賢治、慟哭!?…学会の正体みたり(上)

  • 賢治、慟哭!?…学会の正体みたり(上)

 こともあろうに、国内外の賢治研究者らが名を連ねる「宮沢賢治学会イ-ハト-ブセンタ-」(富山英俊代表理事)が、“賢治精神”の実践を目指す地元愛好家の呼びかけに「待った」をかけるという前代未聞の騒動が賢治のふるさと―岩手・花巻で巻き起こっている。「夜郎自大」(やろうじだい)ともいえる学会の権威主義が鎧(よろい)の下から、チラリとその正体を垣間見せたというわけである。「賢治」に背を向ける「宮沢賢治学会」とは一体、どんな組織なのか。銀河宇宙のかなたで嘆き悲しむ賢治の姿が目に浮かぶ。おそらく、賢治自身が一番嫌うであろう、この騒動の顛末(てんまつ)とは―。

 

 「大槌の子どもたちを支援してください。東日本大震災にも負けず、健気(けなげ)に頑張っている東の子どもたちのために募金して下さいませんか」―。そのチラシにはこう書かれていた。「東ニ病気ノコドモアレバ/行ッテ看病シテヤリ」というくだりが宮沢賢治の詩「雨ニモマケズ」の中にある。「3・11」によって、壊滅的な被害を受けた三陸海岸の港町・大槌町はちょうど、賢治の生地・花巻の東方に位置している。あれから6年あまり…震災の記憶が風化する中、私自身もその会員である「宮沢賢治・花巻市民の会」(阿部弥之会長、会員約30人)は今年の夏、総意で支援計画を決定。9月22日から2日間にわたって開かれる学会の定期大会での協力を申し出た。「まさに時宜を得た企画」―こんな返事を期待していたのだったのだが…。

 

 「宮沢賢治学会イ-ハト-ブセンタ-定期大会の際の募金活動について」(平成29年8月10日付)と題する代表理事名の回答書は…改めて事業計画書の提出を求めたうえで、①物品販売などを除いた募金に限定する、②定期大会参加者への周知は休憩時間を充てる、③募金活動は9月22日のみとする―などの前提条件を付していた。「学会執行部の後ろ向きな姿勢を問う」という見出しで、市民の会の会報「おっほ便り」(9月1日発行)は「まるで門前払い。執行部は復興支援に無関心なのか」と疑義を呈した。当然のことである。しかし、事態はまるで予想もしない方向に展開した。会報の記事は事実無根だとし、今度は「訂正と謝罪」を要求。挙句の果ては謝罪文を期限までに提出しなかったという理由で、募金活動まで締め出してしまったのである。

 

 「アラユルコトヲ/ジブンヲカンジョウニ入レズニ/ヨクミキキシワカリ/ソシテワスレズ/…/東ニ病気ノコドモアレバ/行ッテ看病シテヤリ/西ニツカレタ母アレバ/行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ/南ニ死ニサウナ人アレバ/行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ/北ニケンクヮヤソショウガアレバ/ツマラナイカラヤメロトイヒ」―。「雨ニモマケズ」の中で、賢治は受難者に寄り添うことの大切さを「行ッテ」と直截(ちょくせつ)に表現している。この「行ッテ」精神こそが賢治の思いを象徴する言葉である。事実、東日本大震災に際してはこの言葉に背中を押されたボランティアが被災地を目指し、英訳されたこの詩が全世界の追悼の場で朗読された。

 

 今回の支援活動の先頭に立った、在野の賢治研究者である鈴木守さん(市民の会)は呼びかけ文にこう記した。「東日本大震災が起こった頃、あちこちで『雨ニモマケズ』が引き合いに出されました。『賢治精神』を訴え、その支援に大いに資することになったと思います。しかしそれから6年が経ち、被災地のこともその支援についても次第に私達の意識の中からは遠ざかってしまっているという事実も否定できないと思います。そこで、本年度の賢治学会総会の際に『賢治精神』をちょっとだけですが実践し、三陸の被災地を支援したいと思うのですが如何でしょうか」(6月14日付「『賢治精神』プチ実践について」提案)―。私自身も震災直後、仲間と支援組織「ゆいっこ」を立ち上げ、趣意書(要旨)にこう書いた。

 

 「肉親の名前を叫びながら、瓦礫(がれき)の山をさ迷う人の群れ。着のみ着のままのその体に無情の雪が降り積もる。辛うじて一命を取りとめた被災者の身に今度は餓死と凍死の危機が迫りつつあります。もう、一刻の猶予(ゆうよ)も許されません。岩手・花巻が生んだ宮沢賢治は人間のおごりを戒め、『いのち』のありようを見続けました。この『結いの精神』(ゆいっこ)は、ひとことで言えば『他人の痛み』を自分自身のものとして受け入れるということだと思います。何をやるべきか、何をやらなければならないか―。走りながら考え、みんなで知恵を出し合おうではありませんか。試されているのは、わたしたち自身の側なのです」

 

 ささやかで真っすぐな願いは「宮沢賢治学会」の名のもとに踏みにじられた。かつて『宮沢賢治殺人事件』(吉田司著)という物騒なタイトルの本が出回った。今回の騒動の一方の当事者が実はその下手人だったとしたら…。賢治の慟哭(どうこく)が天空からもれ聞こえてくる。「市民の会」は今月15日に開いた緊急臨時総会で、改めて学会側の真意をただすことにした。なお、鈴木さんは一連の経緯について、自身のブログ「みちのくの山野草」の中で、詳しく報告している。

 

http://blog.goo.ne.jp/suzukishuhoku/e/aef0b3f55406a749d5883aed18946d0f

 

(写真は当時の町長ら職員40人が犠牲になった大槌町の旧役場庁舎。保存か撤去か―をめぐって議論が続いている=2011年4月4日、大槌町で)

 

 

 

 

2017.11.18:masuko:[マスコラム]

賢治、慟哭!?…学会の正体みたり(上)

私は鈴木守君と盛岡での学友です。
彼から上記のブログの紹介がありました。
今回の支援活動への反感は
彼が『宮沢賢治学会イ-ハト-ブセンタ-』の理事会にとり不都合な真実に取り込んでいると思ったのでしょう。(理解不能、事実このようなことはよくあることだが)「賢治」の世界を研究している人たちがまったく[イ-ハト-ブ]ではないと思います。
神奈川県の平塚市に住んでいる私ですが、増子善久議員さんには今後とも「市民の会」を強力にご支援をお願いします。
増子善久議員さんのご活躍を期待しています。2017/11/19 渡部雅幸
2017.11.19:渡部雅幸:[編集/削除]

宮沢賢治学会イ-ハト-ブセンタ-は賢治、清六の番人だ

私は2年ほど前宮沢賢治学会イ-ハト-ブセンタ-の機関誌にエッセーの掲載を応募したが2度掲載の拒否をうけた。①「嘉藤治のチェロ(賢治のチェロ)が清六へ渡った経緯の清六のはがき」②「十字屋書店版『宮澤賢治全集』の「藤原嘉藤治の検印」の現状」の2編である。この学会の豚ボスの牛崎俊哉が今は花巻の「賢治」を仕切っているのだ。賢治、清六に不都合なもの、当人が知らないもの、気にくわないものは一切拒否(編集会議というミノをかぶって)。会員であった東京の『賢治研究』の編集長大島丈志にまで牛崎の手が回っていてこちらからも理由のない掲載拒否を喰った。この学会は膨大な花巻市の予算を使って横暴を極めているのではないか。
上記2編についての短文は https://twitter.com/isiwahaha を参照。
2018.02.23:石川朗:[編集/削除]

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