそれなりの充実感を噛み締めていました。
寂しいので、この後の祝賀会には出席しません。が、父と僕との不思議な巡り合わせのように、この業界でそれぞれにきちんと仕事をしていれば、いつかまた一緒になることもあります。その可能性に期待して。

卒展を終え、山形のキャンパスを巣立っていく学生たちにとって、そして僕たち家族にとって、それぞれの「産みの苦しみ」を通過し、今、ひとつの時代が穏やかに幕を閉じました。


宮本武典/美術館大学構想室学芸員
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■写真:卒展を支えた〈卒展ディレクターズ〉のスタッフたち。1〜3年生を中心に、コアメンバーが27名、期間中のみ参加の当日スタッフ登録者が74名と、総勢100名をこえる在学生が、卒業生523名による大展覧会を動かしていた。その活動は、広報、イベント企画、会場整備、鑑賞ツアー運営、周遊バス運営、HP運営、カタログ作成など多岐にわたり、それぞれの所属する学科の課題もこなしながら、スタッフたちは去年の6月から9ヶ月間、無償で働き続けた。今ではもう家族のような関係。(撮影:サンデーブース)

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4ヶ月ぶりの更新です。
西雅秋さんの展覧会を終え、息継ぎする間もなく、そのまま卒業制作展の準備に没頭してしまいました。こんなにほったらかしにするなんて、人気ブログの条件からほど遠いですね。もし、このブログを定期的に見ている人がいたとしたら、大変申し訳ない事をしました。すみません。

しかし、宮本も美術館大学構想室も、このHP上では眠っていた4ヶ月は、今年大きく変革された「卒業/修了研究・制作展2006」の運営を担い、総合ディレクターの宮島達男副学長と、30名の学生スタッフ(卒展ディレクターズ)とともに、冬のキャンパスを駆け回る激動の日々を過ごしていました。このブログで途中経過を実況すると、弱音とカラ元気で埋め尽くされることが懸念される程、それはそれはハードな毎日でした。

これまで山形美術館で開催していた芸工大の卒展を、松本学長が「キャンパスに一本化する」と宣言してから、気の遠くなるほどの時間を議論に費やしてきました。学生はもちろん、教員、事務局、卒業生をも巻き込み、9ヶ月間「産みの苦しみ」にもだえ続けた卒展。その顛末については、学生スタッフが、卒展ディレクターズHP上にたっぷりとUPしてくれていますので、空白の時間はそちらで埋め合わせしていただければ幸いです。

卒展ディレクターズHP=http://gs.tuad.ac.jp/directors/index.php
TUAD卒展公式HP=http://www.tuad.ac.jp/sotsuten2006/

その卒展も、1週間前になんとか成功に終わりました。
アトリエや研究室を展示会場に転用し、キャンパス内17カ所でパピリオン形式で開催された展覧会を、一週間でのべ2万人の人々に見ていただきました。各サイトで展示されていた作品も、本当に素晴らしかった。
緊張の糸が切れたのか、寒風の中、野外で駐車場管理に立ち続け、次々とインフルエンザで倒れていった学生スタッフたちも、今はもうそれぞれの地元へと帰郷しました。卒展に出品した523名の卒業生たちは、一ヶ月後の卒業式までに、引っ越しや身辺整理に余念がありません。
そして、準備期間と並走するように3ヶ月間病院で過ごしていた身重の妻は、卒展終了と同時に無事に臨月を迎え、今は自宅で静かに出産の時を待っています。

過ぎてしまえば、過ぎ去るには惜しい、さまざまな出来事があった日々。静まり返っている学内で、ようやく自分なりにこの4ヶ月を見つめる余裕が出てきたので、少しずつ、自分の眼で見た卒展について、このブログに書き残しておこうと思います。

繰り返しになりますが、忘れ去られてしまうには惜しい情景だけが、雑然とした意識の片隅で、その本当の価値を当人が理解するまで、雪の夜に灯る街灯のように、微かに輝き続けます。心地よい身体と精神の披露を感じながら、この9ヶ月の経験は、まだまだ多くの事を僕とこの大学に与えてくれると感じています。

美術館大学構想室学芸員/宮本武典
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『Paris, winter, 2004』Takenori Miyamoto
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このブログは大学からの帰宅途中、24時間営業のドトール・コーヒーで書くことが多いです。あのひっきりなしに呼び出しの電話が響くオフィスでは、到底向き合うことはできない自分自身と語り合う、僕にとって貴重な時間です。
1年間過ごしたパリでは、日中は失語症のように黙々といくつかのカフェをi-Bookとともにハシゴし、深夜のメトロで撮影した画像データ(上写真)を編集したり、小説らしきものを書いて過ごしました。
僕のことを最後まで中国人だと思い込んでいたインド人のギャルソンが仕切るカフェ『緑の象』で、「世界」は解決不可能なぐらい複雑で、一人一人が孤独で、それでいてはっきりと人と人が求めあう引力のようなアートの作用を信じることができました。「人が生きていくために、アートは必要なのだ」と、いつも感傷的に思ったものです。
自転車で漆黒の蔵王の丘を駆け下りていく家路の途中で、ついついコーヒーを飲みにいってしまうのは、あの無為な日々の概視感を求めてのことです。
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このところ、打ち合わせの数が膨大なのです。
学生に、同僚に、アーティストに、上司に、朝から晩までとめどなく何かを説明し、その正当性を主張し、主張を覆され、企画書で挽回し、書いたからには実現のために具体的に実働をはじめる頃にはその他の「正当性」が頭をもたげ、、、一週間が運動会の50メートル競争のように過ぎていきます。与えられた職業的クエストを一つ一つ解決するためにのみ生きているかのようです。
かえってこのごろは「世界」がすべてシンプルに見えてくる。力の構造、あらゆる組織に組み込まれるヒエラルキーの骨格、これらをトレースするように与えられた仕事をスムーズに処理していき、そうして徐々に自分の感覚的な世界を失っているように感じてしまいます。
だから、今年の「I'm here.」で出会った岩本あきかずさんや、坂田啓一郎さんといった同世代のアーティストたち、そして西雅秋さんの作品に刻まれた、静かで確かな痕跡を見て、僕は僕自身が失ったものの疼きを感じずにはいられません。
机に向かって、ただまわってくる書類を左から右に流しているだけでも、人は生きていける。そういう安泰な場所から、厳しい現実の中で制作を続ける彼らに憧れを表明している自分に救いのないエゴイズムを感じつつも。

世界はとても謎めいていて、単純な「力」の行使だけでは、決してボジティブな解決には至らないことを再認識するために、僕は仕事帰りに13号線沿いのドトール・コーヒーに立ち寄ります。
深夜の店内には、いつも同じ顔ぶれ、学生のH君やK君がいます。(アルバイトスタッフも、みんな芸工生です)彼らはカフェテーブルを抱きかかえるように身を屈めて、スケッチブックにいったい何を書き付けているのでしょう?(あるいは「宮本さんはしょぼくれた目と無精髭をコスリコスリ、パソコンに何を打ち込んでいるのだろう?」)
「今は近視眼的な学生たちの世界地図が、これから現実のひろがりへとつながっていくように、僕がこの大学でやるべきことは何か?」
ここで感じることのできるそんな不遜な使命感もまた、明日を頑張れるエネルギーとなります。僕も彼らと同じように、相変わらず、同じ私的世界を堂々巡りしているだけなのかも知れません。これは希望的観測ですが。

『西雅秋-彫刻風土-』展開催まであと10日です。サポートする側のポテンシャルが試されるのはこれから。「秋の夜長」に頼る日々が続きます。

宮本武典/美術館大学構想室学芸員
■写真:『大学院レヴュー』プレゼンテーション風景(洋画コース院生)
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先日、教育改善活動(FD)プログラムの一環として教職員対象に開催された「少子化時代の大学運営」に関する講演を拝聴しました。講師は武蔵野美術大学の小井土満教授です。実は学生の頃、僕は教職課程で小井土先生のお世話になったのです。合評会でのコメントが抜群に面白いのと、研究室でコーヒー生豆を焙煎する(!)ことで有名な方でした。講義前に挨拶に行って「おー意外なところで会うねぇ」とがっちり握手、かれこれ10年ぶりの再会です。僕が教育機関で働いていることを、とても喜んでくださりました。

講演会では、80年代末から今日に至るまでの少子化の推移と、それに対応した武蔵美の学科編成およびカリキュラム改革の詳細について語られました。伝統あるかの大学でさえ教職員が一丸となって、少子化対策に年間100を超える会議を繰り返していると聞き、ちょっと驚きました。美大に限らず「全入学時代」(=大学進学を希望する高校生が「選り好み」さえしなければ、必ずどこかの大学に入学できるという時代)を目前に控え、全国の大学が熾烈な受験生獲得競争を繰り広げているのです。

東北では、私立大学の7割が、既に定員割れを起こしているそうです。幸い芸工大は入試課スタッフの営業努力もあり、まだ沢山の受験生のみなさんに支持されていますが、その絶対数は減っていく一方。しかも早稲田や立命館といった名門の総合大学が、美術学科の新設に着手していくという状況下にあって、本学のみならず、30年後も盤石な芸術系大学は殆どない、というのが偽らざる実情ではないでしょうか。国公立大学であっても、独立法人化を受けて、これまでのような安定とは無縁です。テレビタレントを教授にしたり、個性的な学科を新設したりと、美大生予備軍に向けたアピールに余念がありません。

高校生の理解レベルに「大学」運営の基準を合わせてしまうのもいかがなものかと思います。しかし、だからといって専門性の聖域に閉じこもっていてはどうにもなりません。情報化社会において、目まぐるしく変化する時代のニーズに呼応するセンスを身につけなければ、学内の研究・制作活動を保証する大学の経営そのものが傾いてしまうのですから・・・大学関係者には難しい時代ですね。

小井土先生は、魅力的なアトラクションをずらりと並べた大学のアミューズメント・パーク化を踏まえて、「全入学時代において、4年間の学部時代よりも、その次の段階の〈大学院・博士課程〉での学びが、これまでの〈大学〉に相当する高等専門教育に該当するでしょう」とおっしゃっていました。なるほど。学部の4年間が、ほぼ高校の延長上にあるのならば、受験生向けの「大学」広告と、制作・研究活動の高度化を並走させる鍵は、大学院教育の充実にかかっている、ということです。

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上の写真は本学大学院の授業風景です。「大学院レヴュー」といって、院生たちが、日頃の制作・研究の成果を学内各所にコンセプトシートとともに展示し、3日間にわたって、順次作品の前でのプレゼンをおこなっているのです。指導教官が進行役を務め、作者による10分程度のプレゼンの後、様々な学科コースの教授が、自由なスタンスで批評をしていきます。勿論、学生同士でも意見交換は活発におこなわれています。

はじめてレヴューに参加したとき「自分が院生だった頃にこんな機会があったらどんなによかったろう!」と思いました。コース内の講評会では、同じ領域だからこそ理解し合える微妙な差異にまつわる指摘に終始しがちで、クリエイションへの根本的な姿勢を問われたり、他メディアへの展開の可能性についてアドバイスをもらえる機会はあまりありませんから。
また、プレゼンには院生だけでなく他学年の学生たちが多く聴講しています。それはこの会が、蛸壺化しがちなアトリエ中心の生活において、自分のポジションを客観的に見極めることのできる、ある種の「モノサシ」のように作用しているからだと思います。

僕が受けた大学教育(油絵)は徹底的な放任主義でした。「どうせ100人中アーティストとしてやっていけるのは1人でるかでないかの世界だから」を常套句に、教授はほとんど何も語りませんでした。学外に出るしかない僕たち学生は、作品ファイルをギャラリストに売り込んだり、在野の批評家筋と交流したりして、かえって鍛えられはしましたが、やっぱり「大学院レヴュー」のように、大学がきちんとした批評の場を設定し、教員がまとまって指導している光景は羨ましく思います。
それぞれの専門領域における経験値を根拠にしながら、現代社会におけるアートやデザインのあり方を議論する知的な関係ないしは空間。大学院レヴューの真剣な集いのかたちに、「大学」本来の魅力を感じました。

全入学時代は大学にとって冬の時代には違いありませんが、日本の「大学」や「美術教育」の質を高め、存在価値を再構築する、いい契機なのかも知れません。

美術館大学構想室学芸員/宮本武典

■写真上下:西雅秋氏『彫刻と人/Nishi Masaaki1946-2005』講義風景
 (2006年6月29日17:30〜19:30/加藤芳彦撮影)
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29日の西氏の特別講義は、「彫刻とは何か?」そして「自分自身が生きてここに在るとは?」との問いから照射するように、自らの作品群に解説するかたちで進められました。
それから、自身のアイデンティティー(および作品)に深く根ざしているという、広島の原爆と戦後の暮らしの記憶のこと。また、世界各地に埋めてきたという銅板によって、いつもつながっていたいと願う、その土地の名もない人々の暮らしについて。
そこには飯能の山で、制作活動を軸に、世界と自然の声に耳を傾けながら、この混沌とした時代にあって「まっとうに生きる」ことを愚直に追求し続ける彫刻家の姿がありました。

終了後、客とアルバイトスタッフが、皆この大学の関係者という飲み屋で、僕も学生たちも、将来への不安に駆り立てられるように、また自ら回答の留保をタナに上げて、ついついゲイジュツから恋まで、「西さん、西さん。何が大切ですか。何が無駄ですか」と、生きることの一から百まで、問いかけていました。すると「そんなに質問ばかりしていちゃあ、駄目だよ。問う前につくれ」と返されて、一同、心地よい沈黙・・・。
講義の最後に、「自分が学生だった頃、こうして大学に話しに来てくれた先生が、最近どんどん亡くなっている。君らもあと何十年かしたら、新聞の活字で、西雅秋の死を知るだろうな。これらの金属の塊(作品を指して)も、土に埋めて、時や自然のなかに溶解してしまえばいいと思ってる」と語っていた西さん。
けれども、学生たちに囲まれた和やかな酒席でだけは、「この瞬間に乾杯」とボソッと呟いて、コップを掲げていました。

美術館大学構想室学芸員/宮本武典

※秋に本学で開催される西氏の個展タイトル『西雅秋-DEATH MACTH2006-(仮称)』を、今回の特別講義から『西雅秋 -彫刻風土-』に改題します。
■写真上:ギャラリートーク風景/12メートルをこえる大作『イグアス(ブラジル)』の前で
■写真下:ギャラリートーク風景/図書館内に展示された『三春滝桜』の前で
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松本哲男展終了

建学以来、初の京都造形芸術大学への巡回展となった『松本哲男展-鼓動する大地-』が、先月20日に無事終了しました。(※詳細はHPアーカイヴで)
松本先生の学長就任にあわせての開催だったこともあり、地元山形の関心は高く、新聞、雑誌、テレビに大きく取り上げられ、2週間の会期で5千人を超える方々に来館いただきました。
「滝」「桜」「初期の代表作」など、異なるテーマ設定の展示会場を、学内3カ所のギャラリーに分散させての展観でしたが、来館者の方々がリーフレットを片手にキャンパス内を行き交う様子は、『美術館大学』の一つの基本モデルを示すことができたと考えています。山形会場では先にご紹介した展覧会カタログも完売しました。
松本学長が今回の展示に込められた思いは、6月号の『月刊ギャラリー』(http://g-station.co.jp/HTML/mgallery/index.html)に大きく紹介されています。ぜひご一読ください。編集者の大木さんは山形の会場まできてくださり、丁寧な取材をしていただきました。

京都展オープニングでは、ソウル在住のサックス奏者・姜泰煥氏による即興演奏『駆け上がる水』が、巨大な滝の絵画作品に囲まれたギャラリーでおこなわれました。描かれた滝に「純粋な精神の作用を感じた」と語った姜氏による腹の底から泉が無限に沸き出してくるような循環呼吸奏法に、約300人の観客が聞き浸りました。
その後のプログラムでは、宗教学者で京都造形芸術大学教授の鎌田東二氏と松本学長のトークもおこなわれ、「滝」をめぐる自然と人間の身体的・精神的な交感が、ユーモアを交えながら語られました。
京都展では、学生中心に2千人の方々に見ていただきました。

美術館大学構想室/宮本武典

写真:『Roots and Route/1999-2004』宮本武典
2005年2月、INAX GALLERY2での展示風景
アクリルにマウントしたカラープリント、鏡、木製の棚/サイズ可変

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私事ですが、個展のご案内です。
先に紹介した「松明堂ギャラリー」を中心に、国分寺周辺で着実な活動を続ける若いギャラリストと連携して、新作を含むここ2、3年の作品を再構成する機会を得ました。


■『宮本武典展 vol.1 -fig-』
会場:switch-point
会期:2006年3月2日[木]〜3月14日[火]
〒185-0012東京都国分寺市本町 4-12-4 1F tel + fax 042-321-8956
http://www.swich-point.com info@switch-point.com
開廊時間:12時〜19時(但し最終日は17時まで)水曜日休業


■『宮本武典展 vol.2 -愛の風景-』
会場:松明堂ギャラリー
会期:2006年3月2日[木]〜3月14日[火]
〒187-0024東京都小平市たかの台44-9 松明堂書店地下
tel:042-341-1455 fax:042-341-9634 http://shomeido.jp/gallery
開廊時間:11時〜19時(但し、イベントによっては開廊時間を変更する場合があります)


■『宮本武典展 vol.3 -Paris, winter, 2004-』
会場: cafe.bar.gallery.Roof
会期:2006年3月2月[木]〜19日[日]
〒187-0012東京都国分寺市本町3-12-12 tel:042-323-7762
http://www.roofhp.com roof@sunny.ocn.ne.jp
開店時間:12時〜24時 毎週水曜日定休(水曜日が祝日・祝前日の場合は営業)

*gallery tour + opening party:
2月4日[土]16:30-21:00(松明堂ギャラリーからスタート)
作家による作品解説とともに3つの会場を巡り、その後、国分寺のギャラリー・カフェ「Roof」でささやかなオープニングパーティーを開催いたします。
このブログをはじめるにあたり、担当者としてまずは正直な気持ちを。
ここで、ここから、様々なジェネレーション、性、社会的立場、アートに対する認識のレベルなど、当然ながらまったく別個で未知、かつ不特性多数の対象に対して「書く」ことに戸惑いを感じています。

ブログや掲示板に氾濫する「語り」の、首筋にマトワリツクような粘っこいテンションに違和感を感じ、ネットの世界からいかに遠く、「時代の感性」なる代物からズレて生きていくかを思案し続けてきた僕です。

ですから、サイバー上の仮想広場で、今この瞬間、僕は誰に向かって語っているのかを考えると、かなり気後れしてしまうのです。
それは畏るべき父かもしれない、喧嘩中の愛妻かもしれない、ツナギ姿の学生かもしれない、カウンターに佇む司書・佐藤さんかもしれない、宇部でクリーニンング屋を継いでいる絵筆を捨てたかつての親友、かもしれないのですよ。

近代以降の芸術が、写真の発明により再現性の意味を変換し、見る事のできない心象の描写へと、具現化の対象を移行させたのにしたがって、「さて、とう分かりあえるか?」との問いは、すでにアートの大前提として、真白いキャンバスの上で恨み節のように渦巻いています。

時代が、いかに便利なコミュニケーションツールを生み出そうとも、アート・デザインは、常に「美をもって理解しあい、分かち合う」ことを深く思考しつづけるでしょう。
何よりも僕自身が安直な主観の垂れ流しに走らぬよう、心を引き締めなければ。

***

さて、芸工大の学生さんたちに対象をしぼっていえば、せっかく僕らはこの山形で、少なくとも1キロ圏内でキャンパスライフを送っているのですから、よかったら顔を見ながらおしゃべりしましょう。
学食で100円のコーヒーを飲みながら、現在制作中の作品のことや、生まれ育った街の特産品のことなどについて、意見交換をしましょう。
このページでは、なるだけ、その出合いや対話(人とであったり風景とであったり、芸術作品とであったり)の素敵な余韻を伝えるために、慎重に、丁寧に綴っていきたいと思います。

はじめからちょっと長くなりました。
少し緊張がほぐれてきました。
とにかくはじめてみますので、このブログ、今後ともよろしくお願いします。

美術館大学構想室・学芸員/宮本武典