評価点が低い業者が大逆転するという公募プロポーザルの舞台裏…“闇”が深まる新図書館の「駅前立地」~新「羅須地人協会」宣言はいずこに!!??

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 「第一次審査については、当初5者に絞る想定でしたけれども、どうしても5番目と6番目が選びきれないということで、協議の結果6者を第二次審査の対象者として選んでいただきました」(令和7年10月2日開催の記者会見における上田東一・前市長の発言)―。二次審査の対象枠を1者増やした結果、「昭和設計・tデ・山田紗子建築設計事務所共同企業体」が最優秀者(以下A者)に選出されたことについては、当ブログで何度か言及してきた。一方、この選定手続きに対し「(5番目と6番目に)甲乙つけがたいと言いながら、両者には歴然たる得票差があるではないか」など疑念を呈するコメントが寄せられた(5月12日付当ブログ参照)

 

 この数字を深掘りした結果、驚くべき事実が浮き彫りになった。今回、次点になったのは「西澤・畝森設計共同企業体」(以下B者)。応募があった61者に対する予備投票の結果、うち14者が2回目の投票権を獲得し、さらにこの中の6者が第二次審査の対象者に選ばれた。A者とB者の得票数を比較すると、前者が3票だったのに対し、後者は6票と2倍の開きがあった。しかし、これだけの票差があったにも関わらず、最終的に優先交渉権を得たのはA者だった。この選定に係る全体講評では以下のように述べられている。

 

 「本プロポーザルにおいては、駅前という利便性の高い場所が図書館敷地として選ばれた意味をくみ取り、使い勝手の良さとしての空間の具現化と、市街地再生の起点として長く市民に親しまれ、利用価値を最大化できる図書館を、厳しいコスト管理の下で短い期間の中で練り上げなくてはならないという課題があります」(市HPから)

 

 さらに、A者が最優秀者に選ばれた理由については「計画全体に身体知をきっかけにした余地を意図的に設けるアプローチは、賢治の精神とも呼応する」と評価する一方で、B者については「花巻市の図書館としての発展性から考えると、C案(A者)に卓越する点を見出すことは残念ながら困難であった」(いずれも市HPから)とした。では一体、この二倍もの得票差は何を意味するのであろうか。

 

 審査を締めくくる「公開プレゼンテーション」が昨年11月24日に市文化会館大ホールで開かれた。「188人もの傍聴者があった」と上田前市長は胸を張ったが、定員数(1200席)からみれば、まさにガラガラ状態。「各階を結ぶ空調設備には賢治(の『風の又三郎』)にちなんで、又三郎シャフトと名づけました」―。A者はプレゼンテーションでこう説明した。反射的にプロポーザル選定委員会の副委員長でもある吉成信夫さん(「みんなの森 ぎふメディアコスモス」元総合プロデューサー)の反応に注目した。

 

 賢治にあこがれていた吉成さんは生誕100年の1996年、家族を挙げて岩手に移住。20年近くにわたって、「石と賢治のミュージアム」(一関市東山町)や「森と風のがっこう」(岩手郡葛巻町)を立ち上げるなど賢治を“実践”してきた人として知られる。その著書『ハコモノは変えられる』(2011年1月)は“箱もの”行政を真っ向から批判した書として今も読み継がれている。

 

 「“又三郎”シャフトという命名は賢治の物語風土とは相容れない」―。プロポーザルの中でのこんな質疑を期待していた私はいきなり、肩透かしを食らった思いをした。持論である“賢治実践論”がひと言も聞かれなかったからである。吉成さんが実は“駅前図書館”の熱烈な推進者だったことを知ったのは、ごく最近のことだった(5月12日付当ブログ「追記―1」を参照)。正直、裏切られたという気持ちになった。

 

 設計業者に選定されたA者の中心企業体でもある「山田紗子建築設計事務所」代表の山田さんは2020年には日本建築設計学会大賞を受賞するなどスケールの大きいランドスケープ・デザイナーとして知られる。「山田紗子展」(パラレル・チューンズ)が7月12日まで、東京都内のギャラリ―で開かれており、案内チラシにはこうある。「調和を目指すシンフォニーではなく、和音も不協和音も同時に響く、ポリフォニー(多声音楽)として世界を描きたい」

 

 ひょっとしたら、「又三郎シャフト」は山田さんのこうした建築理念にその根があるのかもしれない。その大胆な発想に異議を唱えるつもりはさらさらないが、賢治“風土”にどっぷりつかってきた地元民の私にとってはやはり、譲ることができない一線である。賢治の“いいとこ”取りだけがやけに目に付くからである。”賢治精神”を称揚されたその実態が実は中身がスカスカの”張りぼて”だったというお粗末の一席とも言える。

 

 「どっどど どどうど どどうど どどう 青いくるみも吹きとばせ すっぱいかりんも吹きとばせ どっどど どどうど どどうど どどう」―。童話の作中で、”風の神”と呼ばれた又三郎が歌う、あの空に吸い込まれそうな清らかな歌声はどこからも聞こえてこない。耳に届くのは駅の方から聞こえてくる無機質な電車の発着音だけである。

 

 

 「日ハ君臨シ カガヤキハ 白金ノアメ ソソギタリ ワレラハ黒キ ツチニ俯シ マコトノクサノ タネマケリ」ー。朝7時、時報代わりのメロディが市庁舎から流れる。校歌を持たなかった稗貫農学校(現花巻農業高校)の生徒たちのために賢治が作詞した「花巻農学校精神歌」で、いまでは”市民歌”としても定着している。

 

 もうひとつの立地候補地である「旧花巻病院跡地」は賢治が当時、稗貫農学校で教鞭を取り、「マコトノクサノタネ」のひと粒を蒔いた、”賢治精神”が凝縮されたゆかりの地である。広大な敷地の背後には霊峰・早池峰山が浮かんでいる。賢治の物語世界を演出できるのはここしかないというのが私の頑固なほどのこだわりである。受託業者を決めたプロポーザル選定委員会(乾久美子委員長ら6人)の構成は行政職を除いた5人中3人がハード面の担当する「建築」関係者である。「知のインフラ」と呼ばれるように図書館の生命線はソフト面の充実にかかっている。その辺がすっぽりと抜け落ちてはいないか。

 

 今回の大逆転劇の舞台裏はやはり、気になる。AIさんの意見を聞いてみた。「制度上は必ずしも不当ではありませんが、公平性・透明性の観点から非常に慎重な対応が求められるケースです」。“出来レース”という疑念が頭をよぎった。「駅前立地か病院跡地か」―。私は民意を問い直すための最後の選択肢はもはや、「住民投票」しかないと思っている。上町など市のど真ん中に位置する「中心市街地」の活性化を促すためには、人流が直結する病院跡地への立地こそが最適ではないか。なぜ、駅前立地にこれほどまでにこだわるのか…。背後にきな臭さが漂っている気配を感じる。

 

 図書館“迷走劇”につき合わされて10年以上が過ぎた。闇にうごめく魑魅魍魎(ちみもうりょう)を嗅ぎ分ける“嗅覚”だけは異常に敏感になった。賢治まちづくり課を置き、「イーハトーブはなまき」の実現を掲げる行政当局がその“賢治殺し”に加担するという自殺行為だけは絶対に避けなければならない。

 

 

 

 

(写真はプロポーザルの審査をする選定委員会。マスクの女性が乾委員長、その右側が吉成副委員長=令和7年11月24日、市文化会館で。市HPに公開された動画から)

 

 

 

 

《追記ー1》~資材調達は前倒しってこと!!??

 

 「建物の躯体、根幹になるような建物自体、そういう空調や電気設備 というのは、大体は標準的なものと考えられるのでそれらは当然地元でも受注できる と思います」ー。市川清志・新花巻図書館計画室(当時)主任専門員が令和7年6月6日開催の議員説明会で、こんな発言をしている会議録を見つけた。大型建造物の建設の際、資材調達の目途をつけておくことが業界の常識と理解しつつも…。設計業者が決まる半年近くも前に”又三郎”シャフトを連想させるような生臭い話があったとは。とりあえず、眉に唾をつけておこう。

 

 

《追記―2》~新「羅須地人協会」宣言はどこに消えた!!??

 

 吉成信夫さんは「プロポーザル選定委員会」の副委員長に就任した際、賢治が人間解放の場として設立した「羅須地人協会」にちなんで、以下のような談話を発表した。未来に向けたこの輝かしいメッセージはいま、いずこに…

 

 「花巻は、宮沢賢治が生涯を過ごしたまちとして全国に知られています。彼の残した共生的な世界観や自然観は、今なお国内外で輝きを増し続けています。花巻の文化的風土が育んできた先人たちの学びの精神を受け継ぎ、賢治という傑出した知性を輩出したこのまちに、新たな図書館が生まれます。プロポーザルを提出される皆さんには、新たな図書館像、言い換えれば、新たな時代の羅須地人協会を期待します」(令和7年7月11日、委員会発足時の市HPから。要旨)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

えっ、「又三郎シャフト」ってなんだ…新花巻図書館の設計業務について、「公開質問状」の提出へ~業者の選定過程に不透明感も!!??

  • えっ、「又三郎シャフト」ってなんだ…新花巻図書館の設計業務について、「公開質問状」の提出へ~業者の選定過程に不透明感も!!??

 

 「立地場所の変更の理由は」「民意の認識について」「(駅前立地を)最終的に決定した対話型市民会議の妥当性は」…。10年来、焦眉(しょうび)の急になっていた新花巻図書館の立地問題について、冒頭に掲げた核心部分の説明を「市長との対話」(4月16日)や「市長へのメール」(同20日)などを通じて求めてきたが、平行線をたどったまま現在に至っている。一方、前市政を引き継いだ小原勝市長はメディアなどの媒体ですでに「駅前立地」の実現を内外に表明し、民意の分断に拍車をかけるという最悪の事態を招きつつある。

 

 こうした中、設計業務の受託業者に選定された「昭和設計・tデ・山田紗子建築設計事務所共同企業体」は令和9年3月19日までを履行期間とする「業務委託契約書」(令和8年1月7日付)を市側と締結。市役所近くに設計拠点となる”プレ室”(現地事務所)を設け、業務を続けている。一方、“駅前図書館”を既成事実化するこうした動きに対し、市民の間には日毎に不安と危機感が高まっている。そこで逆に受託業者がどのような経緯で選定されたのか―その背景を「公開質問状」という形で問うことにし、本日(12日)、公開質問状を手渡した。

 

 なお、複雑な紆余曲折を辿った新図書館問題の理解を促す一助にと、拙著『「イーハトーブ”図書館”戦争」従軍記』をプレ室の一般閲覧用に贈呈した。

 

 

 

 

2026年5月12日

 

「昭和設計・tデ・山田紗子建築設計事務所共同企業体」殿

 

元花巻市議会議員 増子 義久

 

 

 

〈公開質問状〉~新花巻図書館の設計業務について

 

 

 新花巻図書館の設計業務に日々、精励されておられることに敬意を表します。貴共同企業体は公募プロポーザルに応募した61企業体の中から選ばれたプロ集団で、当市のシンボルである公共図書館の設計業務を貴企業共同体に委ねることができたのは一市民としても大きな喜びです。

 

 そんな中、市側が一方的に進めようとする「駅前立地」の経緯については今なお、疑念を抱く市民は少なくありません。「民主主義の砦」とも言われる公共図書館の未来に禍根(かこん)を残さないためにも以下の諸点についてのお考えをお聞かせいただければ幸いです。この2月に就任した小原勝市長はすでにメディアなどを通じて、駅前立地の実現を内外に表明している折柄、市民の疑念を払拭することが喫緊(きっきん)の課題になっています。お忙しいところ恐縮ですが、今月末(5月末日)までに文書(メール)にてご回答をいただけますよう、よろしくお願い申し上げます。

 

 

 

 

1)新花巻図書館の「駅前立地」に至る経緯について、市側からどのような説明がありましたか。もしあったとすれば、「旧花巻病院」跡地への立地を求める、いわゆる“立地”論争への言及はありましたか。また、建設予定地のJR所有地が未だに市有地として、取得されていないという事実については知らされているでしょうか。

 

 

2)「業務委託契約書」(建物配置案の作成)の項に「図書館建物と既存及び現在計画中の周辺施設等との調和を考慮し…」という記述があり、計画中の施設の中には今月7日から仮工事が始まった「JR花巻駅東西自由通路(駅橋上化)」事業も含まれています。

 

 ところが、令和7年11月24日に行われた「公開プレゼンテーション」においては、駅橋上化事業についての言及は一切、ありませんでした。そもそも、建築設計のプロフェッショナルが背中合わせに並び立つ二大プロジェクトの相関性に無関心なのは余りにも不自然に思います。この立ち位置の違いの背景に何があったのか、ご説明をお願いします。

 

 

3)同じ「業務委託契約書」の中の設計与条件のひとつに「花巻らしい図書館として、宮沢賢治専用スペースの設置方法について検討するものとする」という記述があります。プレゼン資料の中には様々な工夫を凝らした着想もあります。ただ、そのひとつの「又三郎シャフト」という空調設備(ダクト)については、いわゆる“賢治的”な風土感覚に照らしてみても大きな違和感を抱かざるを得ません。

 

 一方、当市では「ふるさと納税」(旅先納税)のひとつとして、「はなまき星めぐりコイン」(電子商品券)を返礼品に当てています。こうしたある種の賢治“利権”に対しては賢治ファンからも「目に余る」という批判が聞かれます。

 

 「賢治ワールド」は銀河宇宙にまで伸びる広大無辺な「物語世界」(ナラティブ)です。駅前のビルの谷間の中で果たして、本当の“賢治”を演出するのは可能でしょうか。建築設計のプロフェッショナルとしての正直なお気持ちをお聞かせください。

以上

 

 

 

 

(写真は4月28日にオープンした“プレ室”=花巻市花城町のプリミエール花城1階)

 

 

 

《追記ー1》~新図書館に祝福の虹!!??

 

 「昨朝のこと。虹が出た。大きくて鮮やかな虹。泊まっていたホテルから思わず飛び出すと、ここは新図書館建設される予定地じゃないか。偶然なのだけど、なんだか祝福されている気がした」―。上記設計業者の選定に当たって、プロポーザル選定委員会の副委員長を務めた吉成信夫さん(「みんなの森 ぎふメディアコスモス」元総合プロデューサー)の2日前(5月10日付)のFB上にこんな投稿が載った。

 

 所用で来花した際の記事らしいが、“駅前図書館”に疑念を持つ多くの市民の気持ちを逆なでするにもほどがある。どこまで続く泥濘(ぬかるみ)ぞ…。20年近くの岩手暮らしの経験がある吉成さんはFBをこう結んでいる。「ここは宮沢賢治さんが暮らした花巻の地だ」―。であるなら尚更のこと、“賢治”を駅前のビル群に埋没させるような愚(ぐ)は避けるべきではないか。

 

 

《追記―2》~お忙しいようで…

 

 さっそく、「野次馬」を名乗る方から、こんなコメントが飛んできた。「花巻市の図書館プロポーザルの仕事ってもう終わったのかと思ってましたが、何かまだ用事があるのですね。お忙しいようで」

 

 

《追記―3》~公募プロポーザルの怪!!??

 

 市政堂を名乗る方から、以下のようなコメントが寄せられた。“駅前図書館”の闇の部分が徐々に見えてくるような、そんな鋭い視点に刮目(かつもく)させられた。

 

 「貴殿のブログを拝読し、改めて市ホームページを確認し、不可解なことを発見した。公募プロポーザルの最優秀者はNo26の対象者であるが、第1次審査の予備審査では、得票数は1票。2回目投票は3票で6位。この第1次審査では5者が選考される予定で、6票獲得1者(No23)と4票獲得4者(No16、25、40、59)とで争われるはずのもの。ホームページでは、5番目と6番目が甲乙つけがたいため、6者を対象としたとの説明。しかし、得票数から見ると明らかにNo26が浮上するのは不自然である。そもそも、第1次審査に予備投票は必要だったのか?行政では当たり前のことなのだろうか?」

 

 

 

《追記―4》~AIさんさんに聞いてみました??

 

 「誤政道」を名乗る方から、以下のようなコメントが届いた。追記―3の「市政堂」さんの見方とほぼ同じ回答だと納得した。
 

 

(Q)プロポーザル方式において一次審査で5者程度を審査するというときに、「程度」という表現をするのはなぜですか?

 

(A)プロポーザル方式の一次審査(書類審査)で「5者程度」と表現するのには、実務運営上のトラブルを避け、手続きを円滑に進めるための明確な理由があります。

 

1. 同点(タイ)の事業者が発生した際の救済~採点結果で5位と6位が同点になる場合があります。「5者」と限定すると、どちらか1者を無理に落とす基準(くじ引きなど)が必要になります。「程度」とすることで、同点の2者を共に通過させ、6者で二次審査を行う柔軟性が生まれます。

 

2. 提案全体の質に応じた調整(足切り・救済)~基準点に達しない事業者ばかりの場合、無理に5者選ぶ必要がなくなります。逆に、非常に優秀な提案が6者あった場合、5者に絞ることで有益な提案を逃す損失を防げます。応募がそもそも4者しか来なかった場合でも、公募条件違反にならず、そのまま全者を二次審査に進められます。

 

 「市政堂」さんのコメントには「5番目と6番目が甲乙つけがたい」とあるものの、実際には1点差があり、「非常に優秀な提案が6者あった場合」に該当するのかどうか。例えば、同点が6者あれば「5者」程度という表現を使って、6者を合格することの意味があるが、明らかに点差が生じているのに「甲乙つけがたい」というのは無理があるように感じます。

  

 

 

 

 

「現に在るものをぶち壊すのが私の職業です」…映画「金子文子」と花巻版「歴史秘話ヒストリア」!!??

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 「現に在るものをぶち壊すのが私の職業です」―。映画「金子文子/何が私をこうさせたか」(浜野佐知監督、2026年2月公開)の冒頭、「朴烈」事件に連座した文子は予審判事に向かって、こう言い放った。国家権力に命をかけて立ち向かう覚悟の気持ちが100年の時空を超えて、観る側にビシビシ伝わってきた。1923(大正12)年9月3日、関東大震災の3日後に朝鮮人アナ-キストの朴烈(パクヨル)と内縁の妻、文子は皇太子暗殺を企てたという大逆罪容疑で逮捕された。3年後、文子は死刑判決の恩赦を拒否して獄中で縊死(いし)したとされる(研究者の間では“拷問死”などの説もある)。23歳の若さだった。

 

 「石黒鋭一郎」―。こんな人物の名前が突然、画面に登場する。逮捕当初、朴烈と文子は東京・市ヶ谷刑務所に収監されていた。担当の予審判事は立松懐清(かいせい)。立松は若干の“同情心”と自供を誘導する策略として、二人が戯れているツーショットを写真に収めた。のちに、当時の政界を揺るがすことになった“怪写真”事件である。松本清張の『昭和史発掘1』に次のような記述がある。「朴烈の隣の房にいた石黒鋭一郎という者が高田保馬著『社会学原理』の中にはさみこんで、(保釈に際し、私物を持ち帰る)宅下げした」

 

 石黒によって、外部に持ち出された写真はやがて、野党の立憲政友会の手に渡り、若槻内閣批判の発端になるなど政界を巻き込む一大スキャンダルに発展。その責任を取らされる形で、立松判事も司法界を追われた。そのわずか1年後の1927(昭和2)年、旧花巻町でオペラの独唱会が開かれた。立松の妻、ふさは当時オペラ界では知られた存在だった。職を失った夫を助けるため、ふさは地方回りの独唱会を続けていた。宮沢賢治と親族関係にある賢治研究家、関(岩田)登久也はその時の様子を以下のように活写している。少し長文になるが、当時の時代の雰囲気を知るために全文を掲載する。

 

 

●「昭和二年頃でありましたか、東京から声楽の立松房子夫人(ママ)が花巻に参りました。夫君の立松判事が職務上の事件から、世間的に問題を捲き起こし、たいへん同情されて居りました。随つて立松夫人の独唱会もそれらの原因もあつてか人気を呼び起し、当日の朝日座に於ける会は、大入でなかなかの盛会でした。その頃賢治は羅須地人協会を開設し、音楽に多大の関心を持つて居られましたので、オルガンやギターを買つて勉強してゐると云ふ話が私達の耳にも這入つて居りました」

 

●「さて当夜の独唱会には私も参り、立松夫人の奇麗な、しかも精神的なソプラノに感激して耳を傾けて居りましたが、プログラムもだんだん終りに近づいた頃、可愛い尋常一年位の女の子が舞台に出て来て、手にあまる美しい花束を、立松夫人に渡しました。花束は実に水々しく真紅の花、淡紅色の花、それに白や水色など、或ひはほやほやした毛のアスパラガスなど交へたものでした。その少女は町の宮金といふ砂糖問屋の可愛い百合子さんといふ少女でした。立松夫人は夫君を助ける為に一人児を家に置いて、地方廻りの独唱会を開いてゐるといふことなど、大分人々の同情を買つてゐましたが、花束を捧げた少女と、立松夫人のとり合せは大変涙ぐましい情景で、しかも美しい大きな花束は一層、その場面の気分を引立たせたので、満堂は酔へるが如く拍手の嵐を送りました」

 

●「その時あの花束は一体誰が送ったのだらうと考へてみましたが、少したつてそれは賢治が手作りの花を少女へ頼んで渡したのだといふことがわかりました。それまでは賢治といふ人はそんなことをする人だとは思つて居りませんでしたので、意外な感興を吾々は呼びおこしたものです。立松夫人と大きな花束と賢治といふ取合せは今も美しい一つの詩となつて、吾々の脳裡に消ゆることなく残つてゐます」(『宮澤賢治素描』から)―。

 

 

 花巻温泉からさらに奥まった谷あいにホロホロ鳥を飼育・販売する「石黒農場」がある。この創業者こそがあの“怪写真”を房外に持ち出した、当時無政府主義者として獄中にあった「石黒鋭一郎」その人である。長野県出身の石黒は戦後、縁あって当地花巻に疎開し、この農場を開いた。一方の「朝日座」は当時の芝居小屋(映画館)で、その一帯は花巻まつりの際、露店や見世物小屋が集まる御旅屋(おたびや)として開放された。現在はホテル花城が建っている。

 

 金子文子(と朴烈)―立松懐清(と妻ふさ)―石黒鋭一郎―宮沢賢治、そして関登久也…。激動の時代に翻弄(ほんろう)された人脈図を見ているうちにふと、思った。「文子役を演じた女優の菜葉菜さんは実は文子の生まれ変わりではないのか。その鬼気迫る演技の背後に私たちは100年前の文子の短い生を見ているのではないか」―と。「治安維持法」という暗黒の時代が“衆愚”政治に姿を変えて、今また世界中を覆いつつある。足元に目を転じれば、“民意”をせせら笑うかのように新花巻図書館の駅前立地が強行されようとしている。

 

 賢治の自作詩「宗教風の恋」や「昴」(すばる)には関東大震災に言及した言葉が綴られており、当然「朴烈」事件など当時の時代状況は知り尽くしていたはずである。立松夫人に贈るための花束を作った賢治が世界平和と人間解放を謳った「農民芸術概論綱要」を執筆したのは、文子が獄死した大正15年ごろと言われる。無産政党「労農党」のシンパとして、経済的や精神的な支援に当たっていたのもちょうど、この時期である。

 

 「現に在るものをぶち壊すのが私の職業です」―。私は文子の檄(げき)をブツブツとつぶやきながら、映画館を後にした。「現に在るもの」―着々と進められる“駅前図書館”のたたずまいが目の前に浮かんだ。”賢治色”を打ち出した空間づくりが売り物である。「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」(概論綱要序論)―。銀河宇宙という広大無辺な賢治の「心象空間」(ナラティブ・ワールド)をビルの谷間に“獄死”させてはならない。ふと見上げると、賢治が登山行を繰り返した岩手山の残雪がキラキラと輝いていた。

 

 

〈注〉~文中に登場する人物のうち、浜野監督と女優の菜葉菜さんを除いては全員が故人(敬称略)

 

 

 

 

(写真は石黒が持ち出した〝怪写真”(左)と死刑判決を言い渡された際、バンザイを叫ぶ文子(菜葉菜さん)=パンフレットなどから)

 

 

 

 

《追記》~幼き詩人の”心象スケッチ”…脈々と続く「賢治精神」!!??

 

 地元の高校に入学した時、私たちは教師から渡された『新国語1』(三省堂)を見て、大騒ぎになった。同級生の岩田有史君(故人)の詩が掲載されているではないか。「あじさい」と題する詩で、詩人の草野心平はこう評していた。「『一株いる』というそのあじさいは、ちゃんと存在しています。つまり地上にあるというよりは、もっとはっきりした存在として、そのイメージが読者の脳裡に映ってきます」。この幼き詩人は当ブログで“賢治秘話”を披露した関登久也の御曹司である。

 

 有史君は小学生時代から詩作を始め、のちに160編が収められた詩集『父の口ぶえ』として、東京の出版社から刊行された。教科書には5編が採用された。以下に2編を紹介する。いま読み直してみても、「賢治」を彷彿(ほうふつ)させる詩群である。

 

●天の雲をぼうしにした/せいの高いポプラの木の下に/いつもいつも/あじさいが一株いる(「あじさい」)

●こんな林に/にあわぬラジオ/ニューヨークのまん中で/おにぎりくうのと同じだ(「ラジオ」)

 

 

 

 

「市長へのメール」…事実上の「回答」拒否~駅前立地への疑念がさらに深まる~問答無用の強行突破か~「ああ、イーハトーブはなまき・冬(浮遊)景色」!!??

  • 「市長へのメール」…事実上の「回答」拒否~駅前立地への疑念がさらに深まる~問答無用の強行突破か~「ああ、イーハトーブはなまき・冬(浮遊)景色」!!??

 

 「市長へのメール」(4月20日付の当ブログ参照)への回答が30日、届いた。以下にその全文を掲載する。立地場所が当初の「病院跡地」から「JR花巻駅前」へと変わった理由や背景についてはひと言も触れられておらず、一読して「回答」拒否に等しいと感じた。このことは単に図書館問題に限らず、市政全般にわたる“愚民化”の兆候とさえ言える。それにしても、支離滅裂で読解不能の回答を、しかも市長名で送りつけてくる傲慢不遜ぶりには驚きを超えて、怒りさえ覚える。

 

 たとえば、駅前立地を最終的に決定したとされる「市民会議」については、構成人員(75人)に対し全会議4回のすべてに出席したのはわずか42人。6人は一度も出席しなかったことが明らかになっている。このようにこの会議体自体がそもそも、民意集約の機能を持たないままに”見切り発車”したというのが実態だった。果たして、この芥子粒みたいな数字が全人口8,8404人(令和8年2月28日現在)の“民意”を反映していると言えるのか。その蓋然性についての言及はひと言もなかった。

 

 さらに、不特定多数(参加自由)を対象にした重要な市民参画手続きのひとつである「パブリットコメント」(意見公募)には過去に例のない86人(133件)が手を挙げ、うち「病院跡地」への立地希望が47人で「花巻駅前」への28人を大きく上回った。さらに、市民説明会においても前者が32人だったのに対し、後者は半分近い18人だったにも関わらす、その数字の証拠性(エビデンス)は黙殺された。これとは逆に市自らが精査した「病院跡地」への立地を求める署名(6,181筆)については、選挙の世論調査を引き合いに出しながらその妥当性に疑義を呈するなど、衣の袖から鎧(よろい=”強権”体質)をちらりと垣間見せた。

 

 計画策定時の教育委員だった役重真貴子さんは当時、その手続きについて以下のような疑念を表明したが、今回の回答書の中でも無視され、逆に首長主導の“図書館”行政だったことをはっきりと認める結果になった。

 

 「この市民会議のどっちが良かったということで、決定したように受け取られかねない、そこの分かりにくさはあったのではないかなと私としては、感じています。改めてですけども、その判断材料の一つということで市民会議がありました。それからもちろん6,000人ほどの署名があり、このパブリックコメントを見ても、もちろんどちらの意見もやはりあるということの中で、もちろんその何ヶ所もの市民説明会で話を聞いてきた中で、市民の意見をたくさん集めてこられたということを踏まえ、市として最終的になぜ、それらを全部勘案したうえで、どういう理由でなぜこういうふうに決定したのかということをやはり、もう少しわかりやすく説明しないといけないと思います」(令和7年5月19日開催の「教育委員会議」定例会の会議録から、要旨)

 

 ところで、一方では設計業務を受託した「昭和設計・tデ・山田紗子建築設計事務所共同企業体」の代表企業である(株)昭和設計(仙台事務所)はJR側の事業の大半を請け負う独立行政法人「鉄道建設・運輸施設整備支援機構」(JRTT鉄道・運輸機構)の有資格業者(建設コンサルなどの役務)にリストアップされていることが分かった。「駅前か病院跡地か」―という立地論争の決め手になった「事業費比較」調査を受託したのも同じ有資格業者の「(株)大日本ダイヤコンサルタント」だったことを考えると、当市の図書館行政は前市政から一貫して、JR側とずぶずぶの、いわば“寸歩不離”(すんぽふり)の関係だったことが透けて見えてくる。これほどまでに“民意”をないがしろにした“暴力的”な行政運営は記憶にない。

 

 “呪われた”図書館―。最近、こんな悪夢を見るようになった。『「イーハトーブ“図書館”戦争」従軍記』の終結はまだまだ、霧の中である。ヨボヨボの”老兵”の従軍に終わりはなさそうである。まるで、トランプ米大統領が仕掛けた「イラン」戦争のように…。「おまえが一人/連絡船に乗れ/舵を取って/責任とって/イランことするな…」ー。タレントの清水ミチコが歌う替え歌「ホルムズ海峡・冬(浮遊)景色」がユーチューブから聞こえてきた。ガッテン。

 

 

 

 

 日頃より市政にご関心をお寄せいただき、ありがとうございます。

 

 花巻市教育委員会議における委員のご発言については、立地場所の考えが分かれる場合に最終的な責任は首長と議会にあると位置づけ、説明責任の履行と合意形成を求めているほか、教育委員会等、行政にとっては政治的合意なしに計画を進めるには負担が大きいことや、早期整備を望む市民の期待に配慮する必要があることを指摘しているものと理解しており、これを受け、これまで市は様々な機会を通じて新図書館整備に係る経緯や計画内容の説明に努めてきたと承知しています。

 

 基本計画の策定にあたっては、ワークショップや試案検討会議、市民会議などを開催し、多様な意見を取り入れる努力をし、その都度結果については市広報や市ホームページにおいて市民の皆様にお示しています。駅前立地の選定理由についても、基本計画策定にあたり実施した市民説明会、図書館協議会においても説明し、その会議録については市ホームページで公表しております。また、パブリックコメントについては、市の考えを一つひとつ個別に回答し、その内容をホームページに掲載しております。これらの過程を経て、新花巻図書館建設場所を花巻駅前として、市議会での関連予算の承認等がなされておりますので、計画に基づいて設計業務などを着実に進めてまいります。

 

花巻市長 小原 勝

 

 

 

 

《追記ー1》~挑戦状!!??

 

 回答書が届いた同じ4月30日付けの地元紙「岩手日日新聞」に市長インタビュー「世代つなぎ、活力ある花巻へ」が一面ぶち抜きで掲載された。その中で、小原勝市長はこう語っている。「駅前という立地を生かして、花巻を訪れた人が交流できる玄関口の役割も持たせたい。東西自由通路と新図書館で新たな都市機能が備わる。公と民で育て、中心市街地へ良い流れを広げていってほしい」―。“民意”を敵に回す挑戦状として、受け止めさせていただく。

 

 

《追記ー2》~4月30日は「図書館記念日」!!!???

 

 図書館愛好者を名乗る方から、以下のような貴重なコメントが寄せられた。山室民子については少しは知っていたが、この偶然性に虚を突かれた。「原点」回帰を促す内容だと肝に銘じた。なお、2021年8月15日付当ブログ「『図書館法』秘話二題~山室民子と中井正一」もぜひ、お読みいただきたい。

 

 「1950年4月30日に花巻ゆかりの山室民子が起草に関わった『図書館法』が公布されたことを記念し、日本図書館協会によって4月30日が図書館記念日と定められた。戦前の記念日は4月2日で、この日は帝国図書館長が天皇に図書館についての御進講をした日であり、4月30日の図書館記念日制定は戦前との決別も意図している。民主的な図書館の運営を定める法律が公布されたことを記念するこの日に、図書館整備に関する手続きの合理性に重きを置いた、言わばお役所の事情を正当化する市の回答がなされたことは大きな皮肉と言える」

 

 

《追記ー3》~静岡、新図書館の整備の見直しへ!!??

 

 東静岡駅南口県有地に全館移転整備を計画している新県立中央図書館について、令和10年度の完成に向けて、令和4年3月に設計委託契約を締結し、令和7年3月末まで基本・実施・修正設計を進めてきました。しかし、国土交通省から「静岡県からの要望(申請)に全額応えることが困難である」旨の連絡があり、その後も協議・調整を重ね、新たな財源確保も検討してきましたが、財源不足を生じることとなったため一旦立ち止まって整備計画を見直すこととしました。新館の整備に関する経緯については、リンク先ページよりご覧ください(静岡県公式ホームページより)

 

  新県立中央図書館の整備に関する経緯

 

 

《追記ー4》~えっ、“共創“曲だって?

 

 クラシックマニアを名乗る方から、次のようなコメントが寄せられた。長い間、図書館”漂流”劇を見せつけられてきた当方にとっては、まさにピッタリ。子どもの日にウソをついちゃ、罰(バチ)が当たる。

 

 「こどもの日の5日、地元民放テレビで『市民と奏でる“共創”曲』と銘打った小原市長のインタビューが放映された。えっ、“狂騒”曲じゃないのか。いま、バズっている清水ミチコの替え歌(「ホルムズ海峡・冬(浮遊)景色」)を聞いているうちに、『イーハトーブはなまき』の冬(浮遊)景色が眼前に広がった。“共創”とは真逆の光景が…」

 

 

 

 

 

 

 

 

(写真は「共創」を高らかに謳った小原市長の選挙公約)

 

 

 

 

 

 

「市長へのメール」…新図書館の「駅前立地」に至る経緯を市民に対し、きちんと説明せよ!!??

  • 「市長へのメール」…新図書館の「駅前立地」に至る経緯を市民に対し、きちんと説明せよ!!??

 

 たった10分間の「市長との対話」における、市民無視の顛末(てんまつ)については16日付当ブログで詳しく、触れた。とくに、新花巻図書館の「駅前立地」に至る経緯についてはほとんど言及がなかった。また、「病院跡地」への立地を求める署名活動についてはその妥当性に疑義をはさむなど“対話”どころか、話し合いは完全に平行線をたどった。

 

 一方、冒頭の写真は平成29(2017)年7月10日付で市当局からJR側に提出されたイメージ図で、新図書館(当時は3階建て)と橋上化(東西自由通路)されたJR花巻駅とが2階部分で繋がっているのが見て取れる。立地適正化計画の中で「まなび学園」周辺への立地が公表されたわずか1年後には駅橋上化と一体となった、いわゆる「駅前立地」構想(ワンセット)が秘密裏に進んでいたことがうかがわれる。「まなび学園」周辺から「JR花巻駅前」へー。「駅前か病院跡地か」―という“立地”論争の背後にはこうした闇の部分、つまり「既成事実化」の疑念が付いて回り、現在に至っている。迷走に迷走を重ねた経緯について、その説明責任が行政トップの首長にあることは言をまたない。以下に4月20日付で発信したメールの全文を掲載する。

 

 

 

 

 新花巻図書館の「駅前立地」に至る経緯とそれを裏付ける「民意」の認識について、質問します。なお、事態が急テンポで動いている現状から、4月末日までに文書による回答をお願いします。

 

 

1)前市政は「花巻市立地適正化計画」(平成28年6月策定)の中で、新図書館の移転先として「生涯学園都市会館(まなび学園)周辺への図書館(複合)の移転・整備事業」と明記した。

 

2)前市政はその後上記の方針を転換し、令和2年1月29日付で「新花巻図書館複合施設整備事業構想」を公表した。JR花巻駅前のJR所有地に50年間の定期借地権を設定し、賃貸住宅を併設した図書館を建設するという内容で、市民参画の手続きを抜きにしたこの構想は同年11月12日に白紙撤回に追い込まれた。

 

3)前市政はその後も「駅前立地」にこだわり続け、法的な議決権が付与された花巻市教育委員会議定例会(令和7年5月19日開催)で、駅前立地を盛り込んだ「新花巻図書館整備基本計画」が正式に議決・承認された。その後、令和8年1月7日付で設計業務に当たる業者との間で「業務委託契約書」が結ばれ、現在、“駅前図書館”を前提とした業務が先行している。

 

4)上記の市教育委員会議定例会の席上、本来の所管担当である役重真喜子委員(当時)は市長や議会側の責任を鋭く追及した(別添資料を参考)。いわば、身内からの”反乱”である。後継の小原(勝)市政下でもその「説明責任」は依然として、果されていない。行政側のこの“不作為”責任も問われなければならない。

 

 「駅前立地」へ至る経緯の背景には一体、何があったのか。その立地を正当化する合理的な理由を示してほしい。また、6,000筆を超える立地希望があった「病院跡地」についてはどのような検討がなされたのか―詳(つまび)らかにしてほしい。市民“不在”の行政運営はあってはならない。市民へのきちんとした説明とその理解が得られるまで、設計業務は一時中断すべきである。

 

 

 なお、上記「市長へのメール」への回答は市民の知る権利を考慮し、何らかの方法で一般公開することを付記する。

 

 

〈「役重」発言〉~(会議録から、要旨〉

 

 「私はやはりJRの駅前構想というのが市民にとっては突然という形で、市長から発表され、そのあたりからですね、非常に混乱してきたということですので、首長も含めてですが、政治としての議会も含めて、私は非常に極めてその責任は重いと思っていると言わざるを得ないです。ですので、議会でこれをしっかり透明な場所で議論をして、最終的に良い合意形成をしてほしいと思います。かつ市長と議会が今、なぜここなのか、どういうプロセスを経てここなのか。やはり市民の前に出て自分の言葉で説明をしていただきたいと思います。そうしていただくということ、そしてその市民の理解を得ていただくということを前提条件として私自身は決議をしたいと思います」(再掲)

 

 

 

 

(写真は駅と一体化した図書館のイメージ図。前市政はこの種の話し合いが行われたことは認めたが、その理由については口を閉ざし続けた=文書開示請求によって、入手した資料から)