「新興跡地」へのふるさと納税の充当を改めて、否定~あきらめるのはまだ、早い!!??

 

 「(市民サイドから要望のないような)例えば、新興製作所跡地の利活用にふるさと納税(イ-ハト-ブ花巻応援寄付金)を充当するつもりはない。むしろ、必要性のないものには使うべきではないと言いたい」―。13日開催の花巻市議会9月定例会の決算特別委員会で、上田東一市長は本舘憲一議員(はなまき市民クラブ)の質問に対し、語気を強めてこう答弁した。この件に関連しては9月6日付当ブロブで、一般質問のやり取りを受け、「『城跡』」の一部取得に含み」と題して掲載した。上田市長はなぜこれほどまでに取得に否定的で、その根拠として「市民の意向」をことさらに言挙げするのか。

 

 当時、「新興跡地を市民の手に」という市民の声がいかに強かったか。当時の熱気を当事者の上田市長が知らないはずはあるまい。「市民、市民」という割には市当局が現在に至るまで、「新興跡地」問題に関するWS(ワ-クショップ=意見集約)や市民アンケ-ト調査を実施したという話は寡聞(かぶん)にして聞かない。当時の新聞各紙にも取り上げられた「跡地ブ-ム」の光景を思い起こす意味で、7年以上前の当ブログの記事をそのまま、転載したい。タイトルは「新興跡地を市民の手に!!??あきらめるのはまだ早い」市民総決起大会―。この総決起大会の1週間後、上田市長は正式に取得を断念した。「自分の”失政”に触れられたくないから…」。そのかたくなさを見ていると、逆にこっちの方が勘繰りたくなるではないか。

 

 

 旧新興製作所の跡地売却をめぐる協議期限が2週間後に迫った12日、「新興跡地を市民の手に!!あきらめるのはまだ早い」市民総決起大会が花巻市内で開かれた。会場のまなび学園中ホ-ルには立錐の余地がない200以上の市民が詰めかけ、関心の高さをみせた。成り行きを心配する新興製作所OBの姿も目立ち、「こんな形で第三者の手に渡ってしまっては当事者としても心苦しい。公共用地に戻すよう最大限の努力をしたい」と口をそろえた。

 この日の大会は花巻中央地区コミュニティ会議の藤本純一会長、花巻中央地区振興協議会の上関泰司会長、新興跡地隣接住民代表の医師、冨塚信彦さんの3人が呼びかけ人となって開催にこぎつけ、①当面は「東公園」部分の取得を優先させながら、同時に跡地全体の取得も視野に入れた官民一体の支援体制を構築する、②(仮称)「城跡保存条例」の制定を促し、花巻城址の利活用について広く民意の集約に努める、③市民の「参画・協働」意識を定着させるため、物心両面の持続的な運動を展開する―の3点の決議を満場一致で承認した。

 花巻市当局は現在、花巻城址の心臓部に当たる旧東公園部分の買い取り協議を続けており、その期限は今月26日。大会では「新興製作所『跡地』問題を考える市民の会」(準備会)の立ち上げも承認され、今後の交渉の推移を見ながら、正式発足のタイミングを探ることになった。当面はこの日承認された3項目の決議の実現方について、花巻市長、花巻市議会議長、花巻商工会議所会頭に対し、要望書の形で提出することになった。

 「話しているうちに興奮してきた。やらなくちゃという思いが込み上げてきた」―。来賓あいさつの先陣を切った医師の渡辺勤さんは最長老の89歳。全国で初めて全額地元負担で誕生した新幹線誘致運動をともに戦い、その感動の記録を『新花巻駅物語り―甚之助と万之助』にまとめた。「あの時の思いもそうだった。歴史を生きるということは未来のために何か大切なものを残すということ。目の前の新興跡地問題がまさにそれなんです」と渡辺さんは噛んで含めるように語りかけた。

 「花巻の文化を愛する市民の会」の秋山潔会長がマイクを握った。「四角山の消滅、鐘つき堂の移転、堀の埋め立て、土塁の取り壊し…。受難続きだった花巻城にとっては今回の売却計画こそが究極の破壊につながる」と語気を強めた。新興製作所OBの上村正三郎さんと橋本孝夫さんがその言葉を引き取った。「東公園での花見の光景が今でも目に浮かぶ。その財産を市民の皆さんにお返ししなくては」(上村さん)、「急転直下の今回の報道には本当にびっくりした。力の限りを尽くして公共の地に戻したい」(橋本さん)…。

 「医者の悪い癖でいつも最悪のシナリオを考えてしまうんです」と呼びかけ人の一人で跡地の隣接地で開業している冨塚さん。跡地内には16棟の建物が建っている。仮に今回の売却先が当初予定の通り、仙台市内の不動産業者に決まった場合、すぐに解体工事に入る意向を示している。「万が一、資金繰りに困って工事が中止になったりすると、アスベスト公害や中心市街地に産業廃棄物が放置されることにもなりかねない。そんなことを考えるとゾッとする」と別の視点から警鐘を鳴らした。

 参加者たちは「跡地」問題が抱える様々な懸念に改めて驚きを隠せない様子で、終始、身を乗り出すようにして聞き入った。「城跡に単にパチンコ店が出店するということだけではない。新興跡地を考えることは将来のまちづくりを考えることだと思う。故郷を失った被災者だからこそ、そのことの大切さが痛いほど分かるのです」。東日本大震災で被災し、気仙沼市から当市に転居した日出忠英さん(73)はそう語った。市民総決起大会は以下の決議文を万雷の拍手で承認した。

                        【決議文】

 花巻市の中心部に位置する「新興製作所」跡地が地元とは縁のない第三者の手に渡ろうとしています。かつて、この場所には花巻城があり、明治維新による城の払い下げ以降は「東公園」として市民の憩いの場となっていました。その後、戦中・戦後にかけて東京・蒲田にあった新興製作所(谷村新興)が東公園に戦時疎開し、花巻の戦後復興に大きな貢献をしたのは市民周知のところです。

 平成19年、新興製作所は花巻第1工業団地に移転し、跡地は手つかずのままになっていました。ところが、昨年12月17日になって「公有地の拡大の推進に関する法律」(公拡法)に基づいた売却計画が明らかになり、仙台市内の不動産業者が当該跡地に遊技施設(パチンコ店)やホ-ムセンタ-などの立地を計画していることが分かりました。

 「公拡法」によると、地方自治体などが「公共用地」として取得を希望する場合、3週間以内は他との契約行為はできないことになっています。花巻市当局はこの規定に従い、1月6日付で新興製作所に対し、東公園部分の買い取り協議の申し入れをしました。その期限は今月26日に迫っており、交渉の行方は予断を許さない状況にあります。

 東公園があった三の丸には花巻の礎(いしずえ)を築いた194人の先人の名を刻んだ「鶴陰碑」が建立されるなど歴史的にも由緒ある土地として、今も市民の記憶の中に生き続けています。その底流には当市出身で北海道帝国大学の初代総長、佐藤昌介博士が賞賛してやまなかった「花巻魂」が脈々と流れています。

 今からちょうど30年前の昭和60年3月、全国で初めて全額地元負担で開業にこぎつけた「請願駅」―東北新幹線の新花巻駅が誕生しました。現代版「百姓一揆」と呼ばれ、「1%の可能性」にかけた住民総ぐるみの誘致運動の光景がまだ、まぶたに焼き付いています。その先頭に立った、故小原甚之助さん(東北新幹線問題対策市民会議議長)の言葉をここに紹介し、市民総決起大会の総意としての決意表明とします。

 「あきらめるのはまだ早い。駄目か、駄目じゃないか、やって見なければ判らない。花巻百年の大計の為に、我われの子孫の為にもう一度やろうじゃないか」(渡辺勤著『新花巻駅物語り―甚之助と万之助』より)


 

 

 

(写真は身じろぎもしないで来賓らの話しに聞き入る参加者たち=2015年1月12日、花巻市花城のまなび学園で)

 

 

 

2022.09.13:masuko:[ヒカリノミチ通信について]