「公開質問状」へ応答なし…上田市政の“ダブルスタンダード”が浮き彫りに!!??

  • 「公開質問状」へ応答なし…上田市政の“ダブルスタンダード”が浮き彫りに!!??

 

 ふるさと納税に関連し、10月11日付で花巻市の上田東一市長に対し「公開質問状」を提出していたが、応答を求めた11月21日(閉庁時)までに回答はなかった。これにより、当方としては上田市政が“ダブルスタンダード”(二重基準)という手法を自ら容認したものと解釈することにする。いわば、“二枚舌”とも呼べるこの論法は図書館論議における高齢者“排除”発言(17日付当ブログ参照)にも通じるものがある。なお、本日現在、宣伝文に変更はない。公開質問状に関するこれまでの経過を以下に再掲する。

´◇

 

 「ダブルスタンダードは行政運営上、絶対に許されない禁じ手ではないのか」―。イーハトーブ花巻応援寄付金(ふるさと納税)の総額が90億円(令和5年度)を超え、全国自治体で第13位にランクされた当市で、見方によっては“虚偽宣伝”とも受け取られかねない事態が起きている。その実態については当ブログでその都度、明らかにしてきたが、肝心の行政サイドは見て見ぬふりの体(てい)である。そこで直接、上田東一市長にその胸の内を問いただすため、11日付で以下のような公開質問状を提出した。回答があり次第、公開する。
 

花巻市長 上田 東一 様
2024年10月11日
                         花巻市桜町3-57-11
                                 増子 義久
 

 

公 開 質 問 状
―ふるさとチョイスの宣伝広告について
 
  貴殿は市内御田屋町に現存する旧菊池捍邸が賢治寓話『黒ぶだう』の舞台だとする、いわゆる「モデル説」に関連し、令和5年3月の定例記者会見でこう述べています。「宮沢賢治の寓話『黒ぶだう』の舞台になったということを仰(おっしゃ)る方もいますが、それが正しいかどうか分かりません」。その一方で、イーハトーブ花巻応援寄付金(ふるさと納税)の返礼品のひとつである「花巻黒ぶだう牛」の宣伝広告には以下のように記されています。
 

●「花巻黒ぶだう牛」は、花巻が世界に誇る株式会社エーデルワインが製造するワインのぶどうの搾りかすを飼料として給与しており、さらりとした脂と豊かな風味が特徴です。花巻出身の詩人で童話作家の宮沢賢治の寓話(ぐうわ)「黒ぶだう」で仔牛がぶどうを食べる描写があることから名づけられた、花巻ならではの「ブランド牛」です。
 
●寓話「黒ぶだう」は、花巻市御田屋町の旧菊池捍邸が舞台とされ、赤狐に誘われた仔牛が、留守の人間の別荘に入り込み勝手に「黒ぶだう」を食べていたところに住人の公爵一行が帰宅し、逃げ遅れた仔牛は見つかってしまいますが、怒られもせず、逆に黄色いリボンを結んでもらうというものです。物語の中で、赤狐はぶだうの汁ばかり吸って他は全部吐き出しますが、仔牛は「うん、大へんおいしいよ」と種まで噛み砕いて食べてしまいます。賢治は当時すでに、ぶどうの搾りかす(皮と種)が家畜の餌として使えることに気づいていたのかもしれません(2024年10月11日現在の市HP「ふるさとチョイス」から)
 

 

 以上の観点から次の諸点について、見解を伺います。選挙をはさんだ多忙な時期に重なりますが、11月21日までに文書(メール可)での回答をお願いします。
 

 

1)モデル説に疑義を呈するようになった根拠はどこにあるのか。その一方で、返礼品の宣伝広告では逆にそのモデル説を強調しているのはなぜか。「ダブルスタンダード(二重基準)」は行政運営の基本原則に反する行為だと言われる。この間の経緯を納税者も納得できるように説明願いたい。
 
 2)モデル説について、当方(増子)が提唱者に問いただしたところ、「賢治と旧菊池捍邸や本人を結び付ける接点は最後まで見つからなかった。モデル説だけがひとり歩きしてしまった」として事実上、自説を撤回した。ふるさと納税に財源の多くを依存している行政としても、提唱者本人に真意を確かめた上で、今後の対応を再考すべきではないか。

 


 

(写真は議会答弁に立つ上田市長=花巻市議会議場で)

 

 

 

 

 

《追記》~新図書館の「病院跡地」への立地署名が1万人超え!!??

 

 「花巻病院跡地へ新図書館をつくる署名実行委員会」(瀧成子代表)の最終署名数が10,343筆にのぼったことが分かった。三つの市民団体でつくる実行委員会は昨年秋から全国署名を展開していた。一方、17日に開催された「対話型市民会議」の構成員75人(1人が辞退したため、実質74人)は無作為抽出した15歳以上の3,500人の中から参加を希望した市民が選ばれた。全人口比(90,102人=10月31日現在)は前者が8・7%、後者が1・2%とその差は歴然としている。
 
 
 

 

 

 

気掛かりな「世代」偏重…「対話型市民会議」がスタート!!??

  • 気掛かりな「世代」偏重…「対話型市民会議」がスタート!!??

 

 「駅前か病院跡地か」―。新花巻図書館の立地場所にかかる市民の意見集約をするための「対話型市民会議」が17日にスタートした。慶應義塾大学SFC(湘南藤沢キャンパス)の山口覚大学院特任教授がメインファシリテーター(進行役)を務め、WS(ワークショップ)形式で進められた。参加者75人(この日になって1人が辞退)は11のグループに分かれ、意見交換をした。第1回目のこの日は二つの候補地について、それぞれのメリットとデメリットを出し合い、残る2回(予備日として1回)の会議で、意見集約につなげたいとしている。

 

 駅前については「駅に近く、公共交通の便に恵まれている。最近は全国的に駅前図書館が増えている」といったメリットが出された反面、「騒音や防犯上の問題が心配だ」という声も聞かれた。病院跡地については「景観がすばらしく、文教施設とも隣接している」という意見が出された一方で、配布資料に示された「災害リスク」との近接を懸念する声もあった。若々しい声が飛び交う会場の顔ぶれを見ながら、「おやっ」と思った。高齢者の姿がほどんど見当たらなかったからである。ふいに、2年前の議会論戦の光景を思い出した。

 

 「高齢者のためだけの図書館で良いのか。それなら今の図書館で十分。若い人は圧倒的に駅前を希望している」―。その年の12月定例会で上田東一市長は立地場所にからんで、“高齢者”排除とも受け取られかねないこんな暴言を口にした。質問者は檄した口調で迫った。「看過できない重大発言だ。世代間の分断を促しかねない。取り消しを要求したい」。上田市長はこう応じた。「私も現在68歳の老齢世代。だからこそ、将来を見すえて若者を含めたあらゆる世代に開放された図書館を目指したいと思っている。言葉が足りなかったとしたら、訂正したい。ただ、分断だとは決して思っていない。表現が不適切だとしたらお詫びをしたいが、取り消す必要はない」―

 

 今回の市民会議の構成を知ってまた、ビックリした。若年層(10代~30代)が35人、中高年層(40代~60代)が34人に対し、高齢者層(70代以上)はわずか6人だったからである。性別は男性37人、女性38人で、15歳から81歳までの75人で構成されていた。一方、この日の会議で当局側から病院跡地への立地を求める署名が1万筆を超えたことが報告された。

 

 夏の猛暑に耐え、厳寒の寒さに震えながら、この活動を担ったのはほとんどが後期高齢者のお年寄りたちだった。その先頭に立ったメンバーが傍聴席から身を乗り出すようにして、会議の成り行きを見守っていた。「市側は無作為抽出で公平に選んだ市民の中から参加希望を募ったと言っている。私たちにも訴えたいことは山ほどあるけど、(抽出に)外れてしまった。でも万が一、当たったとしても4時間という長丁場に耐えられるかどうか。私たちの署名運動も健康を考えて、(街頭活動の際は)1時間に制限した。高齢者に配慮した時間設定はできなかったのか」―。こんなうめきにも似た声が耳に届いた。

 

 この“難行苦行”に辛うじて耐えた不肖84歳も同調したい気持ちになった。「市長の暴言に抗(あらが)い、真摯な図書館論議を続けて欲しい」―と

 

 

 


 

(写真は会場を埋め尽くしたが会議参加者たち=11月17日午後、花巻市の「まなび学園」で)

 

 

新図書館の比較調査とコンプライアンスのはざまから聴こえてくる…“立地”迷走曲の不協和音!!??

  • 新図書館の比較調査とコンプライアンスのはざまから聴こえてくる…“立地”迷走曲の不協和音!!??

 

 「39・9億円(駅前)VS36・3億円(病院跡地)」―。新花巻図書館の立地候補地の「比較調査」ではじき出された概算事業費とにらめっこしているうちにハタと心づいた。現役の記者時代、この法律を盾に行政側に噛みついたことを思い出したのである。法律上は安い方に建てるのが筋ではないか、と。コンプライアンス(法令遵守)の重視を口癖のように言い募る上田東一市長としてはなおさらのこと。この調査に要する委託費用約1800万円は昨年12月定例会で賛成18×反対7の賛成多数で可決された。駅前立地に係る事業費の中には新規取得の土地代など新たな税金の投入も算入されている。こうした予算などの執行を定めた法律が「地方財政法」である。こう規定されている。

 

 「地方公共団体の経費は、その目的を達成するための必要且つ最少の限度をこえて、これを支出してはならない」(第4条)、「地方公共団体の収入は、適実且つ厳正に、これを確保しなければならない」(第4条2項)―。さらに、もうひとつの基本法である「地方自治法」にはこんな定めもある。「地方公共団体は、その事務を処理するに当っては、住民の福祉の増進に努めるとともに、最少の経費で最大の効果を挙げるようにしなければならない」(第2条第14項)

 

 一方、今月8日に開催された議員説明会では病院跡地に隣接して、土砂災害警戒区域などの「災害リスク」が存在するという理由で、こうした法律上の原理・原則を無視した発言が一部会派から相次いだ。思い当たるフシがある。昨年の6月定例会である議員はこう発言した。「やはり、利便性を考えれば割高になることも考えられる。単に安価な方に流れないように配慮すべきだ」として、事業費の多寡(たか)によって、立地場所が左右されるべきではないと釘を刺した。そして、今般の議員説明会で、費用が安くすむはずの「病院跡地」への立地に否定的な意見を述べたのも件(くだん)のその議員だった
 

 「駅前立地」を第一候補に掲げているのは他ならぬ市当局である。議員たるもの、基本法を度外視した軽率な発言は厳に慎むべきである。12月定例会での真剣勝負の議論を期待したい。また、17日から始まる「対話型市民会議」の参加者に対しても当該法律についての丁寧な説明を求めたい。

 

 

 

 

 

(写真は11月15日号「広報はなまき」に掲載された病院跡地の「土地利用計画図」。「比較調査」報告書の原本では5色で色分けされていたが、どうしたわけか文字表記だけに。10日付当ブログのコメント欄の計画図を参照)

新図書館の「比較調査」報告で市民説明会…「駅前」立地への誘導が見え隠れ~病院跡地の一部に“災害リスク”~寝耳に水の参加者はビックリ~一部の議会会派はもう、先導役に!!??

  • 新図書館の「比較調査」報告で市民説明会…「駅前」立地への誘導が見え隠れ~病院跡地の一部に“災害リスク”~寝耳に水の参加者はビックリ~一部の議会会派はもう、先導役に!!??

 

 「駅前か病院跡地か」―。新花巻図書館の立地場所を決める際の基礎資料となる「図書館建設候補地」比較調査業務委託の報告書が10日開催の市民説明会で公開された。10年以上の迷走を続けた結果、今月17日から始まる「対話型市民会議」で立地場所の選定に向け、最終的に動き出すことになった。報告書によると、概算の総事業費は駅前案が約39億9千万円で、跡地案は約36億3千万円。国の補助金15億円と合併特例債の交付税措置によって、市側の実質負担額は前者(駅前)が約8億4千万円、後者(跡地)が7億2千万と見積もられている。必要駐車台数は120台とし、双方とも2階建て(延べ床面積4500㎡)の規模を想定している。

 

 「駅前」立地に誘導するような報告書の内容を問いただすため、私は以下の項目を質問した。これに対し、市川清志・前生涯学習部長らは「入札は公平・公正な手続きに従って行われた。病院跡地への立地についても“災害リスク”からの安全性は担保されている。跡地内に土砂災害警戒区域などが存在することについては以前、議会側にも説明している」などと答え、やり取りはほとんど平行線に終わった。また、対話型市民会議については「15歳以上の市民3600人に対し希望者を募り、応募した75人で構成した」と話した(コメント欄に”ダメ出し”みたいなイメージ図(土地利用計画図)を掲載

 

 市民説明会は11日(大迫交流活性化センター)、12日(東和コミュニティセンター)、14日(石鳥谷生涯学習会館)で。また、対話型市民会議は今月17日、12月21日、令和7年1月26日の3回予定されており、いずれも午後1時から5時まで、まなび学園で。予備日として2月15日も設定されている。

 

 

(1)今回の「比較調査」報告書によると、病院跡地の敷地面積は全体で17,887㎡で、うち図書館関連の敷地は上部平坦地の9,220㎡とされている。また、敷地の北側の一部や東側の濁堀周辺は「土砂災害防止法」や「急傾斜地法」などによって、土砂災害警戒区域や崩壊危険区域に指定されていることが明らかになった。

 

 一方、これらの指定区域内における擁壁設置などの大規模改修には多額の費用がかかるため、今回は調査対象から除外したとしている。しかし、当該病院跡地は公共の用に供するという目的ですでに市有地化されており、こうしたリスク回避に要する支出は利活用を促すための「必要経費」と考えるべきである。いわゆる「新興跡地」が荒れ放題―”塩漬け“状態になっているのはあの土地が「私有地」だから許されるのであって、ここが病院跡地とは根本的に違う点である。裏返せば、費用がかかりすぎる“不良資産”を購入したとも言える。なぜ、今回この部分の費用算出を除外したのか。「比較調査」の公平性の点からも疑問が生じる。その辺の認識を伺いたい。

 

(2)その一方で土地利用計画図を見ると、新図書館の立地予定区域の周囲がすっぽり急傾斜崩壊危険区域と土砂災害警戒区域に囲まれているように5色に色分けされている。一見すると、“災害リスク”のど真ん中に公共施設を建てるのかと錯覚を覚えるようなイメージ図になっている。まるで、最初から“ダメ出し”の印象操作ではないかという疑念がぬぐえない。

 

 現に8日開催の議員説明会では複数の議員が災害リスクを避けるため、「病院跡地」立地に異議を唱える発言をしている。市民の代表であるはずの議員側が十分な議論を経ないまま、一方への“誘導”の先導役を務めている。議会と当局は互いに監視する立場にあるという「二元代表制」を自ら否定する自殺行為、いや暴挙と言わざるを得ない。

 

 そもそも当該病院跡地に総合花巻病院(前身は「花巻共立病院」)が誕生したのは100年以上も前の1923(大正12)年。往時には看護学校のほか24棟の病棟が林立していた。さらに、隣接地域には現在の「まなび学園」の前身である花巻高等女学校(のちの花巻南高校)が1911(明治44)年に開校。また、1921(大正10)年12月には宮沢賢治が稗貫農学校(のちの花巻農学校)の教壇に立つなど1世紀以上にわたって文字通り、「文教と医療」の一大拠点地域としての役割を担ってきた。一方、まなび学園は災害時の「緊急避難場所」に指定され、現在に至っている。

 

 ところが、今回浮上した災害上のリスクについての指摘はこれまで行政側から一度もなかった。なぜ今回突然、明らかにされたのか。その唐突さに違和感を覚える。「いのちと健康、そして学びの場」として、当市発展の屋台骨を支え続けてきた一帯の歴史的な背景を踏まえた上で、この間の経緯を市民が理解できるように説明してほしい。

 

(3)今回、業務を受託した「(株)大日本ダイヤコンサルタント」はJR各社と請負関係にある独立法人「鉄道建設・運輸施設整備支援機構」(JRTT鉄道・運輸機構、前身は鉄建公団)の「有資格業者」に指名されている。さらに、入札に参加したほかの10社もすべて同じ資格を有していた。「有資格」とはたとえば、入札時に優先権があるということなども含むのか。いずれにせよ、今回の業務委託そのものが“JR寄り”と受け取られても致し方ないのではないか。この点からも今回の「比較調査」自体の公平性に疑念を抱かざるを得ない。見解を伺いたい。

 

(4)「対話型市民会議」の構成人員は何人か。その選考はどのような手続きで行われたのか。無作為抽出で選んだ市民は全部で何人で、市民会議は参加を希望した市民によって構成されたということか。会議は同じメンバーで進められるのか。病院跡地への立地を求める署名が9,745筆に達し、市側に提出されていると聞いている。この数字を統計学上の「有意性」の観点から、どう認識するか。

 

 

 

 

 

(写真は建設場所の行方に注目する参加者たち。ほぼ満席状態の関心の高まりに=11月10日午後、花巻市花城のまなび学園で)

 

 

 

 

《追記ー1》~これってもしかして、私のことかしら!!??

 

 「基本的には公開での開催を考えています。ただ、写真を撮って顔が出るとか、そういうことは避けていただきたい、場合によってはブログなどに出す方もいらっしゃいますから。誰々がこういうことを言っていたとか、人物が特定されるようなことはないように徹底してほしいと思います。取材については当然可能でございますし、取材であれば別に写真を撮ってもいいという方もいると思いますので、そこは取材を受けるご本人のお考えにお任せします」―

 

 13日付の市HP上に上田東一市長のこんな発言が載っていた。新図書館の立地に係る「対話型市民会議」をめぐる定例記者会見(10月30日開催)での発言。マスコミはOKで、ブログ用の写真撮影はダメっていうことらしい。「我こそは」と会議参加に手を挙げた市民に対して、逆にこれは無礼千万ではないのか。この人は一体、何に怯(おび)えているのだろうか。国の最高規範たる憲法はこう規定している。「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない」(第21条)

 

 

 

《追記―2》~まるで、戒厳令下の“対話市民会議”!!??


 「これじゃ、まるで戒厳令」―。11月14日付で制定された「市民会議・傍聴要領」が市HPに掲載された。本来、全市民に開かれるべきはずの“市民会議”が物々しい“厳戒態勢”の下で開かれるという前代未聞の事態である。人類全体の共有物でもある図書館論議から傍聴者を締め出す…まるで、一部の市民が会議を乗っ取ろうとしてるかのような物言いに絶句した。以下にその一部を記す。これが宮沢賢治の理想郷「イーハトーブ」(夢の国)の現実である。詳しくはHPへ。第1回目の市民会議は17日。

 

 「会議を妨害し、又は人に迷惑を及ぼすと生涯学習部長が認める者(入場の禁止)」、「会議の内容に批評を加え、又は賛否を表明すること。その他会議の妨害となるような挙動をすること(傍聴人の守るべき事項)」、「傍聴人は、会議場内において写真を撮影し、又は録音・録画をしてはならない。ただし、特に生涯学習部長の許可を得た場合は、指定区域内においては、この限りではない」(撮影、録音等の禁止)、「傍聴人がこの規則に違反したときは、生涯学習部長は、これを制止し、その命令に従わないときは、その者に退場を命ずることができる」(傍聴人の退場)―

 

 新花巻図書館の建設候補地に関する市民会議 傍聴要領 (PDF 151.3KB)新しいウィンドウで開きます

 

 

 

 

《追記―3》~非回答バイアス

 

 「非回答者」を名乗る方から、以下のようなコメントが寄せられた。ちなみに、10月31日現在の市人口は90,102人。全体に占める比率は「市民会議」(75人)が1・2%、病院跡地への立地を求める署名(9,745筆、10月末現在)が9・2%。このどちらの数値が民意を的確に反映しているかは一目瞭然である。

 

●「15歳以上の市民3600人に対し希望者を募り、応募した75人で構成した」とされる「対話型市民会議」は次の理由から母集団たる市民の意見を代表できません。無作為で選ばれたかもしれませんが、意図のある75人の意見には偏りが生じます。

 

 無作為抽出に基づく調査において、調査への参加を拒否する回答者によって起こるバイアスを非回答バイアス(Non-Response・Bias)といいます。また、パーティシペーション・バイアス(Participation・Bias)とも呼ばれます。調査対象者の一部が調査に参加しないことで、回答者と非回答者の間で差が生じ、研究結果に偏りが発生する可能性があります。研究の長さや質問の構成などが原因で脱落を選択する人も多く、調査の回収率が低下すると非回答バイアスが顕著になる可能性があります。

 

 

 

《追記―4》~お粗末要領

 

 今度は「法制執務担当者」を名乗る方から、以下のようなコメントが届いた。“断末魔”みたいに迷走を続ける図書館問題…世間の側に火の粉が回ったようである。

 

●この条文のタイトルは「新花巻図書館の建設候補地に関する市民会議 傍聴要領」で、第9条に「規則」って書いてるけど、「規則」ではないでしょ。よっぽどあわてて作ったようです。市の要領なんて、市内部のマニュアルに過ぎず、市民に対する強制力はないよね。第8条「傍聴人がこの規則に違反したときは、生涯学習部長は、これを制止し、その命令に従わないときは、その者に退場を命ずることができる」―そもそも地方自治法はこう規定していますよ。

 

第244条「普通地方公共団体は、住民の福祉を増進する目的をもつてその利用に供するための施設(これを公の施設という。)を設けるものとする」
2「普通地方公共団体(次条第3項に規定する指定管理者を含む。次項において同じ。)は、正当な理由がない限り、住民が公の施設を利用することを拒んではならない」
3「普通地方公共団体は、住民が公の施設を利用することについて、不当な差別的取り扱いをしてはならない」

 

 皆さん、コンプライアンスなんて無理でしょうけど、せいぜい法令だけは守って、法の言う「不当な差別」なんていう仕事はダメですよ。がんばってね!

 

 

 

「言葉が果つるところ」…その現場が「図書館」だったという無惨~言葉の果てに“言葉”をつかみ取った知の巨人を思いつつ、そして「雨ニモマケズ」というナゾ!!??

  • 「言葉が果つるところ」…その現場が「図書館」だったという無惨~言葉の果てに“言葉”をつかみ取った知の巨人を思いつつ、そして「雨ニモマケズ」というナゾ!!??

 

 「言葉より深く、言葉を超え、しかし言葉にすがりつかざるをえない鬩(せめ)ぎあいの地平で交わされる、鬼気迫る対話」―。こんなキャッチコピーに急かされるようにして、『言葉果つるところ』(藤原書店)というタイトルの本を取り寄せた。水俣病をその身に背負う人たちの、言葉にならない魂の叫びを言葉にうつしとり、『苦海浄土』を書いた石牟礼道子さんと片や、内発的発展論を唱えながら「ミナマタ」と遭遇し、“言葉ではどうにもならない”現実に直面し苦悩する国際的な社会学者、鶴見和子さんとの息詰まるようなやり取りに身震いを覚えた。

 

 「言葉は、討ち死にして、のたれ死にしていいんですよ」と石牟礼さんが語ると、鶴見さんは「言葉果つるところに言葉がうまれる」と応じる。“言霊”(ことだま)の世界を浮遊する二人の対話はたとえば、こんな風に進む。「いま情報化社会になっていて、言葉ですべてが解決することになっている。で、言葉が全部機械化されてる。機械で伝達できる言葉だけがいま残っているわけ」(鶴見)…「機械で言葉を生産していると思ってるけど錯覚で、言葉を全部、分断機にかけて切って捨ててると思うんです。言葉にならない情感とか悲しみとかも轢(ひ)きくだいてぐちゃぐちゃにして、切り刻まれて捨てられる運命にあると思うんです」(石牟礼)

 

 「駅前か病院跡地か」―。10年以上に及んだ新花巻図書館の立地場所を決める「対話型市民会議」なるものが11月17日から始まるという告知が広報はなまき(11月1日号)に載っていた。「果たして、どんな対話が生まれるのか」。思わず、ため息が出た。図書館は「言葉の集積体」とも呼ばれる。だからこそ、そのための「図書館」論議には横溢(おういつ)するような言葉の乱舞や応酬があってよかったはずである。それがまったくなかった。「言葉」の放擲(ほうてき)とさえ思えた。図書館とはそもそも言葉(本)に囲まれながら、夢を紡(つむ)ぐ空間だと思っていたからである。底知れない徒労感の目の前には「言葉果つる」荒れ野が渺々(びょうびょう)と広がっている。

 

 “言葉の魔術師”とも言われた宮沢賢治が案内役を務めるはずだった「IHATOV・LIBRARY(「まるごと賢治」図書館)は見果てぬ夢と消えた。「仏作って、魂入れず」ーを地で行く”立地”論争とそれに費やした不毛な数年間…。「イーハトーブ図書館戦争」へ従軍した私の戦場体験もまもなく、終わりを告げる。それは同時に、私にとっての「イーハトーブ」(賢治命名の「夢の国」)の終焉(しゅうえん)も意味しているのかもしれない。石牟礼VS鶴見という大家の間に割って入った熟達の作家、赤坂真理さんはこう書いている。もう遠くに過ぎ去った陽炎(かげろう)みたいな記憶である。

 

 「まったく違う道すじを通ってきた二人の女が、ともに言葉果つるところまで行き、そこから蘇(よみがえ)り、全く新しい人間となり、違う資質で同じことを見、語って、くに(国)や宗教について、かつて誰も到達しなかったような深みと高みに到達する。どんな宗教者にもなしえなかった凄(すご)いことを、丸い言葉で話して、女学生のように笑いさざめいている」(本書より)

 

◇◇

 

 お二人ともすでに鬼籍に入られた。ちなみに、鶴見さんの祖父は台湾総督府の民政局長や満鉄(南満州鉄道)の初代総裁を務めるなど植民地経営に携わる一方で、関東大震災時は首都復興を担った元内相の後藤新平(奥州市出身)である。父親の鶴見祐輔は作家を兼ねた政治家として知られた。さらに戦後は弟の評論家、俊輔らとともに月刊論壇誌『思想の科学』を創刊した。ところで、一方の石牟礼さんは賢治との接点をさりげなく、以下のように記している。戦後日本の思想界を代表する二人の女性(「知の巨人」)との距離が急に近づいたような気がした。

 

 「そのこと(「近代化論の再検討」)にふと気がついたのはさきの戦争の末期、昭和18年くらいで、まだなりたての小学校代用教員の卵の時代であった。人は何のために生まれ、生きて戦争などするのかと思ったのが始まりで、人間の可憐さも醜さも十代の少女にだってわかったのである。『近代化』などという言葉はまだ知らず、宮沢賢治の『雨ニモマケズ』だけを心の頼りにして生きていたと思う」(あとがきから)ー。ところで、男性を代表する「知の巨人」と言えば、まず吉本隆明さん(故人)である。この思想家もまた「雨ニモマケズ」を天井に貼り付け、暗唱していたというエピソードをふと思い出した。

 

 それにしても、石牟礼さんにしろ吉本さんにしろ、その「知」(思索)の根底になぜ、「雨ニモマケズ」を置いたのであろうか。このことの意味をこれからも考え続けたいと思う。賢治の心奥(しんおう)はなお、深まるばかりである。

 

 

 あらためて、このナゾめいた詩の全文を以下に再録する(「青空文庫」より)


雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ
※(「「蔭」の「陰のつくり」に代えて「人がしら/髟のへん」、第4水準2-86-78)
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ

 

 

 

(写真は言葉の本当のありようを語りつくす対話集)

 

 

 

 

《追記》~米大統領選と賢治と!!??

 

 

 「秋という季節は、風について語りたくなる。<どっどど どどうど どどうど どどう、/青いくるみも吹きとばせ/すっぱいかりんも吹きとばせ>。このあまりにも印象的な言葉で、宮沢賢治の『風の又三郎』は、秋に吹く風を表した」―。11月6日付の朝日新聞の名物コラム「天声人語」はこんな書き出しで始まっていた。同じ1面トップには「両者 最終盤まで互角」と米大統領選の熱気を伝える見出しが躍っていた。そして、午後にはトランプ前大統領の地滑り的な勝利のニュースが世界を席巻した。一夜にして季節は移ろい、明日(7日)は立冬。世界は”冬の時代”に足を踏み入れるのだろうか。「どっどど どどうど どどうど どどう これから一体、どうなるど~(ドナルド)」と口が勝手に歌い出していた。