「サイレント・マジョリティ」…高校生が駅前に望んでいたのは、いわゆる“図書館”ではなかった!?~7割以上が「新図書館の建設計画」を知らず!!??

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 「高校生を含む若い世代の多くは駅前立地を望んでいる」―。上田東一市長は新花巻図書館の立地場所について、かねがねこう主張してきた。ところが、高校生を対象に行われたアンケート調査によると、実はいわゆる“図書館”ではなく、飲食しながらおしゃべりもできる“たまり場”的な空間を望んでいたことが明らかになった。「駅前か病院跡地か」という立地論争が続く中、当局側は若者世代の駅前待望論を唯一の拠(よ)りどころにしてきたが、その実態は本来の「図書館」像とはほど遠い内容になっており、今後の立地論争の行方にも大きな影響を与えそうだ。

 

 調査を実施したのは高校生から20代の若者でつくる「HANAMAKI Book Marks」(照井春風代表ら)で、「若者も使いやすい図書館がほしい」という思いが動機だった。QRコードからの選択や記述式での回答を求める形で、市内4校(その他の1人を含む)の924人が応答した。居住地別では「市内」が627人、「市外」が297人。学校別内訳は花北青雲高校(403人)、花巻南高校(272人)、花巻北高校(197人)、大迫高校(51人)だった。設問は新図書館の建設計画への認識や立地場所、望みたい機能など9項目で、約1カ月かけて集計し、今年3月にその結果を当局側に提出した。同団体は「新花巻図書館整備基本計画試案検討会議」にも名を連ねている。

 

 全体集計によると、立地場所については「花巻駅前」が694人(75・1%)、「まなび学園周辺」が68人(7・4%)、「どちらとも言えない」が162人(17・5%)で、駅前への立地を希望する数が圧倒的に多かった。一方、特筆すべきことは「希望する図書館機能」の設問(複数回答)に対し、「勉強スペース」(691人)「カフェ」(663人)「飲食スペース」(552人)が上位3位を占め、「交流スペース」や「ミーティングスペース」「郷土料理スペース」などがこれに続いた。

 

 さらに、新図書館の建設計画についての認識を問うたのに対し、見聞したことが「ある」と答えたのは254人(27・5%)にとどまり、7割以上の670人(72・5%)がその計画自体を知らなかったことが明らかになった。また、新図書館への関心の度合いを5段階で問うた結果、「高い」(5評価)はわずか90人(9・7%)で、逆に「低い」(1評価)が倍の181人(19・6%)にも上った。高校生の図書館に関する考え方がこうした具体的な数字で公にされるのは今回が初めてである。

 

 この結果、蔵書数や図書内容、レファレンスサービスなど図書館の本来あるべき姿などにはあまり関心がない高校生が大半だったことが浮き彫りになった。ではなぜ、多くの高校生が「駅前立地」を選択したのか。その理由は全回答方式で記述されているが、「行きやすいから」「近いから」「電車通学だから」「駅近で便利だから」…など距離的な便宜性を上げる声がほとんどだった。その一方で「まなび学園周辺」を選択した高校生は数は少なかったものの「駅前だと人が集まり過ぎて落ち着いて本を読んだり、勉強したりできない」、「図書館は少し静かな場所にある方が落ち着いて本を読んだりすることができる」などその立地環境を強調する意見があった。

 

 「活字離れ」が進む中、いまの高校生たちの正直な“本音”を聞くことができたような気がした。当局側の「駅前」立地論を聞くにつけ、私は一貫して高校生の“政治利用”(厳しく言えば、スケープゴート=利権のいけにえ)を危惧してきたが、図らずも今回のアンケート調査がそのことを明かしてくれたように思う。JR花巻駅の橋上化(東西自由通路)が完成したあかつきには、高校生たちが望むような”空間”を駅舎内にしつらえることこそが行政の使命ではないのか。また、駅に隣接する「なはんプラザ」(市定住交流センタ—)をその要望に沿う形で、さらに機能強化することも検討すべきではないかと考える。

 

 私事になるが、高校時代、フランスの作家アンドレ・ジッドに夢中になったことがあった。「誤りと無知とによって作られた幸福など、私は欲しくない。 幸福は対抗の意識のうちにはなく、協調の意識のうちにある」―。代表作『狭き門』の一節を丸写しにし、初恋の人にラブレタ-をそっと手渡したのも、そういえば図書館の本棚の陰だった。報われない恋だったが、アンケート調査に目を通しながら、青春時代のそんな苦い経験を思い出した。世代間の意識の乖離(かいり)に驚きつつも、図書館の「王道」だけは踏み外してほしくないと心からそう念じたい。

 

 「知の泉/豊かな時間(とき)/出会いの広場」―。10年以上前の2012(平成24)年10月、「新図書館」構想はこんなスローガンを掲げて、大海原へ船をこぎ出した。悠久の時の流れの中で培(つちか)われた知の総体と本たちとの出会い…そこには未来を照らし出す“夢の図書館”の姿が見えていたはずである。

 

 「魂の癒(いや)しの場」―。世界最古の図書館といわれるアレキサンドリア図書館(エジプト)のドアにはこう記されているという。

 

 

 

 

 

 

(写真は駐輪場がある花巻駅西口には若者たちの元気が満ちあふれていた=花巻市西大通りで)

 

 

 

 

《追記―1》~これって、ある種の“印象操作”じゃないのか!?

 

 図書館問題を専門に協議する令和5年度第3回「花巻市立図書館協議会」(2月29日開催)の会議録が15日付の市HPに掲載された。その中に当ブログで紹介した団体に言及する発言が市川清志生涯学習部長(当時)の口からあった。委員に対して予断を与えかねない内容だったので、その部分を以下に転用する。

 

 「花巻ブックマークスという、若い方々、大学生などを中心としたグループがありまし て、その方々が高校生から、今年度アンケートを取っていると聞いております。それにつきましては、具体的にまとめたものを提出したいというふうに聞いておりますが、まだ正式にいただいてない状況であります。高校生の意見、立地場所につきましては、やっぱり駅のほうが良いという意見が多いですということは聞いております」

 

 

<追記―2>~過去の立地選択調査の結果

 

●当局による市民説明会(令和4年10月に延べ17回実施)

~「駅前立地」18人、「病院跡地立地」32人

●当局による市民団体等説明会(令和4年10月~12月)

~「駅前立地」32人、「病院跡地立地」12人

●当局による市内学校等グループワーク(令和4年11月~12月、6校から130人参加)

~「駅前立地」93人、「病院跡地立地」25人

 

 

 

《追記―3》~狛江市でも”立地論争”…市民団体が図書館問題で直接請求

 

 東京都狛江市の新図書館整備計画の是非を問うため、市民団体「こまえ図書館住民投票の会」が15日、住民投票条例の制定を松原俊雄市長に直接請求した。有効署名は4060筆で、直接請求に必要な有権者の50分の1の1393筆を大幅に上回った。地方自治法に基づき、市長は20日以内に条例案を市議会に提出し、可決されれば住民投票が実施される。

 

 中央図書館は1977年開館の市民センター内にあり、老朽化などが問題になっている。市は、市民センターの約300メートル南東の市有地に新図書館を建設し、改修する市民センター内に子ども向け図書コーナーを残す方針。市民からは図書館機能の分割を批判し、一体での整備を求める声が出ている。住民投票は、図書館を分割して整備することの是非を選ぶ内容になる見通し。

 

 市は、図書館を現在地で拡充するよりも、費用が安いと説明。地上3階地下1階建ての新図書館では、市民向けスペースは約610平方メートル。市民センターに残す子ども向け図書コーナーは約190平方メートルで、合計すれば、現在の図書館の約500平方メートルから大幅に増えるとしている。

 

 会は2月9日から約1カ月間、署名を集めた。事務局の立川節子さん(74)は「新図書館の計画を知らない市民が多い。反対しているのではなく、住民投票で図書館のあり方が決まるのが願い」と話した。新図書館は設計中で、2025年度に着工し、26年夏ごろに開館予定。子ども向け図書コーナーが残る市民センターの改修は今年着工し、25年11月オープンを目指している(4月16日付「東京新聞」電子版)

 

 

 

《追記―4》~「サイレントマジョリティ」論争の結末は!?

 

 1年ほど前、ある市民のブログに以下のような文章を見つけた。「『病院跡地を望む市民の声は多数派』という認識は間違っているといえよう。それでは彼らが主張する『市民の声を』という訴えにはサイレントマジョリティが含まれないことになるから。『どっち派か』という問いの前にその点はきちんと認識すべきと考える。事実、高校生、大学生たちから市当局に対して『新図書館を駅前に』という要望書や意見が寄せられている。決して病院跡地派が『市民の総意』ではない」

 

 4月8日付当ブログの追記―2で触れたように「サイレントマジョリティ」(物言わぬ多数派=声なき声)はいつの時代でも為政者にとっては実に使い勝手のよい手法である。ところが、今回の高校生アンケートでは想定外のことが起きてしまった。「声なき声」たちが”声”(本音)を張り上げた結果、当局側にとっては“不都合な真実”が暴露されてしまったからである。「無理が通れば、道理が引っ込む」…逆もまた真なり。こっちの方がよっぽど、健全である。

 

 

 

 

 

 

 

 

旧新興跡地を“失政”遺構へ…「ダークツーリズム」観光としての利活用を目指して~あるいは“伝家の宝刀”、住民投票の行使か!!??

  • 旧新興跡地を“失政”遺構へ…「ダークツーリズム」観光としての利活用を目指して~あるいは“伝家の宝刀”、住民投票の行使か!!??

 

 「莫大なコストが見込まれるうえ、具体的な活用計画のない土地を取得することは現時点では困難である」―。10数年来の懸案である旧新興製作所跡地(花巻城址)の扱いについて、花巻市は将来に若干の含みを持たせつつも取得断念に大きく舵を切り、その理由を11日付のHPで明らかにした。当該敷地(約3・5㌶)内に放置されたままになっている瓦礫(がれき)や基礎杭、解体途中の構造物などの撤去費用として、ざっと17億円の費用が見込まれるというのが主な理由。最悪の場合は所有者のいない「無主地」になり、永遠に“塩漬け”状態になる可能性も出てきた。

 

 この問題は上田東一市長が初当選した10年前にさかのぼる。当該跡地は法律(「公有地の拡大の推進に関する法律」)によって、地元自治体に優先取得権が与えられていたが、上田市長は今回と同じ理由で取得を断念した。当時の譲渡価格はわずか100万円。「まちのど真ん中の一等地。まず所有権を市側に移し、今後の利活用については広く市民の意見を募るべきではないか」という声にも耳を貸さなかった。その後の経過は土地を取得した不動産会社が各種の金銭トラブルを起こし、令和4年4月には破産手続きの開始へ。現在は破産管財人の管理下にあるが、管財人が手を引けば万事休すということなる。そこで“市民目線”の立場からの提案を試みたい。「市民に情報を提供し、市民の意見を聞きます」(四つの基本姿勢)―初当選時の初心にぜひ、立ち返ってほしいと思う。

 

 

<提案―1>~思い切って、「ダークツーリズム」観光への方向転換

 

 

 当該跡地は過去2回、強制競売にかけられた。裁判所が提示した売却基準価格は約1億1600万円だったが、応札者はゼロ。その後、その価格は4,731万円(買受可能価格は3,786円)まで大幅に引き下げられたが、それでも応札者がいなかったため、競売そのものが取り消しになっている。このように今後も土地取得者が現れる可能性は極めて低いとみられる。この際、行政執行の“失敗例”として、現状をそのまま保存し「ダークツーリズム」のひとつとして、再利用することを提案したい。

 

 

 このツーリズムは「人類の悲しみの記憶をめぐる旅」とも言われ、新しい“観光形態”として、最近注目を集めている。日本では東日本大震災跡地や原爆ドームを含む広島平和記念資料館、ひめゆり平和記念館などがリストアップされている。趣きは若干違うかもしれないが、「過去の失敗」に学ぶという姿勢は為政者にとっては欠かせない資質である。城跡が瓦礫の荒野と化しているのは全国広しといえども、当市だけ。お城ファンは足を運ぶにちがいない。ちなみに、原爆死没者慰霊碑には「…過ちは繰返しませぬから」という碑文が刻まれている。

 

 

<提案―2>~“伝家の宝刀”……住民投票へ向けて

 

 

 「市長は、市政に係る重要事項について、住民の意思を市政に反映するため、住民投票を実施することができます」(第24条)。「市長は、自ら住民投票を実施することができます」(第25条)―花巻市まちづくり基本条例(平成20年3月制定)は市長自らの権限として、住民投票を行使できると定めている。いまこそ、この“伝家の宝刀”の出番ではないのか。「利活用がはっきりしない」というのなら尚更のこと、納税者である市民の声に謙虚に耳を傾けるべきではないかと思う。

 

 東北新幹線の新花巻駅はいまから約40年前の昭和60年3月に開業した。駅前に立つ石碑にこんな言葉が刻まれている。「総額41億8千万円、中村知事の英断で県が3分の1を負担することに決定。県、市、隣接市町村の協力の他、花巻市民各位、各種団体から併せて1万4千9百余人、11億8千5百万円余の寄付により出来上がりました」―。そこに住む市民にとって必要なものなら、血税を惜しみなく差し出す“市民力”を私たち花巻市民は持っているはずである。

 

 「旧新興跡地を市民の手に!!あきらめるのはまだ早い」―。こんなスローガンを掲げた市民総決起大会が開かれたのは9年前の2015(平成27)年1月12日のことだった。

 

 

 

<提案ー3>~上田版「ダークツーリズム」関連マップ

 

 

 まず、上掲写真の光景のコントラストを目に焼き付け、次の道順で散策していただきたい。いずれも、上田市長の肝いりのプロジェクトである。

 

①総合花巻病院(最近、5億円にのぼる巨額の財政支援が明るみに出て、その経営内容に不安が。そもそもの移転・新築計画に疑念の声も)

②総合花巻病院跡地(新花巻図書館の建設候補地として、駅前立地との間で激しい論争。強行突破の裏には利権の影が)

③旧料亭「まん福」跡地(いまは「花巻中央広場」ヒルズエリアと名前を変え、だだっ広い更地に。隣接する中央広場とともに無用の長物との批判も)

④災害公営住宅(併設するコンビニの光熱費を「3・11」被災者に肩代わりさせていることが明るみに。上田市政に批判が殺到)

⑤JR花巻駅(駅橋上化により、賢治ファンタジ―を漂わせていた駅舎や周辺の景観が一変することに。図書館の駅前立地との「ワンセット」論にJR主導論が浮上)

 

 

 

 

 

(写真は桜花爛漫と廃墟の図。この上に旧花巻城跡の通称「旧東公園」と呼ばれた上部平坦地が広がっている=4月13日午後1時すぎ、花巻市御田屋町で

 

 

 

足元に忍び寄る「悪の凡庸」…ガザからイーハトーブまで~「上田」翼賛体制、ここに極まれり!!??

  • 足元に忍び寄る「悪の凡庸」…ガザからイーハトーブまで~「上田」翼賛体制、ここに極まれり!!??

 

 「悪の凡庸(ぼんよう)」―。イスラエル軍によるパレスチナ自治区「ガザ」への攻撃から早くも半年。終わりの見えない戦禍の中でふと、思い出したのがドイツの哲学者、ハンナ・アーレントの冒頭の言葉である。第2次世界大戦中、ユダヤ人の大量虐殺に関わったナチス親衛隊の高官、アイヒマンは「上からの命令に従っただけだ」と語った。これに関連して、アーレントはこう述べた。「世界最大の悪は、ごく平凡な人間が行う悪です。そんな人には動機もなく、信念も邪心も悪魔的な意図もない。人間であることを拒絶した者なのです。そして、この現象を、私は”悪の凡庸さ”と名付けました」(『エルサレムのアイヒマン』)

 

 かつて、ナチスドイツがユダヤ人に向けた刃(やいば)が今度はそのユダヤ人からパレスチナ人に向けられている。この逆転の構図の中に「悪の凡庸」を見ようとするのは早計であろうか。この根底に横たわっているのは「人間の拒絶」だという気がしてならないのである。なぜ、唐突にこんな例を持ち出したのかと言えば、足元で起きたある出来事がきっかけである。比較すること自体が土台無理、牽強付会(けんきょうふかい)ではないかという向きもあろうが、私にはその根っこの部分で何かが通底し合うのを感じるのである。4月5日付の市HP上にこんな記事が載った。

 

 「『花巻ならでは・独自性・図書館のあるべき姿』や基本理念の議論が不十分のまま、”図書館を愛する”方々の『建設地論争』による意見の分断が、(図書館にあまり関心がない)大部分の市民を置きざりにして整備事業を長引かせています」―。ある市民グループが作成した「花巻図書館50周年記念誌」を紹介する記事の中の一節である。現在、当市では新図書館の建設をめぐって「駅前か病院跡地か」という“立地”論争が続いている。当該記事は記念誌作成の中心人物が書いたもので、図書館についての自説を述べた内容になっている。

 

 駅前立地を強行しようとする市当局に対し、私自身は花巻病院跡地への立地を希望する立場である。そのための「図書館」論議や勉強会を重ね、仲間たちと全国展開の署名運動も続けている。こうした(”図書館を愛する”)活動が「意見の分断」につながるというのであれば、これはもう「言論の自由」(憲法第21条)の侵害と言わざるを得ない。「(病院跡地を希望しているのは)一部の(意見の強い)市民だ」という「上田」(東一市長)流儀の話法とも瓜二つである。もっと言えば、このご本人は駅前立地に軸足を置いているらしいから、語るに落ちるという“オチ”まで付いている。かつては、当局側にきちんと異議申し立てをしていた人物だと思っていたが、いつの間にか逆に籠絡(ろうらく)されていたというお粗末の一席。

 

 しかし、ここで問題にしたいのは、公平性が担保されなければならない市HP上になぜ、当局寄りとも受け止められかねない一個人の言い分が無防備に掲載されたかという、その判断基準である(必読;当ブログ3月14日付「危うい”人道”感覚…ガザへの支援に否定的」)

 

 「悪の凡庸」は現代風に言えば、いわゆる“忖度”(そんたく)である。この言葉が流行した背景について、新明解国語辞典は「特に立場が上の人の意向を推測し、盲目的にそれに沿うように行動することの意で用いられる」と解説している。足元の一見、ささいな「HP」騒動が「上からの命令に従っただけだ」というアイヒマン流の思考にひょいと重なってしまったことに逆にこっちがびっくりした。たまたま、先の大戦の「翼賛(よくさん)」体制に体を張って抵抗した「憲政の神様」―尾崎行雄に関する記事を読んだせいもあるのかもしれない。

 

 「批判的精神は自己を尊重する心、我は奴隷(れい)にあらず、我こそ己(おの)れ自身の主人公なりとの自覚がなければ生(うま)れて来ない。(略)日本人の責任回避の習性は、上からの命令や指令をうのみにした結果、養成せられたのではあるまいか」(『民主政治読本』、1947年)―

 

 「醜態の見本市のごとき日本政治に鬱々(うつうつ)としていた」ー高橋純子記者は尾崎のこの言葉を引き合いに出しながら、「(派)閥族政治の奴隷になるのか」(4月6日付「朝日新聞」多事奏論)と喝破していた。足元のご当地・イーハトーブでも過日、総合花巻病院への財政支援という重要案件について、本来なら議員を通じて市民に情報提供がなされるべき「議員説明会」がその理由もあきらかにされないまま、「非公開」になるという暴挙があった。議員と当局との間でどんな議論が交わされたのか…取材陣も締め出されるという前代未聞の出来事の前に市民の「知る権利」は一方的に奪われてしまった。(議会側もその軍門に下ったという意味では)「上田」翼賛体制は止まるところを知らない勢いである。息絶えるどころか「悪の凡庸」はまるで、“亡霊”のように世界中のいたるところでうごめいているようである。

 

 

<註>~「まきまき花巻」

 

 図書館に関する上記の引用記事は”市民ライタ―”による「まきまき花巻」というWEB上のサイトに掲載されている。当該記事がHPにリンクされた直後、「長引かせています」が「長引かせてはいないでしょうか」などと表現を和らげるように変更された。まったく、往生際が悪い。なお、9日付で差し替えられた記事を読んでみたらまるで、広告代理店みたいな内容だった。”公器”であるはずの市のHPが利害の伴う広告塔に成り果てるとは!?

 

 

 

 

(写真はプロモーションサイト「まきまき花巻」に掲載された図書館記念誌の紹介記事。=花巻市のHPより)

 

 

 

《追記ー1》~「鬱々(うつうつ)」気分が真っ只中での朗報!?

 

 

 北上市出身で、米国の名門バークリー音楽大3年の長屋凜さん(21)は、国際的な作曲コンクール「ジョン・レノン・ソングライティングコンテスト」のワールド部門でグランプリに輝いた。アイヌの言語や文化を現代音楽にアレンジした楽曲で、曲名は「Forgotten People(忘れられた人達)」。最高賞を励みに、夢のグラミー賞を追い求める。中学時代に2年間コーラス隊に在籍した以外に音楽経験はなかったが、独学で英語や音楽を勉強して同大に進学。主に楽曲製作を学んでおり、2023年12月、プロアマ問わず2万曲以上のエントリーがあるという同コンテストに初めて応募した(4月9日付「岩手日日新聞」電子版)

 

 

 

《追記―2》~「一部の意見の強い市民」(上田市長)VS.「サイレント・マジョリティ」(岸元首相)

 

 

 60年安保闘争の時、当時の岸信介首相は安保改定に反対するデモ隊をめぐって、「国会周辺は騒がしいが、銀座や後楽園はいつもの通りである。私には“声なき声”が聞こえる」と述べ、新安保条約を強行採決した。いわゆる、「サイレント・マジョリティ」(物言わぬ多数派)発言である。上田市長にとってのそれはさしずめ「高校生を含む若者世代派」ということになろうか。

 

 なお、岸元首相の外孫に当たる安倍晋三元首相は2017年7月、東京都議選の応援演説の際、ヤジを飛ばした群衆に向かい「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と応じた。「一部の意見の強い市民」=「こんな人たち」(つまりは、意に沿わない人間集団)は…権力を握る人間にとっては、いつの時代でも”排除”の対象である。

 

 

 

 
 

「ずっと、ずっと帰りを待っていました」…「記憶」の“郵便配達”

  • 「ずっと、ずっと帰りを待っていました」…「記憶」の“郵便配達”

 

 『ずっと、ずっと帰りを待っていました』(新潮社)―。朝日新聞「読書欄」(3月16日付)に掲載された書評のタイトルに目を奪われた。副題に「『沖縄戦』指揮官と遺族の往復書簡」とあった。「浜田哲二・浜田律子」…著者名にまた、びっくりした。「あの、浜ちゃんではないか」。さっそく、本を取り寄せた。朝日新聞のカメラマンだった「浜ちゃん」は2010年に社を早期退職し、元読売新聞記者の妻律子さんとともに20年以上、沖縄で戦没者の遺骨収集と遺留品や遺族への手紙の返還運動をしていることを初めて知った。本書はその集大成とも言える感動の物語だった。 

 

 太平洋戦争末期の激戦地・沖縄で、陸軍第24師団歩兵第32連隊を率いたのは大隊長の伊東孝一(2020年2月没、享年99歳)だった。当時24歳の伊東は約千人の部下のうちその9割を失った。生還した伊東は戦後、戦死した部下たちの遺家族に沖縄の土を同封した600通の“詫び状”を送り、356通の返書を受け取った。約8年前、ある偶然の出会いをきっかけに、伊東さんからこの返書の束を託されることになった浜田夫妻はNPO「みらいを紡ぐボランティア」を立ち上げ、学生たちとともに気の遠くなるような「留守家族」探しの旅に出る。 

 

 「姿は見えなくとも、夫は生きている。私の心の中に」、「軍人として死に場所を得た事、限りなき名誉と存じます」、「肉一切れも残さず飛び散ってしまったのですか」、「本当は後を追いたい心で一杯なのでございます」、「白木の箱を開けると、石ころが一個。それだけだったのよ」…。本書にはわが子や夫の死を悲しむ肉親の返書が25通収められている。敗戦後70年以上の時空を隔てる旅は難航を極めた。消息を尋ねる電話が「振り込め詐欺」に間違われたり、警察官さながらの“地取り”調査をやったり…

 

 北海道出身の多原春雄伍長(享年25歳=推定)は敗戦の1945年(日付は不明)に糸満市内で戦死した。「母として、確報を受けないうちは、若しやと思い…」―。母親のサヨさんが伊東さん宛てに返書をしたためたのは敗戦翌年の6月。そして80年近い歳月を経て、この返書を受け取ったのが春雄さんの甥(故人)の妻である良子さんだった。また、えっと思った。アイヌ民族の血を引く多原良子さん(71)が卑劣なヘイトスピーチを繰り返す女性国会議員を相手に、人権救済の申し立てをしたことは記憶に新しかった。北海道の記者時代、アイヌ民族の復権運動の先頭に立っていた多原さんの姿を懐かしく、思い出した。縁(えにし)の不思議に興奮しながら、私は机の引き出しから変色した葉書の束を取り出した。

 

 太平洋戦争の敗色が濃厚になった1944年夏、私の父は旧満州(中国東北部)に応召された。4歳になったばかりの私に父の記憶はない。敗戦後、ソ連軍の捕虜となり、シベリアの大地に没した。享年37歳の若さだった。葉書は戦地から送られてきた軍事郵便である。「記憶」の“郵便配達”役を見事に果たしてくれた浜田夫妻に感謝しながら、私は「父さんはどんなところで死んだのかねぇ」と繰り返し口にしていた、いまは亡き母親の言葉を反芻(はんすう)していた。

 

 何十年振りかで「浜ちゃん」に連絡を取った。デブの浜ちゃんは61歳になっていた。実は夫妻の本拠地は世界遺産の白神山地がある青森県深浦町である。「みらいを紡ぐボランティア」には多くの学生たちも参加。沖縄戦の戦没者の遺骨収集だけではなく、白神の森と生き物たちやその文化を記録する活動も続けている。

 

 返書を朗読する若い学生ボランティアとそれを受け取る遺家族たち…。双方の目には涙が。この光景に何度ももらい泣きした。世代をまたぐ「記憶」がバトンタッチされる、その瞬間に感動する涙だったのかもしれない。それにしても一体、このエネルギーはどうやったら生まれるのだろうか。齢(よわい)84の老いぼれは浜田夫妻からドスンと背中を押された気持ちになった。

 

 

 

 

(写真は「死者は生者の中に生きる」(保坂正康氏)、「人間は信頼できる存在なのである」(佐藤優氏)などの激賞を受けている本書)

 

どうなる?「いのちと健康」(下)…“計画倒れ”に終わった「立地適正化」計画~「ウソから出たマコト」~あぁ、“城跡エレジー”!!??

  • どうなる?「いのちと健康」(下)…“計画倒れ”に終わった「立地適正化」計画~「ウソから出たマコト」~あぁ、“城跡エレジー”!!??

 

 「現時点で作成・公表に至った自治体は大阪府箕面市と熊本市の2団体のみです。 花巻市は6月1日に公表を予定しており、全国で3番目、東北では初めての立地適正化計画となります」(2016年5月27日開催の記者会見)―。1番になれなかった悔しさをにじませながらも、上田東一市長の顔は紅潮しているようだった。以降、「全国で3番目」が上田市政を貫く枕言葉になっていくのだが… 

 

 上田市長が初当選(2014年1月)した半年後、「改正都市再生特別措置法」(8月1日)が施行され、立地適正化計画に基づいた「コンパクト(+ネットワーク)シティ」構想が提唱された。国の優遇措置を受けられるとあって、全国の自治体の間で“先陣”争いが起きた。この法律との運命的ともいえる“遭遇”がその後の上田市政の方向性を決定づけることになる。2年後に策定された「花巻市立地適正化計画」(2016年6月1日)には現在まで続く三大プロジェクト(病院移転×新図書館×駅橋上化)がそろい踏みしていた。そのトップバッターに位置づけられたのが、総合花巻病院の「移転・新築」事業だった。 

 

 「本移転事業は国が創設した『立地適正化計画制度』に基づき、花巻市が策定した『都市機能誘導区域』への移転事業であります」―。立地適正化計画が策定された半年後、病院側の「移転新築整備基本計画」(2016年12月2日)にはこの事業が行政主導の事業であることが明記されていた。当時、現職の市議だった私もこの点を追及した。前哨戦としての「病院立地」論争にこんなやり取りがある(2015年12月定例会の会議録=要旨)

 

増子:立地適正化計画は平成28年3月に策定期限が迫っているということがあるわけでしょう。その辺をはっきり言ってください。だから、慎重にやりたいけれども一方で、制度資金を活用するために急がなければだめなのだと。

佐々木忍(健康福祉部長):立地適正化計画でございますけれども、来年度からの採択事業の実施に向けて、いま一生懸命進めている状況でございます。有利な財源を使うということについては、議員もお分かりのことと思います。

 

 「まずは、立地ありき」―。「ハコモノ」行政に付き物のこの手法は上田市政の目玉政策だった三大プロジェクトにも共通している。立地適正化計画の成功例第1号として、広く喧伝(けんでん)されてきた「総合花巻病院」問題の顛末については(上)と(中)でその経緯を明らかにした。さらに、10年以上も前に船出したはずの「新図書館」構想はいまなお、荒波に翻弄(ほんろう)される難破船そのものである。その一方で、これらのプロジェクトの陰で闇に葬られようとしている“負の遺産”を忘れてはなるまい。実は上田市政が誕生して真っ先に直面したのは未だに未解決の「新興跡地」問題だった。

 

 「由緒あるこの土地をふたたび、市民の手に」―。当時、市民の関心事はまちの中心部に位置する旧新興製作所跡地(花巻城址)の行方だった。「新しい風」を標榜して、さっそうと登場した新市長に多くの市民は年来の悲願を託した。法律も味方してくれそうだった。適用法の「公有地の拡大の推進に関する法律」(公拡法)にはこう規定されていた。「公有地の拡大の計画的な推進を図り、もって地域の秩序ある整備と公共の福祉の増進に資することを目的とする」―。まちづくりを推進するため、当該自治体に土地の優先取得権を与えていたのである。

 

 「多額の費用がかかるため、当市がただちに当該土地全部を取得するのは無理。利用目的がはっきりしない案件に貴重な税金を投入することはできない」―。その年のクリスマスイブ、市民はこんな縁起でもないプレゼントに腰を抜かした。当時の譲渡価格はわずか百万円だったが、建物の解体費用に莫大な費用が見積もられていた。当該跡地が立地適正化計画(都市機能誘導区域)の適用外で、国の優遇措置を受けられないというのが取得断念の真相だったことが後で分かった。あれから早や10年、まちのど真ん中にはいまも瓦礫(がれき)の荒野と化した廃墟が無惨な姿をさらし続けている。

 

 「絵に描いた餅を示すことはしない」―。上田市長は「駅橋上化(東西自由通路)」事業に際し、その将来ビジョンを示すことをかたくなに拒み続けた。「国の有利な融資制度を利用して、いま出来ることをやるのが首長に課せられた使命だ。評価は将来世代に委ねるべきだ」という論理は一面、その通りであろう。しかし、私には病院の移転新築に当たって、例えば「交流人口80万人」などという“大風呂敷”(つまりは「絵に描いた餅」)を広げ過ぎたことに懲(こ)りたからだろうと勝手に推測している。そもそも、グランドデザイン(青写真)の伴わない公共事業には”眉唾もの”が多いことは過去の事例が教えている。

 

 “城跡エレジー”(花巻城哀歌)にむせび泣いているうちにふと、こんな気持ちにさせられた。「私たち市民は結局、上田“迷走劇”という自作自演に踊らされてきただけではなかったのか」―。ひと言でいうと、その「詐術」(ウソ)にだまされたということである。

 

 

 

 

 

(写真は構造物の一部が放置されたままの新興跡地。この一角に一時期、猛毒のPCBが不法に保管されていた=花巻市御田屋町で)

 

 

 

 

<「詐術」の事例研究…新図書館立地の“ウソ”>

 

 

●「(町なか=中心拠点を維持・存続していくために)生涯学園都市会館(まなび学園)周辺への図書館(複合)の移転・整備事業」(花巻市立地適正化計画、2016年6月)

●「(立地)候補地を数箇所選定した上で、基本計画において場所を定める」(新花巻図書館整備基本構想、2017年8月)

●「JR花巻駅前のスポーツ用品店用地(JR所有)に50年間の定期借地権を設定した『賃貸住宅付き図書館』構想が突然、公表」(「新花巻図書館複合施設整備事業構想」、2020年1月。同年11月に賃貸住宅付きの部分は撤回)

●「JR花巻駅前のスポーツ用品店用地を第1候補とし、土地取得交渉に入る」(市長行政報告、2022年9月)

 

 新図書館の立地場所が当初の「まなび学園周辺(病院跡地を含む)」から一転、「JR花巻駅前」に変更された経緯について、当局側からの説明は一切ない。この闇の部分にこそ、上田流「詐術」(ウソ)が隠されている。

 

 そのウソを読み解くヒント~①花巻駅橋上化と新図書館の駅前立地に要する総事業費は合わせてざっと、100億円と見積もられている。だから当然、”利権”が群がる。この二つの事業を受注できるのはJR側が指名する市内の有力企業11社に限定されており、勢い「利害」関係が先行する、②さらに、この二つの事業は表向きは「別物(の事業)」と言われてきたが、実際は秘密裏に「ワンセット」事業として、構想されてきた。駅前の「賑わい」創出を旗印に掲げる上田市政にとっては、そのどちらが欠けてもそれが達成できないことは目に見えているからである。

 

 同上ブログで言及したように、上田市長自らが駅橋上化についての将来ビジョンを示すことを拒んでいる。というより、出来ないのである。両輪がなければ、車は前に進めない。両翼がなければ、飛行機は墜落するー。つまり、図書館とセットでなければ、二つの事業の相乗効果による「賑わい」創出が水泡に帰すことは自身が一番、分かっているはずである。それゆえに今度は「若い世代は駅前を希望している」などという”世論誘導”をしながら、駅前立地を強行しようというハラのように見える。

 

 8年前、「花巻市立地適正化計画」で新図書館の立地場所として明記された「まなび学園周辺」には広大な敷地を有する旧総合花巻病院跡地がある。病棟群が撤去された跡地こそが「文教地区」にふさわしいという市民の声がわき起こったのは当然である。さらに、この年度末に当該跡地は正式に「市有地」として登録された。

 

 それなのになぜ、「駅前立地」にこだわり続けるのか。答えは簡単。つまりは最初から、JR主導型の”出来レース”だったというのが、上田流「詐術」のからくりである。「駅前活性化」(表)と「利権」(裏)…表裏をなすコインはかくして、素知らぬ顔で市中に出回ることになる。「ウソから出たマコト」にだまされてはならない。(詳細な経緯については、当ブログの関係記事を参照)