2016年3月11日午後2時46分―

  • 2016年3月11日午後2時46分―

 「神さまのいたずらにしては随分と荒っぽいプレゼントだな」―。5年前の同日同時刻、この日ちょうど71歳の誕生日を迎えた私は議席の下で身を守りながら、観念したように自分に言い聞かせた。「とても偶然とは思えないこの巡り合わせ。もう逃げられないな」…。その頃、三陸沿岸の海岸線は阿鼻叫喚の修羅場と化しつつあった。

 「あの日」から丸5年を迎えたこの日、花巻市議会では前回と同じように予算特別委員会が開かれていた。東日本大震災が発生した午後2時46分―、議員全員で黙とうを捧げた。瓦礫の荒野と化した被災地の光景が早送りのビデオのようにまなうらに去来した。そのせつな、呪詛(じゅそ)のような呻(うめ)き声が耳の底によみがえった。「3人が道に迷わないように…」。その人はそう繰り返しながら、瓦礫のヤマへと分け入っていった。

 大槌町の仮設住宅に住む白銀照男さん(66)は母親と妻、それに一人娘を津波に奪われた。この5年間、いまだに行方が分からない3人の生還だけを祈り続けてきた。かさ上げ工事も終わり、やっと元の場所に自宅を再建するメドがついた。「戻って来てもこれでもう、迷子になる心配はない。だって、3人が帰るところはあそこしかないんだから」

 一瞬のうちに巨大津波に襲われた、その同じ場所への自宅再建にこだわり続けてきた白銀さんの姿に私は人間としての「全(まった)き存在」を見る思いがする。その一方で、宮沢賢治のふるさと―「イ-ハト-ブはなまき」では3・11以降、この未曽有の受難劇に背を向けるような出来事が相次いだ。その経緯をまとめた拙著『イ-ハト-ブ騒動記』の冒頭に私はこう記した。

 「『あの日』から5年がたった。戦後日本の行く末を決定づけるとその時は誰しもが考えていたはずの東日本大震災―まるであの災厄が夢まぼろしでもあったかのように、記憶の風化がいま、加速しつつある。『3・11』以降、この国はどう変わったのか。いや、変わらなかったのか。…賢治は自作の詩『雨ニモマケズ』の中で受難者に寄り添うことの大切さを『行ツテ』と直截に訴えている。本書の中で暴かれた光景の数々はまさにこの精神の対極に位置していた」

 「風の電話」―。海をのぞむ大槌町の高台に電話線のない電話ボックスがある。同じ敷地に住む佐々木格さん(71)が震災の1年前に建てた。震災をきっかけに被災者へ開放され、風に乗せて思いを伝えたいという人たちの来訪が後を絶たない。震災5周年前日の10日、NHKスペシャルで「風の電話―残された人々の声」―が放映された。その中に白銀さんの姿もあった。受話器を取り3人に向かって、こう語りかけた。

 「いま、どこにいる?風邪、引いてないか。早く帰ってこ。元の場所に家を建てるから、早く帰ってこ。おら、あきらめないぞ。何年たってもあきらめないぞ。おら、寂しいぞ」


(瓦礫の上をさ迷いながら、3人を捜し求める白銀さん=2011年4月上旬、大槌町安渡地区で)
2016.03.11:masuko:[身辺報告]

5年目の「3・11」-1

  • 5年目の「3・11」-1
 肉親捜しに疲れ果て、瓦礫に身を委ねて眠りに落ちる白銀さん。こんな姿を何度も目撃した=2011年4月上旬、大槌町安渡地区で)
2016.03.11:[編集/削除]

5年目の「3・11」-2

  • 5年目の「3・11」-2
 みそ汁とご飯だけの朝食を食べる被災者たち。左端が白銀さん=2011年4月上旬、大槌町安渡の安渡小学校(当時の避難所)の校庭で
2016.03.11:[編集/削除]

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