目加田経営事務所

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ビジネスを通じて、雇用を拡大し、文化的な生活を送れるように世の中を豊かにしてゆくことは本当に素晴らしいことです。その貢献に対して社会から還元していただいたものが利益で、その利益をさらに納税と投資と雇用によって社会に再度還元してゆく。このサイクルを永久機関のように回してゆく事ができるのがビジネスです。

ところが、今話題になっている東京電力の値上問題は値上げやむなしという多くの人の善意を悪用したともいえるやり口ですし、AIJの年金資金消失疑惑は調べもせずに投資した年金基金の担当者の自己責任だと言わんばかりの態度で社会から歓迎して受け入れられる善循環とはどうもイメージが異なります。
それはなぜなのかと考えた時、「利」と「義」の関係が崩れた時に起きるビジネスが内在している負の局面が表面化したからだと思います。

「利」という言葉から連想されるのは、利益、便利、権利、欲得、儲け、資本主義、自分勝手、物質的、享楽的、経済、金融、ビジネス等さまざまな意味があり、社会に貢献するポジティブな意味にも、なんとなく利己的で打算的なネガティブなイメージにも取れます。
利を追求してゆくとこれで良いという限界がありません。際限なく追及して止まない性格を持っています。国内市場の成長が止まれば、国外にも広がってゆき、さまざまな摩擦を起こしつつも成長してゆかねば成り立たない本能があるのです。
それをセーブする機能が「義」という概念です。

では「義」という言葉からはなにを連想されるでしょうか。正義、義理、義務、倫理、道徳、主義等でしょう。簡単にいえば、世のため人のために役立つ。お役立ちという意味を連想できます。「利」と「義」の関係を昔の人は上手く表現しています。「義は利の本、利は義の和」(春秋左氏伝)。また「利によって行えば怨多し」(論語 里人)とも言っています。

「利」のベースに道徳ともいえる「義」が無ければ、「利」は行き詰まると言うのです。成長がとまると資本主義が行き詰まるように、常に拡大成長をしなければ成り立たないのが「利」の世界だと言えます。しかし、「利」の本に「義」があると成長してよい、成熟してよしの状態になり、調和のとれた社会を築けることになります。
だから、企業経営に哲学や理念が無ければならないというのはそのためです。今一度、「利」と「義」について考えてみましょう。

目加田博史
2012.03.30:目加田博史:count(596):[メモ/レポート]
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