斎藤親盛(さいとうちかもり)

 慶長八年(1603)~延宝二年(1674)
 斎藤廣盛の子。清三郎。母は東禅寺勝正の妹という。最上家親に近侍して偏諱を賜り、親盛と名乗った。最上家改易後、父とともに越後に赴くが、そこで父は急死してしまったため、親盛は江戸に出て医者になったという。文学の才能があり、如儡子の号で仮名草子の傑作とされる「可笑記」等を発表した。

2017.07.18:mogapro:[ ◇最上家家臣団(さ行)]