首長主導型の「図書館」行政は有効か…”本家筋”の教育委員会は蚊帳の外!!??  

  • 首長主導型の「図書館」行政は有効か…”本家筋”の教育委員会は蚊帳の外!!??   

 

 「新しい図書館は、今後何十年と使っていくこととなるものであり、市民の皆様の御意見を十分に伺いながら、より利用しやすい図書館の整備を早期に実施できるよう努力してまいりたいと考えております」―。平成26年2月に就任した上田東一市長はその年の12月市議会定例会の質疑で初めて、図書館の早期実現について言及した。この方針はその後「花巻市立地適正化計画」(平成28年6月)の中に正式に位置づけられ、足かけ10年に及んだ新花巻図書館の立地問題は今年3月、市側が「駅前立地」を最終決定するという経緯を辿った。

 

 「新花巻図書館整備基本計画の策定に関し議決を求めることについて」―を議題とする教育委員会議(佐藤勝教育長ら委員6人)が5月19日に開催される。提供される資料は3月21日付で策定された「新花巻図書館整備基本計画」(案)で、立案者として「花巻市」と並んで「花巻市教育委員会」の名前が並んでいる。突然の“登場”にオヤッと思った。図書館の立地問題を一貫してリードしてきたのは上田市長が率いる生涯学習部を中心とする首長部局だと思い込んでいたからである。このからくりについてはすでに言及してきたが、市民の理解を促すためにもう少し論点整理をしてみたい。

 

 図書館を所管するのは言うまでもなく、教育委員会である。しかし、時代の推移とともに「まちづくり」の観点から首長部局との間で権限移譲が進むようになり、その代表的な例が「補助執行」という制度であることは前述した。当市の場合の関係法令は―

 

●「花巻市教育委員会の権限に属する事務の補助執行に関する規則」(平成19年3月)

 

~地方自治法第180条7に規定に基づく規則。補助執行させる事務は「花巻市立図書館に関すること。花巻市立図書館協議会に関すること」で、担当職員は「生涯学習部長、新花巻図書館計画室の職員及び図書館の職員」に限定され、予算執行を除く市長の関与は排除されている。一方、「花巻市部設置条例」(平成18年1月)によると、市長の権限に属する事務分掌(生涯学習部)の中に「図書館」は入っていない。

 

●「花巻市教育に関する事務の職務権限の特例を定める条例」(平成20年12月)

 

~上位法「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」(昭和22年4月)の第23条(職務権限の特例)に基づく条例で、市長が直接、管理・執行ができる教育関連の事務としては「(学校行事を除く)スポーツ全般と(文化財の保護を除く)文化全般」が該当するとされ、図書館関連は含まれていない。その後令和元年の法改正によって、具体的に「図書館、博物館、公民館その他の社会教育に関する教育機関のうち当該条例で定めるもの」についても、市長の管轄下に置くことができるとされたが、当市ではこの条例化に踏み切らないまま、現在に至っている。一方、「花巻市教育委員会行政組織規則」(平成19年3月)は属する教育機関(第23条)として「花巻市立図書館」を列挙している。

 

 以上から言えることは、首長部局が図書館部門に関わることができるのは「補助執行」に限定され、それに伴う関連事務も教育委員会の監視下で行われなければならないということである。ところが2020(令和2)年1月、突然公表されたのが「住宅付き図書館」の駅前立地(いわゆる“上田私案”)だった。仮に教育委員会の頭越しに行われたトップダウンの政策決定だとすれば、上田市長の法令違反は明らかで、その逆であるなら図書館を所管する教育委員会側の責任も問われなければならない。開示請求した内部文書を見る限り、この構想の立案過程に教育委員会が関与した形跡はまったくない。

 

 「教育委員会として、補助執行を出しっ放しはやはり良くなかったということがあります。教育全体、特に社会教育生涯学習の動きについて、なかなかご理解、情報提供する機会がなかったということも反省しております」(令和4年3月23日開催「第4回教育委員会議定例会」会議録)―。佐藤教育長のこの発言に見られるように「補助執行」のあり方にある種の疑問を呈しながら、その後改善された様子は見られない。上田市長の越権行為と佐藤教育長の不決断が“立地”論争の長期化を招き、市民の間に大きな不信感を植え付けたという意味で、双方の責任は計り知れない。と同時に「駅前立地」の決定に至る手続き自体も無効だと言わざるを得ない。

 

 「補助執行」をめぐっては他の自治体でも混乱が見られ、たとえば愛知県長久手市では昨年、議会側から「(市長が)古民家移転事業について、移転中止を判断したのは越権行為ではないか」と追及され、その運用の見直しを迫られたケースがあった。一方、徳島県阿南市は今年3月、「阿南中央図書館(仮称)整備計画」を策定したが、その計画策定者は「阿南市教育委員会」だけとなっており、図書館の所管が明確に位置づけられている。

 

 いまこそ、行政訴訟も視野に入れた「無効な行政行為」について、真剣に向き合うべき時かもしれない。

 

 

 

 

(写真は手狭な閲覧室で読書する高校生。不毛な“立地”論争がいたずらに時間と金を浪費した=花巻市若葉町の市立花巻図書館で)

 

 

 

≪追記ー1≫~「瑕疵ある議会答弁」

 

 匿名を名乗る方から、以下のような長文のコメントが寄せられた。新図書館問題の背後に広がる「闇の構造」に連日振り回されていた時だけに、頭の整理ができたような気がする。当市は今まさに行政と議会とがまなじりを決して監視し合うという「二元代表制」の崖っぷちに立たされていると言える。

 

 

 「瑕疵ある議会答弁」とは議会における質問に対する答弁が、内容に誤りがあったり、不十分であったり、あるいは違法な行為に基づいているなど、何らかの欠陥・瑕疵があることを指します。具体的には、質問に対する正確な説明がなかったり、誤った情報に基づいて答弁されていたり、あるいは、法的な根拠が欠如している場合などが考えられます。詳しく説明します。

 

 議会において、議員が行政機関に質問しそれに対する答弁がなされることは、地方自治法に基づき、行政の監視と責任追及の重要な役割を果たします。この答弁が、議会における情報開示の役割を担い、また、行政の活動をチェックする手段となります。「瑕疵ある議会答弁」とは、この答弁が、以下のような理由で欠陥を持っている場合を指します。
 

・内容の誤り:答弁に事実誤認や誤解がある場合。例えば、住民に誤った情報を伝えている場合など。
・不十分な説明:質問に対する回答が、必要な情報や詳細を欠いている場合。
・法的な根拠の欠如:答弁が法的な根拠に基づかず、違法な行為に基づいていたり、あるいは、法律を無視した答弁である場合。
・不当な発言:議員の個人的な意見や判断が、答弁として表明された場合。
・反論の余地のある発言:答弁内容が、明確な根拠や事実に基づかず、反論の余地がある場合。

 

 これらの「瑕疵」は議会において問題提起され、修正を求められる可能性があります。また、必要に応じて、議会が行政機関に対し、事実確認や説明を求める場合もあります。例として、以下のようなケースが考えられます。
 

 住民の意見を無視した答弁、法律に基づかない答弁、過去の議決事項に反する答弁、事実誤認に基づく答弁。「瑕疵ある議会答弁」は、行政の責任を問う上でも、市民の知る権利を保障する上でも重要な問題です。議員は、議会における答弁の正確性や妥当性を注意深く確認し、不適切な答弁がある場合は議会において指摘し、修正を求めるべきです。

 

 

 

≪追記―2≫~教育委員会議の瑕疵ある議案

 

 「読者」を名乗る方から関連のコメントが寄せられた。「図書館整備事業に権限のない市長が行なってきた瑕疵ある議会答弁とそれに基づく議論や手続きによって作成された新花巻図書館整備基本計画は瑕疵ある議案とはならないのでしょうか。議決そのものが瑕疵ある行為とはならないのでしょうか」

 

 

 

≪追記―3≫~「補助執行」という名の“底なし沼”!!??

 

 最近、“補助執行”パニックに陥っている。市例規集の外部リンクから「教育」や「図書館」などのキーワードを片っ端から検索する日々。図書館問題の「闇の構造」の解明にのめり込んでいるうちに、今度は「教育長に対する事務の委任等に関する規則」(平成18年1月)なる文書にぶち当たった。そうでなくても法令の条文というやつは素人にはなかなか、歯が立たない。ためつすがめつ、眺めているうちに「学校その他の教育機関の施設、設備、組織編制、教育課程、教科書その他の教材の取扱いその他管理運営の基本方針を定めること」(第二条5:委任事項)という条文が目に飛び込んできた。

 

 この条文に該当する「教育機関の基本方針」などは教育長の決裁事項ではなく、教育委員会議の議決事項になっていることが分かった。新花巻図書館整備基本構想(平成29年8月)に定められたいわゆる「3つの基本方針」と、その後イメージをより具体化し分かりやすくした説明資料(令和5年11月)の2件について、過去の会議録を辿った結果、このいずれも議決がされていないことが明らかになった。

 

 以上の点から、図書館整備に関しては市長部局のみならず、教育委員会でも適切な手続きが取られていなかったことが判明。今月19日開催予定の教育委員会議の議案となっている「新花巻図書館整備基本計画」(案)についても、それ以前の「基本方針」が議決を経ていない以上、「無効な提案」と言わざるを得ない。

 

 

 

≪追記―4≫~「まだありました」

 

 「懐疑的な市民」を名乗る方から、以下のようなコメントが寄せられた。まるで、災いや不幸などを閉じ込めていた「パンドラの箱」が開け放たれたような…。この箱には「希望」だけが残されたという。そのひとかけらに希望を託したい。

 

 

 ブログ記事に触発されたので、手続きのことを調べてみました。そうしたところ、また怪しいことが見つかりました。新花巻図書館整備基本計画の試案策定を検討する委員会のことです。新花巻図書館整備基本計画試案検討会議設置要綱の組織を規定している第3条に「検討会議は、次に掲げる者をもって組織し、委員は、市長が委嘱する。」とあり、市長が委員を委嘱する、と書かれています。ここでも図書館整備事業に権限のない市長がその検討会議の委員を委嘱してしまいました。

 

 そもそも教育行政は政治的中立性を保つため、市長部局から独立した教育委員会が担ってきましたが、その独立性を侵して、市長が最初に主張した図書館駅前立地を含む課題を職務権限のない市長が委嘱するという間違いをしてしまった感があります。この検討会議が教育委員会によって委嘱されていれば、法的に問題がなく、また、中立的第三者的な検討会議になったことでしょう。このような適法ではなく、中立性に疑問のある検討会議が策定した試案なるものを発展させた新花巻図書館整備基本計画は、計画としての妥当性があるようには感じられません。花巻市は法治主義から人治主義になってしまったのでしょうか。

 

 

 



 

 

 

 

 

 

図書館協議会も「基本計画」(案)を了承…「駅前立地」に向け、強行突破の姿勢が前面に!!??

  • 図書館協議会も「基本計画」(案)を了承…「駅前立地」に向け、強行突破の姿勢が前面に!!??

 

 「病院跡地47人VS.駅前28人」―。新図書館の立地場所をめぐるパブリックコメント(意見表明)を記載した資料が13日開催の「市立図書館協議会」(委員12人)で、初めて公にされたが、同協議会の委員は議論を深めることのないまま、市側が提出した「整備基本計画」(案)を了承した。複数の委員は市側の労をねぎらうなど本来の使命を放棄した”追認”ぶりをさらけ出し、傍聴席の失笑を買った。市側は今回の会議をもって、市民説明会とパブコメを合わせた「市民参画」手続きはすべて終了したとしており、今月19日に開催予定の「教育委員会議」での議決の行方に注目が集まっている。

 

 この日の会議には成立要件の過半数(6人)をやっと一人上回る7人が出席。提供されたのはパブリックコメント(4月1日から同30日まで公募)の内容を記載しただけの原本で、分析や精査は未完了のまま。応募総数は86人(134件)で、過去のパブコメに比べても異例の多さとなった。関心の多くが立地場所の是非に置かれ、その一端が冒頭の数字に表れた。しかし、今回のパブコメによる意見表明が「整備基本計画」(案)の中に具体的にどのように反映されるかについては「現在、策定中だ」と答えるにとどまった。つまり、基本計画の「成案」を提示しない段階で、“お墨付き”を取り付けるという禁じ手まで動員した。5月11日付当ブログでも詳述したが、この日の会議でも「補助執行という隠れ蓑」が見え隠れした、整理すると―

 

1)「花巻市立図書館協議会規則」(平成18年1月)には「議事は出席した委員の過半数をもって決する。可否同数のときは、議長の決するところによる」(第7条)と規定されている。しかし、新図書館の建設という重要案件にもかかわらず、採決はなされずに各委員が考えを表明するという形に終わった。「規則」違反が明白である。また、この種の審議会に欠かせない「諮問―答申」の関係についても、次に見るように曖昧なまま、手続きが進められた。

 

2)図書館の憲法と言われる「図書館法」(昭和25年4月)には「図書館協議会は、図書館の運営に関し館長の諮問に応ずるとともに、図書館の行う図書館奉仕につき、館長に対して意見を述べる機関とする」(第14条)と規定されている。つまり、資料の収集や整理、貸出、レファレンスサービス、広報活動、利用者へのサポートなど図書館の運営にかかわるのが主たる任務とされており、今回議題とされた「整備基本計画(案)」ついて、そもそも館長が諮問するのは権限外。要は権限のない審議会による意思決定が行われたということである。

 

3)一方、社会教育法(昭和26年6月)は市町村教育委員会の事務や社会教育委員の職務について、こう規定している。「所管に属する図書館、博物館、青年の家その他の社会教育施設の設置及び管理に関すること」(第5条)、「社会教育委員は、社会教育に関し教育委員会に助言するため、次の職務を行う。… 社会教育に関する諸計画を立案すること」(第17条)―。このことから、図書館などの社会教育施設の「整備基本計画」の立案は本来、社会教育委員の職務であり、当市の場合もこれを審議するのは「市社会教育委員会議」であり、その立案の結果を教育委員会に助言するのが正当な手続きであった。

 

 

 以上見てきたように、5年有余にわたる図書館“迷走劇”の原因は元をただせば、図書館法や社会教育法などに定められた「図書館とは何か」という本旨をことごとく無視した上田(東一)市政に帰することが明々白々になった。「住宅付き図書館」の駅前立地…要は「儲かる」図書館を指向した時点で、たどり着くべき”終着駅”はすでに決まっていたのである。

 

 いまから8年前の2017(平成29)年7月、「最大スペックのラフデザイン」と名づけられた花巻市作成のイメージ図がJR盛岡支社に提供された。長い間の市政課題だった新花巻図書館と駅橋上化(東西自由通路)は実は「ワンセット」構想だったという「図書館」事始めのスタートだった。そしていま、莫大な時間と金を浪費した構想が市側の思惑通りに実現に向かいつつある。夢や希望…。この間に損なわれた人心の喪失は計り知れない。ふと、「図書館法」の生みの親は当市ゆかりの山室民子(1900―1981年)だということを思い出した。

 

 

呪(のろ)われた”図書館という不吉な言葉が頭の中を去来している。

 

 

 

 

 

 

(写真は当初から「駅前立地」が既定路線だったことを示すイメージ図=文書開示請求した資料から)

 

 

 

 

≪追記≫~トランプ大統領、図書館トップを解任!!??

 

 AFPは5月10日付で、トランプ大統領がカーラ・ヘイデン議会図書館長を解任したと報じた。ヘイデン氏は女性かつアフリカ系として初めて、図書館トップの座についていた。「どこか似てるな」。このニュースを聞きながら、反射的に足元の図書館“騒動”に思いが重なった。

 

 報道によると、議会内でも批判が相次ぎ、民主党下院トップのハキーム・ジェフリーズ院内総務はこう語った。「恥ずべき行為であり、書籍の禁書化、米国の歴史のホワイトウォッシュ、そして時計の針を逆戻りさせようとする(トランプ氏による)継続的な取り組みの新たな一手だ。議会図書館は米国民の図書館だ。米国の生活様式に対するこの前例のない攻撃に対する責任は、遅かれ早かれ問われるだろう」

 

デタラメな”図書館”行政…新花巻図書館問題で次々に露呈~喫緊の「整備基本計画」(案)にも暗雲が!!??

  • デタラメな”図書館”行政…新花巻図書館問題で次々に露呈~喫緊の「整備基本計画」(案)にも暗雲が!!??

 

 「補助執行がその隠れ蓑だった」―。新花巻図書館の「駅前立地」へ向けた地ならしが進む中、その行政手続きの拙速ぶりに警鐘を鳴らしてきたが、上田東一市長が法律や規則に抵触する形で”図書館”行政に介入してきたことが明らかになった。「地方自治法」や「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」などによって、 社会教育に関する教育機関の一部の事務を首長部局に委任することが認められているのが、いわゆる「補助執行」制度である。

 

 一方、この制度と関連するものとしては「花巻市教育に関する事務の職務権限の特例を定める条例」(平成20年12月)があり、市長が直接、管理・執行ができる教育関連の事務としては「(学校行事を除く)スポーツ全般と(文化財の保護を除く)文化全般」が該当するとされ、図書館関連は含まれていない。他方、「花巻市教育委員会の権限に属する事務の補助執行に関する規則」(平成19年3月)によると、補助執行の対象は①花巻市立図書館に関すること、②花巻市立図書館協議会に関すること―の2点に絞られ、その事務に携わることができるのは「生涯学習部長、新花巻図書館計画室の職員及び図書館の職員」に限定されている。

 

 条例制定が前提にもかかわらず、いきなり図書館に関する補助執行を生涯学習部など担当部局に丸投げした結果、今回の新図書館問題をきっかけにその「闇」の部分が白日の下にさらされた格好である。上田市長の“越権行為”が現れた典型例が「住宅付き図書館」の駅前立地構想(2020年1月29日)である。この構想が上田市長の主導で進められてきたのは周知の事実であり、“上田私案”と呼ばれる所以(ゆえん)もそこにある。法律や規則を無視したデタラメな”図書館”行政の実態が偶然、明るみに出た出来事があった。

 

 「令和2年の1月29日に駅前のスポーツ用品店の場所に図書館をつくって、そこに複合施設ということで、賃貸住宅を図書館の上に併設した図書館を作る構想というのを発表したことがあります。その発表は、市長がしたのではありません。私が議員の方々に発表をしたというものであります。したがいまして、市長がなにも今日来なければいけないということではないと思います」(4月27日付当ブログ「追記―3」参照)―

 

 「整備基本計画」(案)の市民説明会の際、生涯学習部の担当者はこう答弁した。「市長がなぜ、出席しないのか」と市民が詰め寄ったことへの返答で、私は「市長への忖度か」などとなじった。この場を借りて謝罪すると同時に逆にこの担当者が自分の「職分」を十分にわきまえていたことを理解した。ある種、幕間劇めいたこの光景は目を覆うばかりの上田市長の独断専行を市民の目からそらすため、現場職員が必死になって築いた「防波堤」のように私には見えた。「補助執行」に名を借りた図書館構想の“不都合な真実”が暴かれるのを恐れたのだろうという私の推測は多分、的外れではないと思う。

 

 「そういえば、図書館関連で教育長が口を開いたことは一度もなかったな」と今さらながら自分の不明を恥じてしまう。議会答弁や議員説明会、記者会見…。公の場で真っ先に手を挙げるのはいつも上田市長だった。3月27日開催の定例記会見の場で上田市長はこう述べている。「市ではこの結果(対話型「市民会議」などの市民参画手続き)を踏まえまして、JR花巻駅前を、先ほど申し上げましたとおり建設候補地に選定したところであります」(会議録から)。本来なら、図書館を所管する教育長の口から告げられるべきなのに一事が万事…上田市長の口癖である「コンプライアンス」(法令遵守)を自ら足蹴りする形でうぶ声を挙げたのが「新図書館」の誕生劇だったのである。

 

 市立図書館協議会(5月13日)、市教育委員会議(5月19日)…。正式の「整備基本計画」の策定に向けた動きが急ピッチで進んでいる。「審議会等の設置及び運営に関するガイドライン」の規定によると、遅くとも会議開催3日前までに資料を配布しなければならないとされている。しかし、図書館協議会の委員のひとりは「市側から当日までには何とか間に合わせるという連絡があった」とその拙速ぶりに怒りをあらわにしている。ところで、補助執行の範囲はその後暫時、改正されて令和元年には次のように拡大された。

 

 「地方公共団体は、条例の定めるところにより、当該地方公共団体の長が、次の各号に掲げる教育に関する事務のいずれか又は全てを管理し、及び執行することとすることができる」(「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」第23条:職務権限の特例)として、その各号については「図書館、博物館、公民館その他の社会教育に関する教育機関(「特定社会教育機関」)の設置、管理及び廃止に関すること」と定めている。

 

 たとえば、山形県長井市では4年前、市立図書館を含めた社会教育施設を首長部局の管轄下に置く条例改正に踏み切っている。上田市長が本当に“上田私案”(上田図書館)の実現を望んでいるのなら、長井市のように条例を改正して、思う存分に振る舞えばよいだけの話である。だからと言って、これまでの“越権行為”が見逃されてよいわけがない。と同時に、それを許してきた図書館を所管する教育委員会の責任も問いたい。正当な権限を委任されていない補助執行自体が無効ではないか、と。いま渦中にある「新花巻図書館整備基本計画」(案)は事実上、「幻(まぼろし)」の図書館像と化している。

 

 

 

 

 

(写真は立地候補地の「事業費比較」資料を示しながら、「駅前立地」の正当性を主張する上田市長=2024年12月9日、花巻市議会議場で)

 

 

 

 

≪追記ー1≫~AIに聞きました


 「無効な行政行為」を名乗る方から、図書館と行政とのかかわりについて、AIに質問したという以下のコメントが寄せられた。“末期”高齢者にとってこの世界は遠くにかすむ存在だが、う~ンとうなずかせる部分もあった。

 

 新図書館の建設候補地の選定について、市の担当は人工知能、AIを活用していましたので、今回のブログの記事についてAIに聞いてみようと思いました。そもそも市の教育員会が担当するべき図書館の事案について、教育委員会が担当なのに、市長がその仕事を担当しているかのように詐称して行われてきた花巻市の実情が明らかになりました。その回答は以下のとおりです。


 

 

・無効な行政行為とは、その成立当初から効力を生じない行政行為のことです。これは、行政行為の瑕疵が重大かつ明白である場合に認められます. 具体的には、処分要件の誤認など、行政行為の主体や内容が不明確な場合に無効となります

 

・無効な行政行為は、初めから効力を有しないため、取消訴訟を提起することもできません. また、無効確認訴訟によって、無効であることを確認することも可能です。無効な行政行為の判断は、行政行為の瑕疵が重大かつ明白であること、つまり、誰が見ても明白に違法であると認められる場合に限られます

 

・無効な行政行為と、取消し可能な行政行為の違いを理解することが重要です。取消し可能な行政行為は、一定の瑕疵があるものの、その瑕疵が重大かつ明白でない場合、行政行為は有効として扱われ、後日取消しが可能になります

 

 

 

 

≪追記―2≫~私もAIに聞いてみました


 「両面宿儺」を名乗る方から「追記―1」に関連し、「無効な行政行為」について小学校5年生にも分かるよう、AIに説明を求めたという以下のようなコメントは寄せられた。

 


 こんにちは!「無効な行政行為」について小学校5年生にも分かるように説明しますね。行政行為って何?まず、「行政行為」とは、国や市区町村などの行政機関が、私たち国民に対して行う決定のことです。例えば~・運転免許証を発行すること・建物を建てる許可を出すこと・税金の額を決めることなどが行政行為にあたります。

 

 「無効な」行政行為とは?「無効な行政行為」というのは、行政機関の決定に、とても重大な問題があるため、最初から法的な効果がないとされるものです。例えるなら、学校のテストで先生が出した問題が、教科書にも載っていないような難しすぎる内容だったり、間違った知識を問うものだったりしたら、そのテスト自体が「無効」になるようなものです。

 

 具体例で理解しよう。例えば:
1. 権限のない人が決定した場合~市長だけが決められる事を、事務員が勝手に決めてしまった
2. 明らかに法律違反の決定~憲法や法律で禁止されていることを許可する決定をした
3. あり得ない内容の決定~「空を飛べる権利を与える」など、現実にはあり得ない許可を出した

 

 こういった場合、その行政行為は「無効」となり、最初から効果がなかったことになります。普通の「取り消せる行政行為」との違い

 

 ちょっとした手続きミスや軽い問題がある行政行為は「取り消せる行政行為」と言って、誰かが「これはおかしい」と言うまでは有効です。でも、「無効な行政行為」は、誰も指摘しなくても最初から効力がないんです。つまり、「無効な行政行為」は、問題があまりにも大きいため、「そんなこと最初からなかったことにしましょう」と扱われるということです

 

 

 

≪追記―3≫~「ガイドライン」違反が明白に!!??

 

 「新花巻図書館整備基本計画(案)」を議題とする市立図書館協議会(委員12人)が5月13日午後2時から開催される。審議に付す資料配布などについて「審議会等の設置及び運営に関するガイドライン」(令和6年7月、一部改正)はこう定めている。「会議資料は、審議等の内容を明確かつ簡潔にまとめること。また、事前に各委員等に配布するよう努めること。(遅くても3日前)」―

 

 公募委員のひとりは「まだ、届いていない。配布は当日になるらしい」と怒りを隠さない。10年以上に及び、世論を二分した「図書館」論争に決着をつけための重要な会議への資料配布が当日とはとても信じられない。審議時間をなるべく少なくしようという”底意”さえ感じられる。明らかな「ガイドライン」違反である以上、当日は資料配布と説明に止め、改めて審議の場を設定すべきであろう。

 

 なお、「整備基本計画(案)」に対するパブリックコメント(4月1日から同30日まで公募)の結果については5月12日現在、HP上などでの公表はなされていない。ちなみに「パブリックコメント制度に関する指針」(平成29年7月、一部改正)には以下のように規定されている(意見の処理)。

 

1、 実施機関は、提出された意見を考慮して意思決定を行うものとする。 
2 、実施機関は、提出された意見に対する考え方を取りまとめ、提出された意見と併せ て公表するものとする。 
3、 実施機関は、提出された意見を考慮して、公表した案等を修正して意思決定を行ったときは、その修正の内容及び理由を公表するものとする。

 

意見集約の信憑性に疑義…“図書館”立地のためではなく、“駅前”立地のための意見集約だった―という手の込んだ謎解きに挑んだ結果は(パブコメ総集編)!!??

  • 意見集約の信憑性に疑義…“図書館”立地のためではなく、“駅前”立地のための意見集約だった―という手の込んだ謎解きに挑んだ結果は(パブコメ総集編)!!??

 

 市側は「駅前立地」に至った意見集約の根拠について、①重要視された分類の上位五つは「アクセス」(56人)、「活性化」(51人)、「安全」(42人)、「周辺環境』」(40人)、「駐車場」(34人)となった、②この結果から、「活性化」「アクセス」については「明らかに駅前が良い」、「周辺環境」「安全」については「どちらかといえば駅前がよい」と4分類において駅前が評価され、総合花巻病院跡地については「駐車場」についてのみ「どちらかといえば病院側がよい」と評価されたことが分かった―としている。

 

 以下に疑問点を列挙する。市民の多くも同じような疑問を抱いており、「新花巻図書館整備基本計画」(案)においては、その点に留意して記述するように要望する。

 

 

1)ヒアリングシートの「10分類」の指標は対話型「市民会議」の総意を反映する形で作成されたのか。メインファシリテーターである山口覚・慶応義塾大学教授の助言はあったのか。あるいは同種のひな型を参考にしたのか。

 

2)上位五つの選択は会議参加者に委ねたとのことであるが、AI による解析によると、そのほとんどが「知のインフラ」とも呼ばれる図書館立地にはなじまない指標となっている。むしろ、商業施設やアミューズメント施設などを対象とした意見集約といった方が的確かもしれない。逆に言えば、会議参加者の側に「図書館とは何ぞや」という根本的な認識が希薄だったことの証左とも言える。こうした「図書館」認識について、メインファシリテータ―や市側の担当者による助言・指導はなかったのか。

 

3)意見集約に当たって、なぜ上位五つの分類だけを適用したのか。むしろ、「他施設との連携」や「文化・歴史」「防災」など下位の方が図書館立地の適否を判断する上で重要な指標であると考えるが、それを除外した理由は何か。分類指標に順列を付けることを統計学上では「順序バイアス」と呼ばれ、今回の場合も「駅前立地」へ有利に働くような順列になっていると思われる。ただ、こうした腹の探り合いは余り生産的ではないので、この場では駅前立地の決め手とされた「4分類」の指標が”図書館もどき”ではなく、いかに真正の図書館との“親和性”に欠けているのか―以下に具体的な検証を試みたい。


 

 

●そのひとつの「周辺環境」について、AI は「駅前は人通りが多く、夜でも明るくて安心できる」(令和7年3月15日号「広報はなまき」)とその理由を回答している。周辺環境あるいは立地環境は図書館のような文化施設の場合、とりわけ重要視される指標である。そのケーススタディとして、以下の事例を取り上げたい。

 

 岩手の地で「石と賢治のミュージアム」(一関市)を立ち上げるなど、賢治を“実践”したことで知られる吉成信夫さんは「公募」によって、岐阜市立図書館の館長を2015年から5年間務めた経験がある。その業績が認められ、2022年には先進的な活動に贈られる最高賞「ライブラリーオブザイヤー」に輝いた。

 

 「みんなの森/ぎふメディアコスモス」の中にその図書館はある。岐阜駅から北へ約2キロメートル、岐阜城がそびえる金華山のふもとにその施設は位置している。設計したのは著名な建築家の伊東豊雄さん。「岐阜駅─長良川─金華山をつなぐ緑の拠点をつくることで、街に緑のネットワークが広がっていくことを期待したい」と設計の動機を語っている。メディアコスモスは開館9カ月半で、来館者100万人を達成した。図書館を含むこの複合施設を軸にした雄大な「周辺環境」が誘客に貢献しているのは言うまでもない。金華山を望むテラス席は人気の的になっている。

 

 一方、当市の建設候補地のひとつだった「病院跡地」も霊峰・早池峰を眺望できる位置にあり(残念ながら、花巻城址はがれきの荒野と化して、見る影もないが)、広い敷地にも恵まれている。メディアコスモスもそうであるように図書館という建造物は「世界の美しい図書館5選」などのセレクションに見られるように、その造形美も試される文化施設である。駅舎やホテルなどに囲まれたビル群の中に造形美を求めるのはそもそも、無理である。「人通りが多く、夜でも明るい」というだけでは余りにもみすぼらしくはないか。これでは図書館が泣いてしまう。

 

 

●さらに、AIは「安全」について「駅前は交番が近く、明るく夜も安全」(同上「広報はなまき」)と回答している。一方で、会議参加者の一部からは「病院跡地」について、土砂災害や急傾斜地崩壊などの“災害リスク”を懸念する声も出されたが、議論を深めた形跡はうかがえない。「安全」の解釈の天地の隔たりにびっくりさせられる。

 

 言うまでもなく、建物本体の「安全」の確保は周辺環境に劣らずに重要な指標である。図書館の立地予定地は病院跡地の一部とされたが、市側は確たる証拠を示さずにその安全性は担保されていると述べるに止めた。しかし、当該地全体が市有地である以上、そうした災害リスクを除去することこそが行政の使命である。仮に図書館用地に限らずとも将来、公共施設の利活用に供することを考えれば、安全性の確保の議論こそが急務ではなかったのか。「交番が近いから…」とはこれまた、図書館論議とどう絡むのか。。

 

 

●「アクセス」と「活性化」の指標はいずれも通常の「賑わい創出」には欠かせない指標である。公共交通と図書館との相乗効果による駅前活性化(賑わい創出)は他都市(広島市や和歌山市など)でもよく見られるパターンである。しかし当市の場合、「病院跡地」という有力候補地があったにも関わらず、最初から「図書館は駅前でなければならない」という特殊な事情があった。裏を返せば、今回の意見集約は図書館の駅前立地の適否を判断することではなく、「駅前立地」そのものの“お墨付き”を取り付けるのが狙いだったということである。「図書館」はとどのつまり、”刺身のツマ”に過ぎなかったのである。

 

 「年間80万人」の誘客をスローガンを掲げた総合花巻病院の移転・新築が結局は”空手形”だったことを苦々しく思い出す。華々しい謳い文句の背後には必ず、隠された闇が存在するという”教訓”である。そろそろ、結論を急ごう。

 

 「駅橋上化事業(東西自由通路)の見返りが図書館の駅前立地だった。この二つの巨大プロジェクトによって、『受益』する利害関係者にとっては最初から、『駅前』以外の選択肢はなかった」―。反論がある場合は4月23日付で提出したパブリックコメント「『駅前立地』に至る経緯の記述について」に対して、誠意ある回答を寄せてほしい。

 


 

 5年有余にわたった新花巻図書館の“立地”論争の結末を見ながら、私はこの絵に描いたような“茶番劇”に妙に得心する気分になった。JR花巻駅前のスポーツ用品店敷地にある日突然、「青天霹靂(せいてんへきれき)」劇場が幕を開けた。鳴り物入りの演目は「ある不幸な出自―「『住宅付き図書館』の駅前立地」物語…上田東一市長自らが脚本・演出を手がけたこのサプライズこそがすべての始まりだった。

 

 多くの時間と莫大な金を投じたこの長編劇の筋書きは乗客(市民)をいかにして、終着の「JR花巻駅」まで無事に“道連れ”にすることができるかどうかにかかっていた。その都度、”中立・公正”を装うための、色んな小細工が用意された。たとえばー。度重なるワークショップや市民説明会、「事業費比較」調査、公募「プロポーザル」、果ては真っ黒く塗りつぶされた公文書や議会質疑における虚偽答弁と反問権の乱発…。返す刀で今度はこの私的なブログを”ウソ”呼ばわりしたりと…ありとあらゆる「権謀術数」(けんぼうじゅつすう)が山と積まれた。

 

 進行を妨げようとする市民は強制排除され、電車の前に立ちふさがった市民はまるで、“暴徒”扱いされた。そして、終着駅にたどり着いた途端、詰め腹を切らされたのが市民会議の参加者ではなかったのか。ある意味、最大の犠牲者だったのかもしれない。

 

 万が一将来、“駅前図書館”に何らかの瑕疵(かし)が生じるような不都合な事態が発生した場合、その責任の一切は市側にあることを最後に明記しておきたい。仮にも「市民会議の意向を最大限に尊重した結果…」などという口吻(こうふん)は口が裂けても許されないと…

 

 


 

(写真は白雪に輝く早池峰山。こうした景観を包み込んだ図書館構想は見果てぬ夢と化した=2024年12月末、花巻市内の中心部から)

 

 

≪追記ー1≫~『賑わいを創出する図書館』

 

 ブログで紹介した吉成信夫さんが岩手で過ごした19年間の”賢治”体験の後、岐阜市立図書館長や「みんなの森/ぎふメディアコスモス」の総合プロデューサーを歴任した足跡を記録した上記本(KADOKAWA)を上梓、6月23日に発売される。サブタイトルは「開館9ヶ月半で来館者100万人を達成した『みんなの森/ぎふメディアコスモス』の冒険」ー

 

 吉成さんはFBにこう記している。「岩手からなぜ、岐阜に来て図書館長になったのか。…僕の10年にわたる旅の理由も書いてます。ワタクシからパブリックへ、ジブンゴトとして思い切り書いてみました」。座右の書は賢治の『農民芸術概論綱要』だという。新図書館問題で揺れる花巻市民にはぜひ、読んでほしい1冊である。

 

 

 

《追記ー2》~指鹿為馬(しろくいば)

 

 「憂う市民」を名乗る方から、こんなメールが寄せられた。ピッタリだなと納得した。

 

 指鹿為馬とは、鹿を指して馬だと言い張ることから、誤ったことを無理やり押し通すこと、権力で白を黒と言い張ることを意味する故事成語です。具体的には、中国の秦の始皇帝の没後、趙高が鹿を献じてこれを馬だと白を黒に言い張った故事に由来します。この故事成語と同じ現象が、今も起きていることを深く憂うものです。

 

 

 

《追記―3》~「こんにゃく問答」も顔負けの市民説明会!!??

 

 新花巻図書館の「駅前立地」の最終決定を受け、市当局は4月中旬から旧一市三町で、「整備基本計画」(案)の市民説明会を開いた。延べ118人が参加し、63人と最も多かった「まなび学園」では質疑応答が4時間にも及んだ。その会議録が2日、HP上に公開された。冒頭いきなり、以下のようなやり取りがあった。

 

 噛み合わないどころか、“こんにゃく問答”も顔負け、図書館問題に対する意識のずれは実はしょっぱなからだったことに今さらながら、気がついた。意識的にこう答弁したのだとすれば、それは詭弁どころか詐欺行為にも該当する。国会でも重要案件については、最高責任者の首相発言が欠かせない。質問者の意図は100年の計とも言われる図書館建設に「ゴーサイン」を出したトップの真意を問いただしたもので、至極当然である。とぼけるのもいい加減にしてほしい。それとも、市長への忠誠心、いや忖度(そんたく)かな。

 

(市民)「この説明会にですね、建設場所を決定した市長が顔を見せていないと。これは非常に問題だと思います。すぐ市長室に電話して来てもらうべきだと思ってるんですよ」

 

(市側)「令和2年の1月29日に駅前のスポーツ用品店の場所に図書館をつくって、そこに複合施設ということで、賃貸住宅を図書館の上に併設した図書館を作る構想というのを発表したことがあります。その発表は、市長がしたのではありません。私が議員の方々に発表をしたというものであります。したがいまして、市長がなにも今日来なければいけないということではないと思います」

 

 

 

《追記―4》~教育委員会議も強行突破か!!??

 

 「新花巻図書館整備基本計画の策定に関し、議決を求めることについて」―。この案件を審議する「教育委員会議」(委員長・佐藤勝教育長ら委員6人)が5月19日に開催される。「整備基本計画」(案)に関するパブリットコメント(意見書)は4月1日から同30日まで公募されたが、その締め切りの2週間余りの時期に「議決」を求めるという拙速ぶりに驚かされる。図書館の”本家筋”に当たる同会議がどう対応するかが注目される。

 

 一方、この計画案を議題とする「市立図書館協議会」の臨時会が5月13日に開催されることも告知されるなど市議会6月定例会(5月30日開会、6月7日まで会期19日間)に向けた動きが慌ただしくなってきた。市側は同定例会に関連予算を上程したい構えだが、市民の間には「パブコメがきちんと、計画に中に反映されるのか」と不安の声が聞かれる。

 

 ちなみに、「花巻市パブリックコメント制度に関する指針」(意見の処理)にはこう規定されている。①実施機関は、提出された意見を考慮して意思決定を行うものとする ②実施機関は、提出された意見に対する考え方を取りまとめ、提出された意見と併せて公表するものとする。

 

 

 

《追記ー5》~憲法記念日に寄せて

 

 憲法擁護者を名乗る方から、以下のようなコメントが寄せられた。私自身、当市の図書館問題は実は民主主義や憲法を考えることと根っ子で通底していると認識している。同じ思いに意を強くした。

 

(公務員の選定罷免権、公務員の本質、普通選挙の保障及び投票秘密の保障)第十五条 

 

1)公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。

2)すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。(略)

 

 新図書館整備事業の進捗状況を見るにつけて、花巻市長を始めとする公務員たる市の職員が、この条文をどのように理解しているのか、疑問を覚える。

 

 

 

《追記―6》~夢枕の「東一」さんと「東民」さん!!??

 

 図書館問題に明け暮れたせいなのか、最近、夢枕に「上田東一」市長がしょっちゅう現れる。大抵はまなじりを決して議論しているか、ののしり合っているかの“悪夢”である。ところが、昨夜は「東民」を名乗る人物が…。よく観察すると、昭和30年から3期12年間、釜石市長を務め、落選後に市議に返り咲いた「鈴木東民」元市長ではないか。

 

 反骨のジャーナリストとして知られ、「東民」名は自由民権運動にちなんで名づけられたと言われる。ともに「東大」出身のエリートで、上田市長もちょうど就任3期目の後半に入った。「東大」とは実に日本一を豪語するにふさわしい命名ではないか。と思いながら、この2文字を凝視しているうちに、「大」から「人」が消え、いつの間にか「耳なし芳一」ならぬ、”人(で)なし”「東一」に変身していた。「東民」と「東一」と。まさに、名は体(たい)を表すとはこのことか―と思っていたら、目が覚めた。寝汗がびっしょり…

 

 

 

≪追記ー7≫~素朴な疑問

 

 市民を名乗る方から、以下のようなコメントが寄せられた。私自身も7本のパブリックコメントを提出。それが基本計画(案)の中に具体的にどう反映されるのか気になっていただけに、同じ疑問を抱く。

 

 

 市のホームページに5月2日、教育委員会議が新花巻図書館整備基本計画の策定に関し議決を求めることについてを議題として、5月19日午前11時頃というような不確定な日程で開催されることが掲載されています。その後5月7日に、市図書館協議会の開催(13日)が新花巻図書館整備基本計画(案)という案の段階の議題が提案されることが市のホームページに掲載されました。

 

 案の段階の新花巻図書館基本計画が市図書館協議会で審議される前に、どうして教育委員会議で案の段階でなくて成案として議題となるのでしょうか。市役所のルールではOKなのかもしれませんが、普通に考えると出来レースのような手続きのように感じられます。

 

 

≪追記―8≫~何やら、天井裏が騒々しい!!??

 

 追記の「4」と「6」で指摘したように、教育委員会議や市図書館協議会の日程設定の拙速さが目立っているが、念のためにその経緯を調べた結果、市図書館協議会臨時会のHP上の開催告知の初出はパブリックコメントを募集中の4月28日付(締め切りは同月30日)。この時の議題は「新花巻図書館整備基本計画(案)」で、開催日時は5月13日午前10時となっていた。その後、5月7日付の告示で、開催時間が「午後2時」からに変更になったが、初出の28日付の告知はすでにHP上から削除されている。

 

 図書館協議会で審議する内容については「審議会等の設置及び運営に関するガイドライン」の規定で、遅くとも会議開催3日前までに資料を配布しなければならないとされている。しかし、その3日前にあたる5月10日現在、その資料となるべき新図書館整備基本計画のパブリックコメントの結果が公表されていない。審議する内容が確定していない現状で、図書館協議会を開催することは同上ガイドラインに違反している。

 

 一方、当日の審議資料が仮にパブコメ抜きの「計画案」だとすれば、市民参画の上位に位置するパブコメ(市民の意見表明)を無視した単なる“お墨付け”を取り付けるだけの儀式と見られても致し方あるまい。最終の「成案」を審議するのが図書館協議会の役割であり、場合によっては、図書館問題の成否をにぎる図書館協議会自体の存在意義も問われかねない。

 

 

 

 

 

  

  

 

  

 

 

 

 

 

対話型「市民会議」の構成とその欺瞞性…数字のマジシャンがその数字に逆襲される時(パブコメ第6弾)!!??

  • 対話型「市民会議」の構成とその欺瞞性…数字のマジシャンがその数字に逆襲される時(パブコメ第6弾)!!??

 

Ω数字(その1)~3,500人VS.75人

 

 市側の説明によると、無作為抽出した15歳以上の市民3,500人に対し、対話型「市民会議」への参加を打診した結果、75人から参加したい旨の回答があった。回答率は2%余りで、この数字だけを見るとスタート時から図書館問題への関心の低さがうかがわれた。

 

Ω数字(その2)~75人の内訳(性別、世代間)

 

 会議構成は若年層(10代~30代)が35人、中高年層(40代~60代)が34人に対し、高齢者層(70代以上)は6人。性別は女性38人、男性37人。応募した75人がまるで、“神技”みたいに世代別と性別ごとに截然(せつぜん)と区分けされていることに驚かされる。本当に70台の応募者は6人しかいなかったのか。男女比率がほぼ均等に二分されているのは単なる偶然なのか。

 

Ω数字(その3)~75人の会議への出欠状況

 

 実際の会議出席者は最初から構成人員(75人)を大きく下回った。第1回(令和6年11月17日):65人、第2回(同12月21日):64人、第3回(令和7年1月26日):57人、第4回(同2月15日):53人

 

 さらに、会議への出席頻度は全4回のすべてが42人、3回が19人、2回が6人、1回が2人で、実に6人が参加を申し出ておきながら、出席はゼロだった。さらに、第4回目の会議では出席者53人に対し、立地場所の選択をするヒアリングシートの記入を求めたが、この日の会議に欠席し、過去2回の出席実績のある12人分は郵送によって加算された。統計学上の原則に従えば、ヒアリングシートに記入する資格があるのは全会議に出席した42人に限定されなければならない。”帳尻合わせ”と疑われても致し方ない。


 

 以上の数字の羅列から垣間見えてくるのは恣意的に“民意”を作り上げようとする強引な手法である。たとえば―

 

1)応募した75人がそのまま、おあつらえ向きの構成になっていること自体が不自然である。実際は75人を超える応募者があったのではないか。その中から市側が改めて世代別や性別ごとの選抜をしたのではないか。現に市側から「(参加を打診する)オファ―があった」という匿名の情報が私の手元に寄せられている。

 

2)毎回の出席者が構成人員を下回り、全会議(4回)の出席者がやっと半数を上回る42人に止まった時点で、この会議の正当性は統計学上の”蓋然性“の点からも無効とすべきであった。

 

3)市側が意見集約をする際の一般的な手法として「まちづくり市民アンケート」がある。無作為抽出した15歳以上の市民2,500人が対象で、昨年度は4割近い984人(39・4%)が回答した。「有意性」の高いこの手法をなぜ、採用しなかったのか。

 

4)「病院跡地」への立地を求める署名数は市側で精査した結果、市内在住者の自筆署名数は6,181人(総数では10,269人)に上った。市民アンケートを実施した場合、統計学上から見ても「駅前立地」を上回るのは目に見えている。この手法を採用しなかったのはその「結果」をあらかじめ予測したからではなかったのか。

 

5)上記の署名数「6,181」という数字をどのように評価しているのか。「新花巻図書館整備基本計画」(案)の中にこの数字に込められた想いが具体的にどう反映されているか。「(賢治)ゆかりの地」論の詭弁性については、5回目のパブリックコメントですでに言及ずみである。


 

 以上5点については多くの市民も同じような疑問を抱いている。この疑問を払拭するように「整備基本計画」の記述を書き改めてほしい。

 

 

 

 

 

(写真は「友達にも知ってもらいたいから」と病院跡地への署名用紙を写メする高校生=2023年12月24日のXmasイブの日、イトーヨーカドー花巻店(当時)で)