成沢道忠(なりさわみちただ)

 生年不明~没年不明

 氏家守棟の従弟という。名は道仲とも。成沢城主5千石とされる。庄内余目の安保氏を攻めたときには先陣の大将を務めたという。慶長出羽合戦の際は、畑谷城落城の知らせを聞いた最上義光により、山形城三の丸飯塚口の警固に派遣された。のちに最上義康の廃嫡事件に関わり、その際、最上家を退去したのではないかといわれている。現在は、山形市蔵王成沢の三蔵院に子孫から寄進された成沢道忠公像がまつられている。

2016.03.27:mogapro:[ ◇最上家家臣団(な行)]