目加田経営事務所

▼【明治の活力に学ぶ】

京都の東山にある全長19Kmに及ぶ琵琶湖疎水や587mの長さをもつインクライン(船を運ぶ傾斜鉄道)は明治18年に着工され、明治22年に完成した日本最大の工事でした。その工事の指揮を一手に任された田辺朔郎氏は、工部大学(現:東京大学工学部)を卒業したばかりの21歳の若者でした。それを一任したのは45歳の京都府知事北垣国道氏でした。総工費は125万円で当時の京都府の年間予算2年分に相当する莫大な金額でした。この活力が国の若さと言えます。

当時では大きな工事や建築物はほとんどが外国人の手によってなされていますが、この琵琶湖疎水工事は、日本人だけの手で行われた初めての大規模土木工事でした。
高知県令、徳島県令を経て京都府知事として着任した北垣国道は、東京遷宮宮により寂れた京都の活気を何とか取り戻そうと、琵琶湖の水を京都にひいて産業を興すという計画を立て、工部大学校の校長の大鳥圭介に相談したところ、紹介されたのが、田辺朔郎だったのです。

京都は三方を山に囲まれた盆地にあり、水運に恵まれず、流通も発達していなかったため近代的な産業らしい産業が育っていなかったのです。そのためには、琵琶湖の水を京都にひいて、産業を興そうと計画したのです。このプランは豊臣秀吉も挑戦したそうですが、あまりの難工事でとん挫したようです。
莫大な予算の財源は補助金だけでなく全市民を対象に目的税を課して工面したようです。水利権の問題で滋賀県や大阪府の反対に会い、土木工事の技術的な問題は外国人技師から反対され、途中で中断しそうになりながらも成し遂げたのです。トンネル工事では当時では夢物語で不可能とも思われた工法に挑戦し、成功させました。

次第に、市民の協力も得られ、さまざまな事業が動き出しました。そのうちの一つが市電を走らす構想です。市電で使う電力は琵琶湖疎水を利用した水力発電で賄うという構想です。当時は水力発電はアメリカ アスペンでしか例がなく、京都の琵琶湖疎水を利用した蹴上発電所が世界で2番目です。自前の電源を利用した日本初の市電が京都の名物になります。

このように、京都府知事が従来にない発想で地域活性化策を立案し、その実現のために、アイデアを持っている若い人材を活用し、さまざまな利害関係者を説得し、調整し、納得させて、事業を成し遂げるスケールの大きさと大胆さは大いに見習わねばならないことだと思います。
2012.01.31:目加田博史

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