つれづれなるままに

▼5月9日(土)     忌野清志郎

この人が天国で先に待っていますから安心して。





イマワノ清志郎氏が亡くなったようです。

今日が告別式だそうです。



彼とは同年代ですからこの年で亡くなるというのは何となく気になりますね。



RCサクセション時代から知ってはいますが、昔はそんなにメジャーな存在ではなかったし、

自分も彼の音楽がそんなに気にかかるほどでもありませんでした。




昔の”僕の好きな先生”という曲位しかあまり知らないので彼のことは良く分かりませんが、

化粧してステージに上がったり、派手な衣装でテレビなどで見かけるぐらいで、

もともとそんなにメジャーな存在でもなかったので、

これだけ彼が亡くなってこれだけ騒がれるのが不思議なぐらいです。




彼についてはずっと以前からちょっと思っていたことがありました。



それは彼の芸名のことです。



まあ、あの時代は学生運動も下火になってフォークが出てきたという時代だったから、

RCサクセションが体制反体制というくくりだと、

あの頃は、誰でも若者は、世の中に対して疑い、

体制に真っ向から反発するという時代の流れがあったという背景がありました。



だから彼の芸名もふざけて付けたのだか、本気で付けたのだか分かりませんが、

「今わのきわ」という意味をもじってつけたのでしょう。



でも、一時的にふざけるぐらいなことは、まぁ良いとして、その時代ですからね。

あの名前をずっと使うということに、他人のことですがなんとなく気にはなっていました。




だって「今わの際」という意味は「死に際」「臨終」「最後のとき」という意味だからです。



私は言葉というのはそれなりに力を持っていると信じるほうなので、

いくらふざけてつけたとしても「死にぎわ」と付ける神経が理解できません。



例えば、新品のタオルがあったとして、

片方にはマジックで「ぞうきん」と書いてあり、

片方には「タオル」と書いてあったら、

誰だった同じもののように見えたとしても、

「ぞうきん」と書いてあるほうで顔を拭く人はいないと思うのです。



具体的に言っても言葉の持つ意味というのは重要なのですが、

それ以上に心から吐く言葉は現実の世界で実際に形となって現れると私は思うのです。




だから、否定的な言葉は、その言葉を吐く本人に否定的な人生を引きつけるのです。

潜在意識へ水滴を一滴一滴ためるように長い間にそうとうな影響を与えてしまうのではないでしょうか。



ブッダは心に思ったことは二つの矢になって飛ぶと言っています。

どんな言葉、感情も、相手と自分の両方に矢は飛び、それぞれの心の奥にいまわれてゆく。


そしてそれは引っ返してくるか、

1、私たちの運の勢いが弱ったときとか大病をしたとき、

2、自分の人生の分かれ目、大事な仕事上の節目みたいなときに、

どっと返されることになると言っているのです。



だから私はなるべく否定的な言葉を吐かないで暮らそうと意識しています。



だから芸名が「今はのきわ」という”死にぎわ”を連想させるような芸名で、

この人大丈夫なのかとずっと思っていたのです。



数年前から病気だったそうですが、

そんなことが長年に渡って影響してきたのではないかと勝手に想像してしまいました。




清い魂で「魂キヨシロー」とでもつけたら良かったのではと勝手ながら思います。


けして死者にむち打つというつもりはありませんが、

あの若さで亡くなられたことがもったいないという意味ですので誤解のないように。



イマワノキノシローさんがあの世で安らかにお休みになりますようにm(__)m



画像 ( )
2009.05.09:mukai

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