津島佑子さん、逝く

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 「私生児や孤児、障がい者、少数民族、動物のようなマ-ジナル(周縁的)な存在について書く作家であった。虐げられたものへの共感と深い愛情をもつ作家であった。たとえば、フランスの大学でアイヌ文学について講義したこともある」(2月23日付朝日新聞)―。哲学者の柄谷行人さんは2月18日、68歳で亡くなった作家の津島佑子さんをこう追悼した。こうした問題意識のありように興味を持ち、彼女にインタビュ-を申し出たのは20年以上も前の1995年11月中旬のことだった。

 自宅が近くだったせいもあってか、彼女は面談場所に指定したJR巣鴨駅前の喫茶店にサンダル履きで現れた。店内に入ってきた瞬間、鼻筋が通った顔立ちが父親―太宰治そっくりだとすぐに気が付いた。つまりは申し分のない「美女」だったのである。そして、その語り口も父親の作品ににじみ出ている、得も言われぬユ-モア感覚に満ちあふれていた。当時、彼女はユカラ(英雄叙事詩)やカムイユカラ(神謡)などアイヌ口承文学の仏訳本の編集に取り組んでいた。開口一番、彼女はこう言った。

 「『日本文学』がアイヌ口承文学をいかに黙殺し続けてきたか。こんなにも豊かな叙事詩の世界がまるで見えない存在。異様ですよ」。かつてパリ大学で1年間、日本近代文学の講座を担当したことがあった。その時のテキストはアイヌ文化伝承者の知里幸恵が編訳した『アイヌ神謡集』。「修学旅行でアイヌのコタン(集落)を訪ねた時、物珍しげにただ、写真をとることだけに夢中になっていた。その時のことがずっと、心にひっかかっていて…」。遠くを見る眼で彼女はふ~ッとため息をもらした。

 アイヌ民族にとって一番、重要な神(カムイ)のひとつは「火の神」(アペフチカムイ)。和訳すると「火のおばあさん神」という意味になる。これをさらに仏語訳する際の苦労話を披露して、彼女はニッコリ微笑んだ。「アイヌにとって、おばあさんは高齢者というよりは一種の尊称。でも、フランス人の翻訳スタッフは女神は年を取るはずがないって譲らないのよ」―。あらゆる文学賞を総なめにし、ノ-ベル文学賞の有力な候補者でもあった彼女の眼は当然のことながら、「3・11」にも向けられ、それが『ヤマネコ・ド-ム』(2013年刊)として結実した。執筆の気持ちを当時、こう語っている。

 「東日本大震災の後、被災者へのコメントを求められて、言葉が見つからなかった。ぼうぜんとしていました。広島や長崎には敏感でいなくちゃと思っているつもりで、原発に鈍感だった。忸怩(じくじ)たる思い。余震が続く中で思った。今これを書かなくてどうするんだ、と。何が間違いだったのか、知りたいという衝動がある。日本の歩いてきた時間をたどり直したい。人間って愚か。ずっとず~っとさかのぼらないといけないかもしれません」

 柄谷さんは追悼文の中にこう記している。「中上(健次)が私の弟なら、津島は妹だった。…私は反原発デモで、何度か、彼女と一緒に国会周辺を歩いた。そいうことが二度とできないのかと思うと悲しい」。父親の出身地である青森県北部一帯はかつて、アイヌ民族の領域だった。インタビュ-の際、きっぱりとした口調で語った彼女の言葉がまだ、記憶に刻まれている。「父方の系統が津軽半島の人間たちだった。だから、アイヌ民族の存在を無視して自分自身の存在を考えることは到底できなかった」

 文豪、太宰治の次女として生まれたが、父親は1歳の時に自殺している。「アイヌのうた」と題された、日本で初めての仏訳本には約50篇のアイヌ口承文学の作品が収められている。


(写真はありし日の津島さん=インタ-ネット上に公開の写真から)




 
2016.02.27:masuko:[身辺報告]

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