米軍基地とディズニー

  • 米軍基地とディズニー

 24日に投開票が行われた沖縄県宜野湾市長選は同市にある米軍普天間飛行場の「辺野古」移設を進める政権与党(安倍政権)が支援した現職が二選を果たした。「ディズニ-」誘致を公約に掲げる現職の危うさについては6日付当ブログ(「普天間にディズニ-」という深謀遠慮)で詳しく触れた。一方、政治学者の白井聡さん(京都精華大学人文学部専任講師)もこの件について、「嫌な感じ」という表現で鋭く分析している。長文になるが、2
1日付「沖縄タイムス」に寄せられた寄稿文を以下に転載する。

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 24日投開票の宜野湾市長選挙を前に、普天間基地の跡地にディズニ-リゾート施設を誘致しようという話が首相官邸筋などから唐突に出てきたことについては、すでに多くの報道がなされている。この話を耳にした瞬間、私は実に「嫌な感じ」を催したのだが、その後この件についての新たな情報に接する度に、その感覚は強まるばかりである。 すぐにわかってきたのは、この話が雲を摑むようなものでしかないということだ。12月9日には、経営母体となるはずのオリエンタルランド社が「宜野湾市からの要請に関する報道がされておりますが、本件は当社として今後慎重に検討を行っていくものであり、現時点で対応方針など決定している事実は一切ありません」と、公式なリリ-スで述べている。

 市議会で議論されたこともなく、市職員も何も聞いていないと証言していることが報じられるなかで、菅官房長官らの発言だけが異様に突出している。さらには、「ディズニ-リゾ-ト施設を誘致」というと、何か東京ディズニ-ランドやディズニシ-に似た壮大なテ-マパ-クが出現するかのようなイメ-ジが湧くが、よく確認してみると、現実性のあるものとしてはせいぜいリゾ-トホテルとプラスアルファのショッピングモ-ル程度が望めるにすぎない。 2013年の名護市長選の際に自民党の石破茂幹事長(当時)が、500億円の振興基金新設をぶち上げたことは記憶に新しい。選挙が近づくと俄かにこうした巨大案件を浮上させるという点は共通しているが、今回はその具体性・現実性の次元で案件が空疎化していることは明らかであり、自民党政治の一層の劣化を感じざるを得ない。

 だが、この件に関して私が最初から懐いている「嫌な感じ」の根源は、別の所にある。よりによってディズニ-とは……という印象が頭を離れないのである。仮に、ディズニ-リゾ-ト施設なるものが集客を期待できる大規模なテ-マパ-クを意味するのだとしても、それは米軍基地の跡地利用の用途としてふさわしいものなのか。 沖縄米軍基地問題について発言するようになってあらためて痛感するのは、本土の日本人たちのこの問題に対する「他人事」的感覚、無関心である。「申し訳ない」「気の毒だ」と感じている人間も少なくないが、同情もまた他人に対する感情でしかない。本土のほとんどの日本人がわかっていない決定的なポイントは、沖縄の基地問題において現れている暴力と服従の構造は、日本全体が置かれている状況を縮図的に表しているものにほかならない、という事実である。

 いわゆる対米従属の問題全般も、従属の事実がはっきりと認識されている限りでは、さほど不健全なものではない。「主を畏るるは知恵の始まり」(『旧約聖書』)。従属の事実を知る者にはそれ相応の知恵も芽生えるのだ。これに対し、日本の対米従属が世界に類を見ない異様なものであるのは、この事実が誤魔化され、認識できないようにする仕組みが存在するためである。言い換えれば、この誤魔化しを維持することによって発生する巨大な利権に群がる勢力がGHQに代わって帝都をいまだに占領下に置いているのであり、その許で生きる者たちは当然、己の正体を見失い、知恵を失う。それが本土の日本人の姿である。

 なぜこのような奇怪な事態が生じてしまったのだろうか。私の見るところ、その原因は戦後途轍もない量で流入した「アメリカ的なるもの」の二面性とその変容にある。先の大戦が終わったとき、アメリカ的なるものは二つの顔を持って入ってきた。一面ではそれは、暴力である。あの戦争において日本を打ち負かした「暴力としてのアメリカ」があり、それは敗戦した日本にアメリカの属国になることを命じ、その命令を占領軍の存在によって裏づけた。

 同時に他方で、戦後の日本人は、アメリカ的なるものに激しく魅了された。圧倒的な物質的豊かさ、その文化の屈託のない明るさ――こうした側面は、アメリカに対する強烈な憧れの感情を喚起した。この「文化としてのアメリカ」の側面が、アメリカン・デモクラシ-と一体となって、昨日までは鬼畜呼ばわりしていた敵を「素晴らしき友人」に変貌せしめたのである。当然アメリカ自身も、戦後の対日戦略におけるこの二面性の重要性を深く意識していた。むき出しの暴力による支配は長続きし得ない以上、究極的には暴力によって支配を担保しながらも、いかにして自らを愛させるのかという戦略が決定的に重要であることを、明瞭に理解していたのである。

 本土の日本人も、この二面性を戦後のある時点まで(おそらくベトナム戦争の時代まで)はわかっていたと私は思う。しかし、本土の米軍基地が縮小されることで「暴力としてのアメリカ」が不可視化されることによって、日本人はまことに巧妙なシステムをつくり上げた。すなわち、「暴力としてのアメリカ」のことはきれいさっぱり忘れて、「文化としてのアメリカ」だけを楽しく消費することができるという仕組みである。

 東京ディズニ-ランドが開園したのは、1983年、すなわち消費社会の爛熟期の始まりに当たる。消費社会とは、消費されるモノが自己完結し、モノの背後にある時には血なまぐさい現実を人々が完全に忘れ去る社会であるが、それは「文化としてのアメリカ」に魅せられ「アメリカ人のように消費したい」と熱望した戦後日本人が行き着いた一つの到達点であった。そんな時代にオ-プンしたディズニ-ランドは、こうした仕組みのシンボルと呼ばれるにふさわしい。

 もちろんこの仕組みが出来上がる間に(またその後も)、「暴力としてのアメリカ」が消滅したわけではない。アメリカは世界中で間断なく戦争を続けた。その事実を見ないで済むようにしただけである。「基地でも何でも言われた通りに大人しく差し出しますから、暴れるのはよそでやってください」と言わんばかりに。このように「暴力としてのアメリカ」をやり過ごす仕組みを日本は発達させた。

 それはなかなかの妙技であったかもしれないが、その代償は小さいものではない。長年このやり方を続けてきた結果、「暴力としてのアメリカ」の暴力性、先の大戦で日本を打ち負かしたあの暴力が、再び日本に対して振り向けられることがあるかもしれない、という事実が想定外になってしまったのである。例えば、今日のTPP問題において典型的に表れている財界や大手マスコミの態度は、まさにこうした状況の縮図にほかならない。

 そして、このような日本の一般的状況における例外が沖縄である。本土における「暴力としてのアメリカ」の不可視化とは、沖縄への基地集中とイコ-ルであり、ゆえに沖縄だけは、敗戦後も返還後も継続して「暴力としてのアメリカ」に対峙することを強いられてきた。だからこそいま、辺野古新基地建設に対してこれほどの抵抗が発生している。沖縄だけが、対米従属の事実を誤魔化す「戦後レジ-ム」の外部に位置するがゆえに、そこから戦後日本の在り方全般に対する根源的な異議申し立てが起こっているのである。

 かくして、「沖縄にディズニ-ランド」というアイディアは、唾棄すべきものであると言わざるを得ない。言ってみればそれは、沖縄返還時のスロ-ガン、「本土並み」の戯画にほかならない。本土の日本人はディズニ-ランドにすっかり夢中になって大事なことは全部忘れたので、同じ手を沖縄でも使おう、つまり沖縄人を「本土並み」に愚鈍化させようという話である。「暴力としてのアメリカ」を想定外のものとする装置がディズニ-ランドの本質であるのだとすれば、それは確かに「夢の国」と呼ばれるにふさわしい。だが、夢の国で遊ぶためにはまず眠り込まなければならない。オスプレイをはじめ、さまざまな米軍機が低空を飛び交う沖縄では、人々がかかる眠りを貪ることなどできはしないに違いない。


(写真は世界一危険な基地と言われる米軍普天間飛行場。市街地の真ん中に位置している=インタ-ネットに公開の写真から)
2016.01.25:masuko:[身辺報告]

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