時代錯誤のトンデモ「発言」…かと思えば、市民「一丸」から→強制「排除」へ~崖っぷちの小原市政~その一方で、議会サイドは!!??

  • 時代錯誤のトンデモ「発言」…かと思えば、市民「一丸」から→強制「排除」へ~崖っぷちの小原市政~その一方で、議会サイドは!!??

 

 「(化製場という)仕事には江戸時代というか、もっと古くからの生業(なりわい)の歴史がある。その点、(行政側が)公的に関わる場合には慎重な判断が求められる」―。花巻市議会9月定例会の一般質問初日の9月14日、高橋修議員(明和会)は豚や鳥などの食肉加工後の残滓(ざんさい)を熱処理する際に排出される、いわゆる“悪臭”問題について取り上げた。市内矢沢地区にある化製場(県化成油脂協同組合)の施設改善計画についての質疑応答の中で、小原勝市長の口から飛び出したのが、冒頭のトンデモ“発言”である。

 

 刹那(せつな)、私の脳裡(のうり)によみがえったのはミカン箱を机代わりにして、鉛筆を舐(な)めなめ、「あ・い・う・え・お」を習うお年寄りたちの姿だった。東北出身の私にとっては「同和地区」と呼ばれる“部落”はなじみの薄い存在だった。結婚や就職、就学などの重層的な差別構造…。“識字”学級に学ぶこの光景を目の当たりにし、まだ20代半ばだった駆け出し記者の私はいわれなき差別の重さに打ちのめされた。かつての産炭地・筑豊での記憶の数々が今回の市長発言で反射的に呼び戻されたのだと思う。

 

 江戸時代、死んだ動物の処理などの生業は不浄な仕事として蔑視され、それに携わる人たちは当時の「身分差別」の最底辺に位置づけられた。いわゆる「部落問題」の淵源(えんげん)はここにある。なぜ、化製場問題と絡(から)めた形で、部落差別を連想させるような発言が口をついて出たのか―。この発言ついて、質問当事者からの反応はなかった。歴史を学び直す良い機会なので、今回の件について、AIの認識を聞いてみた(以下に掲載)。ところがである。この市長発言を彷彿(ほうふつ)させるような事態が相次いで起きていた。

 

 「羽交い絞めにされて押し出された。その際、胸のポケットに入れていたメガネのつるが折れた」(市民)、「そんな事実はない。ただ、その人が室外に出た際、職員に何か言い寄ろうとしたので、別の職員が間に割って入った。ひょっとしたら、その時に手の平が相手に触ったかもしれない」(市側)―。8月25日、東和総合支所で行われた「市長との対話」で、こんなトラブルめいたことがあった。両者の言い分のいずれにも与(くみ)するつもりはさらさらなかったが…。当初、私が問題視したかったのは、この対話のあり方そのものだった。

 

 「もう、時間ですから…」「残り時間は?」「あと、1分です」―。4月16日に開催された初めての「市長との対話」における私と市側とのやり取りである。ストップウォッチを手にした職員の執拗(しつよう)さに、私は思わず「強制排除でもするつもりなのか」と毒づいた。小原市長の本音を聞きたいと思い、私は新花巻図書館に関し「駅前立地」に至る経緯など“民意”の認識についての質問書を事前に提出していた。わずか10分間に制限された時間はまともな対話もないままに終わった。「対話というなら、せめて時間を延長すべきではないか」と言い残して、私は去った。

 

 あれから、わずか4か月後に起きた東和支所“事件”…。さすがの私も「さもありなん。まるで、“逆カスハラ”ではないか」と思った。「市民一丸」を選挙公約に掲げた小原市長のもうひとつの姿を垣間見た思いがしたからである。もしかすると、人権感覚が欠如した無自覚な「部落」発言…つまり、ある種の排外意識がいまだに根っ子に息づいているのではないか―そんな不安に駆(か)られた。考えて見れば、我々みたいな一般市民と現場の最前線でそれに向き合う市職員はともに「小原市政」の犠牲者だと言えなくもない。

 

 10月20日、大迫総合支所で行われる次回の「市長との対話」も時間は1人(1組)10分間程度に制限されている。

 

 

※

 

 

〈AIさんに聞いてみた〉

 

 

(質問)一般論として、市長が江戸時代のいわゆる「部落差別」を肯定するような発言をしたならば、どのように受け止められるでしょうか?

(回答)現職の市長が江戸時代のいわゆる「被差別部落」の存在を肯定・容認するような発言をした場合、極めて重大な不適切発言として、社会的・政治的に激しい批判を浴びることになります。具体的な受け止められ方や発生しうる反応は以下の通りです。

1)人権侵害および公人としての資質への批判~2016年に施行された「部落差別の解消の推進に関する法律(部落差別解消推進法)」の趣旨に逆行するため、法秩序を遵守(じゅんしゅ)すべき自治体首長としての資質が厳しく問われます。議会側や市民サイドが事の重大さを認識した場合、不信任決議やリコール(解職請求)に発展するケースもあります。


2)社会的・経済的な影響、自治体のイメージ失墜~いわゆる”差別”首長がいる自治体として噂(うわさ)が広がった場合、自治体のブランドイメージ(とくに、宮沢賢治の生地としての)が著しく低下します。これにより、観光客の減少や企業誘致・移住促進策などへの悪影響が懸念されます。


3)発言が本意ではない形で切り取られたと主張する場合~市長側は「言葉足らずだった」「誤解を招いた」として釈明・撤回に追い込まれるのが一般的です。現代の日本社会において、部落差別の肯定は個人の尊厳を深く傷つける行為であり、とくに首長職の地位にある者はその言動に慎重であるべきなのは当然です。

 

 

 

 

 

(写真は市長選に挑戦した際の小原市長の街頭演説の告示画像=インターネット上に公開の写真から)

 

 

 

 

≪緊急追記≫~副議長職の立ち位置と議事采配への疑義!!??

 

 

 花巻市議会議員、鹿討康弘議員(緑の風、当選2回)は過日、自らのFB上に市議会9月定例会において、副議長職に就任したことに関連し「一期目はすべての一般質問に登壇したが、副議長になることによって、その質問権が行使できなくなる」―という旨の投稿をした。実際、9月定例会の一般質問者の中に同議員の名前はなかった。

 

 さらに、実際の議事進行に当たっては、ある議員に対し「これは通告のない質問ではないか」といったん釘を刺したが、質問者の主張を受け入れる形で、小原勝市長が答弁に立つという一幕があった。議会中継を見ていた私は采配の不慣れを認めつつも、首尾一貫性のない采配ぶりに、市長に対する“忖度”(そんたく)を感じた。その辺の真意を問いただすため、コメントを投稿したが、その直後にすべてが削除されたため、改めて当時のコメントを想起しながら、私信の形で、以下の質問を送った(9月23日付)

 

 

 

※

 

 

 鹿討 康弘 さま

 

 今般の副議長職への就任、おめでとうございます。さて過日、貴殿のFBのコメント欄に以下のような2点の質問をさせてもらいました(要旨)

 

1)副議長職についた議員の質問権のあり方はどうあるべきか。質問権の不行使について何らかの規定や定めはあるのか

 

2)当然のことながら、二元代表制の立場から議事進行は公正中立を旨とすべきものである。ところが、9月定例会の一般質問の場で、議員固有の権利である「質問権」に対し、市側の意向を忖度したと思われかねない“介入”があった。その経緯に何があったのか。

 

 ところがその後、回答がないどころか、FBが一方的に遮断されるという事態が起こった。副議長という要職にある貴殿の対応は有権者に対する「背信」行為と言わざるを得ない。9月定例会が閉会する10月5日までに誠意ある回答を寄せていただきたい。

 

 

 

〈注〉鹿討議員からの返信

 

 9月26日午後、同上の件で鹿討議員から電話があった。その中で同議員は「FBを一方的に遮断したというのは事実誤認。そんな姑息(こそく)なことはしていない」と話した。以前、アクセスできていた同議員のFBは「リクエストされたコンテンツは現在、表示できません」として、アクセスが不能になっている。

 

 

 

 

本は人を呼び寄せ、人は本を呼び寄せる…一冊の本の数奇な旅物語~終着駅「イーハトーブ」での奇跡の再会~そして、本日は「賢治忌」!!??

  • 本は人を呼び寄せ、人は本を呼び寄せる…一冊の本の数奇な旅物語~終着駅「イーハトーブ」での奇跡の再会~そして、本日は「賢治忌」!!??

 

 秋の気配が感じられるようになった9月上旬、宮沢賢治記念館の真向かいにある蕎麦屋にひとりの女性客が訪れ、名物の手打ちそばを注文した。お父さんと店を切り盛りするあゆちゃんは大の本好き。店内の片隅に“私設”本棚を設け、なかなか手に入りにくい希少本を並べている。『100年かけてやる仕事―中世ラテン語の辞書を編む』(小倉孝保著、プレジデント社)を手に取ったこの女性がビックリした表情で言った。「ところでどうして、この本がここに?」。編集者の中嶋愛さん本人だった。「えっ」と今度はあゆちゃんの方が驚く羽目に…

 

 『100年かけて…』の旅の始まりは約5年前にさかのぼる。当時、当市では新図書館の立地場所をめぐって、「駅前か病院跡地か」という市民を二分する“立地”論争が激しさを増していた。そんな折、「図書館は成長する有機体とも言われる。だから、そこの住人の本たちも世代を継いで成長するものでなければならない」―。一家言ある本の目利きの知人にすすめられたのがこの本だった。

 

 同書は英国が準国家プロジェクトとして、100年をかけて完成させた『英国古文献における中世ラテン語辞書』の誕生の物語を追ったドキュメンタリ-である。編纂事業がスタ-トしたのは第1次大戦が始まる前年の1913年で、完成したのは2013年。ひと口に「100年」と言われてもピンとこない。著者は新聞記者らしい感覚で、その時空間をこんな風に説明していた。「日露戦争前に辞書の必要性が叫ばれ、徳川幕府最後の将軍、徳川慶喜が亡くなった大正2年にプロジェクトが始動。そして、第一次、第二次大戦、戦後の混乱と経済復興、バブル経済とその崩壊を経て初めて辞書が完成している」

 

 付箋を貼り、折り目をつけ、傍線を引きながら、貪(むさぼる)ようにして読んだ。「わたくしといふ現象は/仮定された有機交流電燈の/ひとつの青い照明です(あらゆる透明な幽霊の複合体)」(宮沢賢治『春と修羅』序)―。大好きな賢治のこの言葉が「世紀をまたぐ」事業を支えた心意気と重なり合うような気がした。「そうだ、100年事業として、“まるごと賢治図書館”(IHATOV・LIBRARY)の実現を目指そう」ー

 

 そんな粋(いき)がりの一方で、この本たちの行く末がにわかに気になり始めていた。齢(よわい)86歳。本棚からあふれんばかりの”総本山”が悲鳴を挙げつつあった。とっさに思いついたのがメシより本が好きなあゆちゃんだった。「彼女なら、安心。好きなだけ持っていって」と断捨離の第1号に指名した。その中の一冊がこの本だった。そして、“私設”本箱の中から、目ざとくこの本を見つけ出したのが、自ら編集を担当した中嶋さんだったという―「縁(えにし)」の不思議。「著者(小倉さん)にも伝えたいからと…」と中嶋さんは付箋付きの本を写真に収め、「ところで、この人は何者?」と逆にあゆちゃんに問いかけたのだという。私はこの後日談を聞いて、有頂天になってしまった。「こんな奇跡はめったにないよな」と―

 

 本の目利き(知人)→本中毒(私)→メシより本好き(あゆちゃん)→名編集者(中嶋さん)→本書の著者(小倉さん)…。たまたま、この日(9月21日)は賢治没後94年の「賢治忌」に当たっていた。私はさっそく、一冊の本が巡りめぐったこの旅物語を賢治に報告した。幽霊を自認する「おらが賢治」はこんなエピソードには目がないと思ったからである。この5人衆こそがまさに「透明な幽霊の複合体」ではないかと…。小倉さんは本書を執筆した動機について、以下のように記している。

 

 「自分たちの生きている時代に完成しそうもない、つまり自分たちが使うあてもない辞書をつくることになぜ、それほど精力を傾けたのか」―。そう、本とそれを収蔵する図書館という“空間”は未来永劫に続く人類の希望なのだと、心底そう思った。その足元では利便性やまちの賑わい創出だけをスローガンに掲げた“駅前図書館”が2030(令和12)年の開館に向けて強行されようとしている。

 

 

 

 

 

 

(写真はあゆちゃんの仲介で、奇跡的な“遭遇”が実現した付箋だらけの希少本)

 

 

 

 

 

 

 

 

”駅前図書館”の前途に暗雲…補助金の減額ショックに物価高騰や資材不足などが追い打ち~補助金行政のツケがいま!!??

  • ”駅前図書館”の前途に暗雲…補助金の減額ショックに物価高騰や資材不足などが追い打ち~補助金行政のツケがいま!!??

 

 「中東情勢などの影響もあって、工事費や人件費などがものすごく高騰しており、着工時の概算総事業費は現在に比べて、10%から最大で20%前後はね上がる可能性も否定できない」―。15日開催の花巻市議会一般質問で、羽山るみ子議員(はなまき市民クラブ)が新花巻図書館に関してただしたのに対し、松田英基・副市長は初めて、概算総事業費の大幅増額は避けられないという見解を示した。

 

 羽山議員は新図書館の駅前立地について「39・9億円という概算総事業費の算定時点からすでに1年半以上が経過した。この数値に変わりはないか」と問うた。この内訳は国庫補助金15億円、合併特例債による交付税措置額(キックバック)16・5億円、市の実質負担額8・4億円で、うち今年度分の国庫補助金の内示額は要望額約4・4億円を大幅に下回る約1・6億円に止まった。「減額分の穴埋めはどうするのか。今後も減額が続いた場合の対応は」と羽山議員が迫ったのに対し、蛭田健次・建設部長は「見通しは厳しいが、想定上の回答は控えたい。各方面への要望活動を粘り強く進めたい」と突っぱねた。

 

 「先の答弁に補足したい」と質疑応答の閉め切間際、松田副市長がふたたび手を挙げた。「39・9億円という数字は実は床面積4,500平方メートルを想定した全国平均の単価。今後、既定の事業費に見合う形で計画を遂行する場合は当然、床面積の縮小や蔵書数など計画の見直しが迫られることになる」と苦しい胸の内を明かした。上田東一・前市長は10年前、「全国で3番目」と口癖のように自慢した「花巻市立地適正化計画」を策定。当時は潤沢に国からの補助金が入ってきた。しかし、補助対象になる当該計画の策定自治体はいまでは685に上っている。パイの奪い合いになるのは目に見えている。例えば、以下のような例もある。

 

 静岡県は東静岡駅南口県有地に全館移転整備を計画している新県立中央図書館について、令和10年度の完成に向けて、令和4年3月に設計委託契約を締結。令和7年3月末まで基本・実施・修正設計を進めてきたが、国土交通省から「要望に全額応えることが困難である」との連絡があったため、財源不足を理由に整備計画の見直しに追い込まれた(令和8年5月19日付の同県HPより)。当市もすでに公募プロポーザルによって基本・実施設計の業者が選定され、業務が進められているが、肝心の資金不足から静岡県と同じ轍(てつ)を踏まないとは限らない。

 

 市側は今後も予想される国庫補助金の減額内示については「あらゆる選択肢を動員して、財源確保に努めたい」とし、小原勝・市長も「駅前立地はあらゆる手順を踏んで、正式に決まった経緯がある。その通り進めたい」とこの日の質疑の中で、既定路線を貫くことを改めて強調した。財源不足を補うための優先順位は当然、還元率が有利な合併特例債に頼ることになる。令和9年度以降の発行残高は約68億円。本来、合併に伴う「新市建設計画」に充当すべき事業の先送りや見直しなども懸念される。そもそも、国の財政状況に左右されがちな「国庫補助」を前提とした計画自体が間違いではなかったか。補助金頼みのこれまでの行政運営をそろそろ、見直すべき時期ではないか。

 

 久しぶりに図書館が立地される予定の花巻駅周辺をぶらついてみた。線路に隣接した建設予定地(2階建ての元スポーツ店=上掲写真)の背後には8階建てのホテルがおおいかぶさるようの屹立(きつりつ)していた。「ここに図書館を…」という発想は逆立ちしてもわいてこなかった。ちなみに、6千人以上の市民が望んだ「病院跡地」に立地した場合の概算総事業費は36・3億円。うち、合併特例債の交付税措置分14・1億円、市側の実質負担分7・2億円で「駅前立地」に比べて総額で、3・6億円も少なくなっている。

 

 いずれにせよ、国からの補助金(この原資も元をただせば、税金なのだが…)が減ればその分、市民の税負担は増えるということになる。「ざっと40億円というビッグプロジェクトの市負担はわずか8億円余り」ー。上田前市長のこの補助金”マジック”の神通力は後継の小原市政下で早くも破綻(はたん)しつつある。加えて、当該病院跡地は駅前のJR所有地と違い、すでに市有地になっていることを忘れてはなるまい。計画の見直しをしないまま、現行の概算総事業費を維持した場合には(応札者がいないという)「入札不調」に陥るリスクがある。逆にその額を増額した場合は直接、市民の税負担増につながるーというジレンマに中に小原市政はいま、投げ出されている。「去るも地獄、残るも地獄」……

 

 

 

 

 

(写真は草が伸び放題の駅周辺。左側に少し見えるのは橋上化が進むJR花巻駅。ここが最適な図書館の立地環境だと思う人は果たしているだろうか=花巻市大通りで)

 

 

 

精神歌“騒動”と賢治“利権”…「市長へのメール」をきっかけに、もうひとつの市民運動とその記憶をたどる旅へ!!??

  • 精神歌“騒動”と賢治“利権”…「市長へのメール」をきっかけに、もうひとつの市民運動とその記憶をたどる旅へ!!??

 

 「たしか、この辺にあったはずだが…」―。宮沢賢治が作詞した「花巻農学校精神歌」の一節を墨書した木塔に無性に再会したくなり、旧花巻農学校跡地に整備された「ぎんどろ公園」を訪れた。著名な彫刻家、本郷新さんの「風の又三郎」群像碑や「早春」詩碑、賢治が植えたと伝えられる「ぎんどろ」の木々…。3年ほど前に足を運んだ時はまちがいなく、この近くにあった。それがない。市の担当者に調べてもらったところ、木製のために腐食が激しく撤去したという。

 

 「我等ハ黒キ土ニフシマコトノ草ノ種マケリ」―。原文では「ワレラハ黒キ ツチニ俯シ/マコトノクサノ タネマケリ」となっているが、私は逆にこの野太い筆跡が好きで、こころが疲れた時には必ず、足を向けることにしていた。そして今回は例の精神歌「作詞・作曲」の誤記載問題で傷つけられたこころを癒(い)やすために…。私は幼少時、いわゆる“農学校通り”に住んでいた。卒業式を終えた花農生たちはこの歌を大声で歌いながら、学び舎を去っていった。流れ落ちる涙をこぶしで拭いながら、”放歌高吟”する行列を私はまるで、天から降臨した尊きものに接するような面持ちで眺めていた。

 

 現在、宮野目地区に建つ県立花巻農業高校の前身は遠く、1907(明治40)年の「稗貫郡蚕業講習所」にまでさかのぼる。その後、1921(大正10)年4月、「郡立稗貫農学校」(2年後に県立花巻農学校と改称・移転)となり、賢治はこの間の4年4カ月間、教壇に立った。当時校歌を持たなかった生徒たちのために作詞したのが「精神歌」(作曲は川村悟郎)だったことは前に触れた。しかし、「精神歌」受難劇はその後も紆余曲折(うよきょくせつ)を経て、現在に及んでいる。

 

 同校が1969(昭和44)年、現在地に再移転することになった際、その跡地利用が市民の関心事になった。当時、市側は広大な一帯を宅地分譲する計画を打ち出した。「賢治精神を後世に。賢治の里の灯を消すな」―。この計画に反対ののろしを上げたのは、賢治の教え子で同窓会長でもあった照井謹二郎さん(故人)だった。燎原の火のように広がった市民運動の声を受け、市側は「宅地分譲」案を撤回。一帯は現市立図書館や文化会館などが集まる一大文教地区に生まれ変わった。木塔はある篤志家が寄贈したと伝えられている。

 

 あれから、半世紀以上―。「精神歌誕生の地が旧稗貫農学校跡地(現病院跡地)だということは、賢治ゆかりという意味ではより由緒がある。しかも、隣接地にはまなび学園もあり、文教地区にうってつけ。図書館立地はここしかない。あの時の市民の一致団結した熱気を伝えたい」―。当時、市民運動の先頭に立った、元教員の押切郁さん(96)は現在、進行中の「新花巻図書館」問題の成り行きを不安げに見守っている。

 

 「JR花巻駅前か旧花巻病院跡地か」―。一方、その“立地”論争はと言えば…病院跡地への建設を求める6000筆以上の“民意”(署名)を黙殺するように「駅前立地」へ向けて、強行突破の構えである。かつて、大先輩たちが図書館に傾けた情熱に耳を傾けようとしないばかりか、他方では賢治“利権”という闇の世界も見え隠れするようになった。受難劇はいま、最悪の場面を迎えつつある。

 

 「我等ハ黒キ土ニフシマコトノ草ノ種マケリ」―。あの木塔はなくなったものの、ぎんどろ公園の黒土に蒔(ま)かれた「マコトノ草ノ種」はきっと、芽吹きの時を待っているにちがいない。「精神歌」の全文を刻した石碑は現在、羅須地人協会が移設されたと同じ県立花巻農業高校(市内葛)の敷地内に建っている。

 

 旧稗貫農学校から旧花巻農学校(ぎんどろ公園)、そして現県立花巻農業高校へ。こうして、賢治と精神歌はまさに”不離一体”の形で伝え継がれてきた。それがいま、“駅前図書館”によって、その一体性が断ち切られようとしている。「豊かな自然/安らぎと賑わい/みんなでつなぐ/イーハトーブ花巻」―。市自らが標榜(ひょうぼう)するこの将来都市像が霧の彼方にかすんで見える。旧料亭「まん福」と旧新興製作所(花巻城址)、旧花巻病院(元稗貫農学校)…「三大跡地」の無惨な光景だけが目の前に、茫々(ぼうぼう)と広がっている。

 

 

 

 

 

(写真はかつて、ぎんどろ公園内に建っていた「精神歌」の木塔=インターネット上に公開の写真から)

 

 

 

 

(註)8月24付で送付していた「市長へのメール」へ回答が期限の9日午後6時すぎに届いた。以下にメールの内容(再掲)と回答書の全文を掲載する。

 

 

※

 

 

〈市長へのメール〉~市政運営における「宮沢賢治」の位置づけについて

 

 

 賢治生誕130年に当たる今年、「賢治まちづくり課」を中心に各種イベントなどを企画・運営されていることに敬意を表します。こうした中、明らかに賢治に関する誤記載や虚偽利用を疑わせる案件が散見されます。「賢治のまち」を標榜する当市としては、仮にそうした疑義があった場合、直ちに修正する立場にあると考えます。以下の2点についての対応をお尋ねします。回答は市議会9月定例会が開会する9月9日までにお願いします。

 

1)当市は二地域居住や関係人口の創出を図るため、6月定例市議会で関連の5,643千円を予算化した。当該事業に直接関与するのは「(株)雨風太陽」(本社・花巻市、高橋博之社長)。市側は今後、「同社の拠点である花巻ベースを活用したお試し居住などの実証事業に取り組みたい」としている。なお、同社は生産者と消費者をつなぐ「ポケットマルシェ」(ポケマル)として、当市のふるさと納税にも参入している。

 

 ところで、高橋社長は自らが提唱する「関係人口」論の原点を賢治の世界観に求め、たとえば賢治の「作詞・作曲」による「(花巻農学校)精神歌」もそのひとつとして紹介している(8月3日付当ブログ参照)。しかし、作曲を担当したのは実は賢治の知人だというのが定説になっているため、この誤記載のすみやかな訂正を求めてきたが、現在に至るもそのままである。「イーハトーブはなまき」の実現を掲げる当市としては、賢治にかかわるこうした基本的な誤りは決して看過すべきではないと考える。相手方企業に訂正方を申し入れる考えはないか。

 

 

2)当市のふるさと納税の返礼品のひとつに「花巻黒ぶだう牛」があり、「ふるさとチョイス」のポータルサイトにはその由来がこう書かれている。

 

 「花巻出身の詩人で童話作家の宮沢賢治の寓話(ぐうわ)『黒ぶだう』で、仔牛がぶどうを食べる描写があることから名づけられた、花巻ならではのブランド牛です。寓話『黒ぶだう』は花巻市御田屋町の旧菊池捍邸が舞台とされ、赤狐に誘われた仔牛が留守の人間の別荘に入り込み、勝手に『黒ぶだう』を食べていたところに住人の公爵一行が帰宅し、逃げ遅れた仔牛は見つかってしまいますが、怒られもせず、逆に黄色いリボンを結んでもらうというものです…」

 

 令和5年3月の定例記者会見で、この「旧菊池捍邸」モデル説に疑義を唱えたのは他ならない上田東一・前市長。その後、モデル説を提唱した関係者も「(モデルだという)確証は得られなかった」と証言して、現在に至っている。この間の経緯を知る立場にある行政側は削除や訂正のないまま公開し続けているが、これは明らかに”虚偽”広告そのものではないか。見解を伺う。

 

 

 

〈市長へのメール〉への回答書

 

 

 頂戴した御質問につきまして、市としての基本的な考え方は、令和6年10月に増子様からいただいた御質問に回答いたしましたとおり、多くの方が宮沢賢治作品を研究することはそれだけ宮沢賢治の世界を豊かにすることであるとも考えられ、それらの説は研究の成果として尊重されるべきで、市として個々の研究の成果についてその当否を判断すべきとは考えていないところであります。

 しかしながら、増子様のこのたびの御指摘につきましては、「精神歌」の作曲者が賢治の知人というのが定説と言われておりますことから、1点目の(株)雨風太陽のホームページの記載内容に関し同社へ情報としてお伝えしたいと考えております。

 2点目のふるさと納税ポータルサイトの返礼品における紹介記述につきましては、返礼品提供事業者の意向に基づいて掲載しているものでありますが、市が実施するふるさと納税事業の公共性を鑑みますと正確な表現が求められますことから、「黒ぶだう」のモデルが旧菊池捍邸であることが確証できないという経過を踏まえ、当該返礼品提供事業者にこの旨をお伝えするとともに、記述内容について協議いたします。



 花巻市長 小 原  勝

<担 当 課 地域振興部定住推進課    (電話24-2111 内線271)>

 

 

 

《追記》~言行不一致

 

 「野次馬」を名乗る方から、以下のようなコメントが寄せられた。当方も確認したら、その通りだった。

 

 「市として個々の研究の成果についてその当否を判断すべきとは考えていないところであります。」とあるんだけど市のHPを見ていたら、「宮沢賢治イベントカレンダー2026秋冬号」https://www.city.hanamaki.iwate.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/003/953/2026akihuyuomote.pdf の地図に「黒ぶだう」ベチュラ公爵別邸(旧菊池捍邸)と書いているのを見つけたよ。これって市が個々の研究成果を認めて地図に書いたことだよね。同じHPの一番古い地図(2020年春夏号)でも同じ表示だよ。何だ、第三者にお伝えするどころだけじゃなくて、市自ら長期間こういうことを認めて、積極的に発信していたんじゃないですか。言行不一致ってこういうことなのかなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

究極の賢治”利権”…ついに、株式市場にまで登場~時代に翻弄(ほんろう)される「おらが賢治」!!??

  • 究極の賢治”利権”…ついに、株式市場にまで登場~時代に翻弄(ほんろう)される「おらが賢治」!!??

 

 「関係人口論の元祖は実は賢治ではないか」―。こんな趣旨の発言に一瞬、あっけにとられた。「都市と地方をかきまぜる」をミッションに掲げ、二地域居住や関係人口の創出などの事業を展開する「(株)雨風太陽」(本社、花巻市)が3年前に株式上場(東証)した際、高橋博之社長は地元の詩人で童話作家、宮沢賢治の世界観を経営理念の基本に据えることを表明した。私自身、賢治による「まちづくり」を一貫して主張していただけに、援軍来たれりと背中を押された気分になっていた。ところが…

 

 「雨ニモマケズ/風ニモマケズ/雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ/丈夫ナカラダヲモチ…」―。株式上場の直後、地元で開かれた報告会の会場で高橋社長はこの有名な詩を朗々と詠(えい)じながら、持論を展開した。「都人よ 来って/われらに交れ…」という一節が代表作『農民芸術概論綱要』の中にある。高橋社長は「賢治」元祖論の根拠をこの一文に求め、こう述べた。「都市と地方の分断を解消し、共に手を取り合って生きることの大切さを伝えています」―。この本が書かれたのは約100年前。人口動態など社会情勢が全く違う時代のメッセージをそのまま、現代社会に当てはめるという強引な手法に次第に腰が引けてきた。

 

 「日ハ君臨シ/カガヤキハ…」(1番)―。高橋社長は舞台せましと賢治「作詞・作曲」の「(花巻農学校)精神歌」を披露し、400人以上が詰めかけた会場の雰囲気は一気に盛り上がった。私自身のブログ名「ヒカリノミチ通信」もその一部「日ハ君臨シ カガヤキノ/太陽系ハ マヒルナリ/ケハシキタビノ ナカニシテ/ワレラヒカリノ ミチヲフム」(4番)を借用している。涙がこぼれるほどに美しい詩句である。さて、今回の当ブログのテーマはこの「精神歌」論争をめぐる攻防についてである。以下に少し、おさらいをしておく。

 

 花巻農学校精神歌は賢治が当時、“桑っこ大学”と呼ばれていた「稗貫農学校」(現、県立花巻農業高校)の教師時代の大正11(1922)年2月、校歌を持たなかった生徒たちのために作詞。盛岡高等農林学校(現、岩手大学)の学生「川村悟郎」が作曲を担当した(8月3日付と同24日付当ブログ参照)。私はこの事実を元にして「作曲」の誤記載の訂正を求めてきたが、頑としてそれに応じないことに不思議な違和感を抱き続けてきた。そして、ハタと心づいた。焦眉(しょうび)の急になっている「新花巻図書館」問題に対する“立ち位置”の気の遠くなるような乖離(かいり)、つまりは「ダブルスタンダード」(二重基準)ではないかと…

 

 「なぜ、賢治精神を称揚しながら、精神歌が産声(うぶごえ)を上げたそのゆかりの地である稗貫農学校跡地(現花巻病院跡地)への立地に背を向け、市側が進める駅前立地に与(くみ)するのか。例えば、全国に広がる賢治ファンやインバウンドの喚起など病院跡地への立地の方がはるかに関係人口の創出という持論にかなうのではないか。これを裏返せば、結局は賢治の”いいとこ取り”…。関係人口論とはつまるところ、株主を確保のための手段ではなかったのか」―

 

 そういえば、「関係人口」創出のための共同事業体「花巻二地域居住推進コンソーシアム」には同社のほか、花巻市とJR東日本盛岡事業本部、現職市議が社長を務める「Pサポ東北」という会社が名を連ねている。明らかに「駅前」シフトの布陣である。その社名も賢治に由来するらしい「雨風太陽」に対する、以上が私の素朴な疑問である。誤記載の訂正とともに回答を願いたい。

 

 

 一方、高橋社長は報告会の中で、賢治童話『セロ弾きのゴーシュ』についても触れていた。その簡単なあらすじは―

 

●町の活動写真館の人気者であるゴーシュは、音楽団でチェロを弾いていました。しかしあまり上手ではなく、いつも楽長に叱られていました。演奏会まであと10日、演目は「第六交響曲」。ゴーシュは町外れにある水車小屋の自宅に帰ると、毎晩必死にチェロの練習を続けます。するとなぜか次々と訪問者が現れて……。「トロイメライ」をリクエストする三毛猫。音階を習いに来る小鳥のかっこう。スティックを持参して「愉快な馬車屋」を合奏する子タヌキ。そしてチェロの音で子どもの病気を治そうと訪れる野ネズミの母子…

 

●これらの不思議な訪問者との対話を通じて、ゴーシュは自分の演奏に足りない部分を徐々に自覚していきます。そして迎えた演奏会の日、ゴーシュは楽長からアンコールを求められ、かつて三毛猫に聞かせた「印度の虎狩」(賢治の創作曲)を見事に演奏し、大きな賞賛を浴びるのでした(どんど晴れ)

 

 

 高橋社長はこの童話についてはこんな風に語っていた。「ゴーシュが所属する活動写真館の楽団はいわば、管理され評価のまなざしにさらされる空間。それに対して、ゴーシュが暮らす村はずれの水車小屋は動物たちが遊びにやってくる開放的な空間で、ここでゴーシュは人間性を回復する。都市(活動写真館)と地方(水車小屋)のこの車の両輪をかきまぜるのが、関係人口論のミッションだ」―。我田引水や牽強付会(けんきょうふかい)という言葉が頭をよぎった。ふたたび、眉に唾をつけたくなった。私自身が心を打たれた、もうひとつの「ゴーシュ」観をここに紹介しておきたい。

 

 「この土地で『なぜ20年も働いてきたのか。その原動力は何か』と、しばしば人に尋ねられます。人類愛というのも面映(おもは)ゆいし、道楽と呼ぶのは余りに露悪的だし、自分にさしたる信念や宗教的信仰がある訳でもありません。よく分からないのです。でも返答に窮したときに思い出すのは、賢治の『セロ弾きのゴーシュ』の話です」―

 

 2019(令和元)年12月、アフガニスタンでテロの凶弾に倒れた医師の中村哲さん(享年73)はその15年前に第14回宮沢賢治イーハトーブ賞を受賞。「わが内なるゴーシュ、愚直さが踏みとどまらせた現地」と題したこんなメッセージを寄せた。『わたしは「セロ弾きのゴーシュ」』(2021年、没後刊)と題する自著を残した中村さんは生前、周囲にこう漏らしていたという。

 

 「自分がやりたくて、やっているのではない。目の前の不条理に巻き込まれ、怒り絶望しながら、気が付けば自分自身が他者に生かされていた」―。動物たちの無理難題の要求に時にはブツブツと文句を吐きながら、それでも愚直に心を通わせる中村さんの姿がまぶたに浮かんだ。私は拙著『「イーハトーブ“図書館”戦争」従軍記』(2026年1月刊)の中にこう書き記している。

 

 「私が新聞記者として、初めて遭遇した最大の出来事は『三池炭鉱炭じん爆発事故』(1963年=福岡県大牟田市)で被災し、重篤な後遺症に苦しむ患者たちの取材だった。485人が死亡し、839人が不治の病と言われた『一酸化炭素(CO)中毒』に侵された。九州大学医学部を卒業した中村さんがその時、若き神経内科医の研修生として、患者の治療に奔走していたことをあとで知った。当時、阿鼻叫喚(あびきょうかん)の現場で、互いにすれ違っていたかもしれない。いま思えば、その時の運命的な“出会い”が6歳年下ながら、私が哲さんを人生の師と仰ぐきっかけだったように思う。故中村医師のそれが賢治、いやゴーシュであったように…」

 

 賢治が“夢の国”と呼んだイーハトーブ(理想郷)をその賢治精神を基軸にした世界レベルの文化都市に昇華できるか、それとも一地方都市の利便性の中に埋没させてしまうのかー。「関係人口」問題と相まって、“魂のインフラ”とも言われる公共図書館の行方―つまり、まちづくりの根本がいま問われている。

 

 「一日ニ玄米四合ト/味噌ト少シノ野菜ヲタベ…」―。高橋社長が朗誦した詩「雨ニモマケズ」は戦前、国粋団体の「大政翼賛会」によって、農村労働力の収奪に利用された。戦後は一転、学制改革に伴う新しい教科書(中学用国語)の中で「玄米四合」が「三合」に改ざんされるという出来事があった。敗戦後の食糧難に備えるというのが名目だった。そして、今度は”雨風”台風の襲来。「時代」に利用されるという意味で、「おらが賢治」は同時に両刃(もろは)の剣(つるぎ)でもある。

 

 「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」(前掲『農民芸術概論綱要』)―。高橋社長は人口に膾炙(かいしゃ)したこの言葉を披露して、報告会を閉じた。だからなおさらの事、とくに賢治を語る際には”ダブスタ”は許されないということである。なお、この報告会には上田東一・市長(当時)や高橋豊・花巻商工会議所会頭らが出席して祝辞を述べた。「宮沢賢治」というレガシー(遺産)が目の前で、”収奪”されていく光景がいまも、まな裏に浮かぶ。

 

 

 

 

 

 

≪追記≫~県立野亜高校「イーハトー部」

 

 「増子耶寿子です。マスヤスと呼んでください」―。賢治生誕130年にあやかって、第35回宮沢賢治奨励賞(2025年)を受賞した『銀河の図書室』(名取佐和子著)を手に取った。読み始めたとたん、危うく腰を抜かしそうになった。14ページの6行目に「同姓」の名前を見つけたからである。同書は読書好きの数人でつくる高校の同好会「イーハトー部」の仲間たちが宮沢賢治の代表作『銀河鉄道の夜』などを読み解きながら、「ほんとうの幸い」とは何かを求め続ける“青春”小説である。

 

 読み進みながら、私は別の想念に取りつかれていた。妻「増子美恵子」は8年前に病没した。ある種の”賢治狂い”の私の影響を受けたのか、いつの間にか妻も隠れ“信者”になっていたようだった。マスヤスからマスミエへ。その亡妻が今度は何と「イーハトー部」のニューフェイスとして、登場しているではないか。そんな妄想にとらわれた。「弔い月」(8月)が終わる31日にやっと、読了した。「私に逢わせよう」と賢治が急いで連れてきてくれたんだなと思った。

 

 

 

 

 

 

 

(写真は「中村哲が本当に伝えたかったこと」というサブタイトルをつけた没後刊の最後の本=インターネット上に公開の写真から)