徳川300年の安土桃山・近世は、古典の上でも、懐かしいような身近な分かりやすさが
感じられる今日この頃となりました。 五月雨を集めて速し最上川 五月雨や大河を前に家二軒 前者芭蕉のあとを旅した蕪村の奥の細道絵巻と言うのか、 できれば、画集なりでも手にしたいところです。 では、該当句が、紀行のどこにどういう文と出てくるか、 其れさえ把握しておりませんので、棚から下ろして読んでみます。 ところで、最上川とは、吾妻山を源流とし、山形市を抜けて 北山形で(どこ)西にカーヴし、酒田港・日本海へ向かうのでしょうが、 いくつかの支流も当然把握したいところですね。 その他、最上川のいろいろは、まさに、ありまsぢょう。 芋煮会は、ちょっと謎、山形起源となっています。 舟運、これが、近代以降と違う点ですね。ダムやなんかでは、 舟運が不可能になり、鉄道と陸運が、発達し、河川交通は全滅でしょう。 しかるの近世及び以前、(まあ、「おしん」の頃までは、いくらか、) 舟運、廻船は、大変なものだったのですね。 冬でも、凍らない。! 最上氏は、最上地方の家柄ですべえ。 といったことで。ではでは。個人的開陳でした。 |
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において可能です。
独立国家ともあろうものが
制度の改革に散り組めないのは
属国(植民地) に成り果てた七十年の
青春の牢獄のけっかです。笑い
よろしく。