干天の慈雨とオキナワの魂

  • 干天の慈雨とオキナワの魂

  森友、豊洲、(陸自の)日報、共謀罪…、そして、足元の議会でのギスギスしたやり取り―。ぱさぱさと乾き切った心の砂漠を癒(いや)してくれるのはやはり、言葉の力である。そんな「干天の慈雨」語録を以下にいくつか―。水俣の世界を描いた『苦海浄土―わが水俣病』で知られる、作家で詩人の石牟礼道子さんは東日本大震災6周年の今月11日、満90歳になった。私と生年月日が同じだという親近感も手伝ってか、同書は長年の座右の書である。その石牟礼さんが最近のインタビュ-で「朝鮮桃太郎」について語っている。

 「日本語の濁音を朝鮮の人たちがうまく発音できないのを、からかって唄う歌です。『むかしむかし、おちいさんとおぱあさんがおりました…』。こんな風に、朝鮮の人をバカにしたような歌を父兄会の席で教頭先生のような学校の偉い先生が唄うんです。すると父兄の人たちも一緒になってそれを真似て、歌い、踊っていました。もう、やんやの喝采です」(「週刊金曜日」3月17日号)。代用教員時代のこの体験について、石牟礼さんはこう語っている。「…『朝鮮桃太郎』のような歌を聞いたり、教科書に墨を塗る作業しながら、国家とはなんだろう、人間とは何だろうと、いつも考えていました。それが私の生涯のテ-マにもなりました」

 石牟礼さんはこう続ける。「人類、あるいは人類愛といった言葉は、聞こえはいいけれど、はたしてそれを言う資格が自分にあるのだろうか、と、いつも考えてしまうんです。人類と口に出して言う時、なんとなく引け目を感じてしまう。…私の母は、草に『おまえたちは太うなったねえ』と語りかけていました。草も人間と対等で、人間の方が上だという感覚はそこにはありませんでした」、「かつて、水俣では、学校帰りの子どもが道ばたのおばあちゃんに『こんにちは』と言うと、おばあちゃんはその子の目をじっと見つめて、『この子は魂の深か子じゃねえ』と言って、魂をほめてあげたものです。社会的な位ではなく、魂の深さが人の評価の対象だったのです」(同書)…

 この日(18日)のNHKEテレで「今よみがえるアイヌの言霊」と題する特集が放映された。この番組を見ながら、石牟礼さんが20年以上も前に書いた文章をふと思い出した。「日本語の『考える』という言葉をアイヌ語では『魂がゆれる』というのだと知りました。魂がゆれるといえば思い当たります。私たちにまだ残っているあの、語らぬ思いや数かぎりない断念です。たぶんこれは近代的な権利意識とは無縁な、表現以前のデリカシ-です。それが今も、アイヌの地に魂が安らぐ時があって、人は言葉以前に魂同士、あるいは山川草木と共にゆれあっているというのです。あらためて、病としての文明が、わたしたちの感性を覆っているのに思いあたります」(「魂ゆらぐ刻を」)

 「戦争絶滅」を訴え続けたジャ-ナリストのむのたけじさんは昨年8月21日に旅立った。101歳だった。あの世から遺言が届けられた。「私は1915年1月2日に産声を上げました。その日のほかにもう一つ、誕生日があるんです。約700万年前に人類が初めて登場し、自分の足で歩き始めたときです。人類の流れはそこから生まれ、700万歳の私が今いる。そして未来の人類につながっていく」(3月17日付「朝日新聞」再思三考―むのたけじの遺言)―。だから、むのさんはまだ生きている。当年、701万歳。「人類に引け目を感じる」石牟礼さんと「その人類を生き切り、そして生き続ける」むのさん―。時空を超えた2人の生き方こそが干天の砂漠に潤いを与える”慈雨”である。

 と、ここまで書いた時、沖縄の友人からショ-トメ-ルが届いた。「博治さん、保釈決定」とあった。米軍基地建設への反対運動中に逮捕・起訴された沖縄平和運動センタ-議長の山城博治さん(64)=威力業務妨害罪などで公判中=は18日午後8時ごろ、勾留されていた那覇拘置支所から保釈された。福岡高裁那覇支部は同日、保釈決定を不服とした那覇地検の抗告(不服申し立て)を棄却。山城さんは昨年10月17日に器物損壊容疑で逮捕されて以降、身柄拘束が続いていたが、那覇支部の決定によって、逮捕から約5カ月ぶりに釈放された。私が山城さんに会ったのは逮捕される2日前、オスプレイ着陸帯の強行建設が進められる沖縄・東村高江の現場だった。
 
 「魂(たましい)の叫び」という言葉が山城さんにピッタリである。昨年10月中旬、マイクを握る姿を間近に見て、心底、そう思った。顔全体で笑い、顔全体で泣く…。「オキナワの魂」がやっと、帰ってきた。屋根を打つ雨音が心に沁み入る。もう、春は目の前だな。ここ北の大地でも残雪の下から福寿草が顔をのぞかせている―。


(写真は支持者と抱き合って、保釈を喜ぶ山城さん=3月18日午後8時すぎ、那覇市の那覇拘置支所前で、「沖縄タイム」より)


≪追記≫
 石牟礼さんが満90歳を迎えた3月11日、東京でシンポジウム「石牟礼道子の宇宙(コスモス)」(藤原書店主催)が開かれ、民俗学者の赤坂憲雄さんらが語り合った。石牟礼さんは療養中のために参加できなかったが、新聞紙上に次のような談話(要旨)を寄せた。水俣―福島―沖縄を貫くような“魂の響き”が伝わってくる。

 「『もだえてなりと、加勢せんば(もだえることしかできなくても加勢しなければ)』という気持ちでした。何もできない私です。せめて患者さんのそばで一緒にもだえることしかできないと思ったのです。『病まん人の分まで、わたしどもが、うち背負うてゆく』。そう語った患者さんの言葉が忘れられません。みなの暮らしが豊かになる代償として、苦しみをその身に引き受けなさった。それが私でなかったのは、たまたまのことではないでしょうか」(3月22日付「朝日新聞」)



2017.03.18:masuko:[身辺報告]

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