HOME > ◇最上家家臣団(か行)
草刈虎正(くさかりとらまさ)
生年不明~慶長五年(1600) 志摩守を称す。天童衆。草刈虎之助の子か。慶長出羽合戦の際に、上山城へ援軍として派遣された。山中に伏兵して上杉軍を待ち伏せし、隊列が延びたところを奇襲、大将・本村親盛を討取り、上杉軍を壊滅状態に追い込んだ(物見山の戦い)。勢いに乗じて、上杉側の拠点・中山城に攻め込んだが、上杉鉄砲隊の反撃を受け戦死した(広河原の戦い)。
2017.05.30:mogapro:[ ◇最上家家臣団(か行)]
加藤清次(かとうきよつぐ)
生年不明~慶長五年(1600) 悪戸楯(山形市村木沢悪戸)楯主。伊達政宗の母・保春院(義姫)の警護役を務めた。親友の江口光清が畑谷城で討死したことに憤激し、長谷堂合戦に参陣したが、長谷堂城の北方で戦死。また、畑谷城にて光清の自害を見届け、これを山形城の最上義光に報告したとも伝わる。
2017.05.11:mogapro:[ ◇最上家家臣団(か行)]
熊沢主税介(くまざわちからのすけ)
生年不明~没年不明 最上義光旗下・五十挺組の足軽大将として谷地城攻めに参陣する。「最上記」にその名がみえる。
2013.12.19:mogapro:[ ◇最上家家臣団(か行)]