ピザの皿を補充しました。
ナポリ製です。
ど~ってことないようですが、やはり使いやすいですね。
価格はちょっとはお高いのですが、まぁ仕事で使うわけですから・・・・(*^。^*)
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3月30日(水) 80才が最高
こんな記事を見つけました。
「あのころはよかった」「私が若いころには……」などといったセリフをつい口にしてしまったり、あるいは誰か年長の人から聞いたことのある人も多いかも知れません。そんな言動に代表されるように、一生のうち青春時代が最も幸せな時期だというイメージは根強くあります。
しかし、近年行われた研究によって、人生で最も幸福を感じるピークは何と80代だということが分かりました。「年を取ること=若さを失う」というイメージを抱いてしまうかもしれませんが、この研究の結果は、年齢を重ねることに対してポジティブになれそうなものとなっています。
年を重ねるごとに幸福を感じやすくなるという理由は以下から。
Happiness peaks in our eighties - Telegraph
これまでの通説では、青春時代が一番素晴らしい時期で、40歳になるころには人生の最盛期を過ぎてしまい、だんだん幸福を感じる度合いが減っていくと思われていました。しかし、ある研究の結果、充足感と楽観主義的な考え方は中年を迎えたころから強まっていき、若いころに感じていた幸福感をあっさりとしのぎ、80歳代でピークを迎えるということが明らかになりました。
University College Londonで生物学を研究しているLewis Wolpert名誉教授は、最新の著作の中で、人の一生のうちに感じる幸福の度合いについて扱っています。10代~20年代にかけて、ほとんどの人が平均的に幸福を感じていて、その後中年に差し掛かったころまでは、家族を養ったり、仕事で成功しようとすることに対する重圧で幸福度はどんどん下がっていくそうです。しかしその後、40代中ごろから陽気で楽観的になっていく傾向が見られ、70歳代~80歳代にかけてピークに達するということで、人生を通じて幸福を感じる度合いに起伏があることを主張しています。
また、「the American National Academy of Sciences」上で発表された、34万1000人の被験者に対して行われた研究によると、成人してからしばらくは幸福を感じる度合いは減少していきますが、40代後半に差し掛かると上昇傾向を見せ始め、85歳でピークに達するまで幸福度は上昇し続けました。
University College Londonで心理学を担当するAndrew Steptoe教授は、現代の高齢者は、30年前の同年代と比べて健康であることが多い点を指摘し、健康と、それを維持するのに必要な収入が高齢者たちの生活にとって非常に重要であることを指摘しています。さらに、Steptoe教授は、年を重ねていくと、時間の使い道を厳選するようになり、楽しみにしっかりと目を向け、不幸な気持ちになることをうまく避けるようになるのではないかとも考えています。
また、年齢を重ねるごとに、計算や外国語、それに意志決定など、その人が苦手としていた分野が、脳が成熟していくことによって能力が向上するということも、研究の結果によって示されています。
若さに対してプラスのイメージを、老いに対してマイナスのイメージを感じる人も多いかもしれませんが、この研究が示した幸福を感じるピークを見ると、もしかしたら人生のお楽しみは一番最後まで取って置かれているということかもしれません。
どう思うかは。人それぞれだとは思いますが。
面白い視点であると言えますね。
でも、なんとなくそうかもしれないと思いたい。
という気持ちもあるわけで・・・・(^_^;)
「あのころはよかった」「私が若いころには……」などといったセリフをつい口にしてしまったり、あるいは誰か年長の人から聞いたことのある人も多いかも知れません。そんな言動に代表されるように、一生のうち青春時代が最も幸せな時期だというイメージは根強くあります。
しかし、近年行われた研究によって、人生で最も幸福を感じるピークは何と80代だということが分かりました。「年を取ること=若さを失う」というイメージを抱いてしまうかもしれませんが、この研究の結果は、年齢を重ねることに対してポジティブになれそうなものとなっています。
年を重ねるごとに幸福を感じやすくなるという理由は以下から。
Happiness peaks in our eighties - Telegraph
これまでの通説では、青春時代が一番素晴らしい時期で、40歳になるころには人生の最盛期を過ぎてしまい、だんだん幸福を感じる度合いが減っていくと思われていました。しかし、ある研究の結果、充足感と楽観主義的な考え方は中年を迎えたころから強まっていき、若いころに感じていた幸福感をあっさりとしのぎ、80歳代でピークを迎えるということが明らかになりました。
University College Londonで生物学を研究しているLewis Wolpert名誉教授は、最新の著作の中で、人の一生のうちに感じる幸福の度合いについて扱っています。10代~20年代にかけて、ほとんどの人が平均的に幸福を感じていて、その後中年に差し掛かったころまでは、家族を養ったり、仕事で成功しようとすることに対する重圧で幸福度はどんどん下がっていくそうです。しかしその後、40代中ごろから陽気で楽観的になっていく傾向が見られ、70歳代~80歳代にかけてピークに達するということで、人生を通じて幸福を感じる度合いに起伏があることを主張しています。
また、「the American National Academy of Sciences」上で発表された、34万1000人の被験者に対して行われた研究によると、成人してからしばらくは幸福を感じる度合いは減少していきますが、40代後半に差し掛かると上昇傾向を見せ始め、85歳でピークに達するまで幸福度は上昇し続けました。
University College Londonで心理学を担当するAndrew Steptoe教授は、現代の高齢者は、30年前の同年代と比べて健康であることが多い点を指摘し、健康と、それを維持するのに必要な収入が高齢者たちの生活にとって非常に重要であることを指摘しています。さらに、Steptoe教授は、年を重ねていくと、時間の使い道を厳選するようになり、楽しみにしっかりと目を向け、不幸な気持ちになることをうまく避けるようになるのではないかとも考えています。
また、年齢を重ねるごとに、計算や外国語、それに意志決定など、その人が苦手としていた分野が、脳が成熟していくことによって能力が向上するということも、研究の結果によって示されています。
若さに対してプラスのイメージを、老いに対してマイナスのイメージを感じる人も多いかもしれませんが、この研究が示した幸福を感じるピークを見ると、もしかしたら人生のお楽しみは一番最後まで取って置かれているということかもしれません。
どう思うかは。人それぞれだとは思いますが。
面白い視点であると言えますね。
でも、なんとなくそうかもしれないと思いたい。
という気持ちもあるわけで・・・・(^_^;)
3月27日(日) これからの再建は
二週間が経って、
ようやく被災地では今後どうしていくのかというようなことについて、
様々な話題がテレビで流れるようになってきた。
いつまでもただ悲しんでばかりいられない、
現実を受け入れて今後どうするのかという問題に直面している。
とりあえずは仮設住宅を建てて、その後、町を再建していくという手順のようだ。
震災以前の町並みを再建していくわけだが、
青森、岩手、宮城、福島、茨城、これだけの広範囲の地域を以前のようにとなると、
そうとうな時間とお金がかかることでしょう。
ましてや、10メートルの津波防波堤に2000億円かかったとか言ってますから、
今回の震災レベルの防災を考えながらとなるといったいどれほどの時間と税金を投入しなければならないのだろう。
そのうえ、もうここには居たくないという人や、慢性的な過疎化、それに老人が多い地方都市の今後を考えると、
いったいどうしたもんだろう。
またまた各地に市庁舎をはじめ文化センターのような施設を各々つくるとなると、
気が遠くなるほどの税金がかかる。
この際どうだろう。
被害にあったところを併合して広域地方自治体を作ったらどうか。
今までのように、小さな自治体までに市庁舎をそれぞれ作るというようなことをやらないで、
道州制の先頭をきって県をまたいで被害のあぅた自治体連合として一つにするというのはどうでしょう。
そして新しい土地に連合の市庁舎をひとつ作り、それですべてを統合する。
そこは既存の土地ではなく、まったく新しい都市をつくる。
新しい土地に都市計画をゼロからつくれば、今までの復旧ということよりも、
かなりスピードアップで新自治体が出来るし、
過疎地にばらばらにお金をかけるよりも、効率の良い街が出来るように思う。
被災者の方たちにはお気の毒ですが、
この国難をどう受け止めて、それなりにそのことが新しい時代の幕開けということになれば、
亡くなった方たちにも分かっていただけるのではないだろうか。
その犠牲を何らかの有効な将来への礎という意味を込めた被災地の再建、
そんなことを早急にビジョンとして打ち出すことも国の役割ではなかろうか。
ただし、あの裏金政治家だけは注意しないとね。。。。
何とかダムのようなことになりかねないからなぁ(^_^;)
ようやく被災地では今後どうしていくのかというようなことについて、
様々な話題がテレビで流れるようになってきた。
いつまでもただ悲しんでばかりいられない、
現実を受け入れて今後どうするのかという問題に直面している。
とりあえずは仮設住宅を建てて、その後、町を再建していくという手順のようだ。
震災以前の町並みを再建していくわけだが、
青森、岩手、宮城、福島、茨城、これだけの広範囲の地域を以前のようにとなると、
そうとうな時間とお金がかかることでしょう。
ましてや、10メートルの津波防波堤に2000億円かかったとか言ってますから、
今回の震災レベルの防災を考えながらとなるといったいどれほどの時間と税金を投入しなければならないのだろう。
そのうえ、もうここには居たくないという人や、慢性的な過疎化、それに老人が多い地方都市の今後を考えると、
いったいどうしたもんだろう。
またまた各地に市庁舎をはじめ文化センターのような施設を各々つくるとなると、
気が遠くなるほどの税金がかかる。
この際どうだろう。
被害にあったところを併合して広域地方自治体を作ったらどうか。
今までのように、小さな自治体までに市庁舎をそれぞれ作るというようなことをやらないで、
道州制の先頭をきって県をまたいで被害のあぅた自治体連合として一つにするというのはどうでしょう。
そして新しい土地に連合の市庁舎をひとつ作り、それですべてを統合する。
そこは既存の土地ではなく、まったく新しい都市をつくる。
新しい土地に都市計画をゼロからつくれば、今までの復旧ということよりも、
かなりスピードアップで新自治体が出来るし、
過疎地にばらばらにお金をかけるよりも、効率の良い街が出来るように思う。
被災者の方たちにはお気の毒ですが、
この国難をどう受け止めて、それなりにそのことが新しい時代の幕開けということになれば、
亡くなった方たちにも分かっていただけるのではないだろうか。
その犠牲を何らかの有効な将来への礎という意味を込めた被災地の再建、
そんなことを早急にビジョンとして打ち出すことも国の役割ではなかろうか。
ただし、あの裏金政治家だけは注意しないとね。。。。
何とかダムのようなことになりかねないからなぁ(^_^;)
3月16日(水) 自分たちに出来ること
今日も寒くて被災地の皆さんさぞ大変なことでしょう。
ニュースで皆さんが食料品から生活物資、灯油、ガソリンなど様々なものが不足で、
すごく大変だということを盛んに言っている。
何を自分たちに出来るのかというと、
消極的ながらの協力だって出来るはずです。
無駄なガソリンを使わないとか、
買いだめをしないことで食品などが被災地に届きやすくなるとか。
そんなことだって、直接的ではないが小さなことかも知れませんがある意味支援になるかもしれません。
と、そんなことを考えて昨日スーパーに買い物に行ったら、
いつも暇な店が東京並みに人であふれている。
いったい何が起こったのかとびっくりしまいしたが、
どうも皆さん買いだめに一気に殺到したのだということがようやく理解できました。
でも、どうなんでしょう。
そんなに買い込んだって一日に使う食料なんて決まっているんだから、
使い切れなくてダメになっちゃうし、被災地に物資が届かなくなる間接的な原因になるのではと思うのですけどね・・・・
私は店の食材の不足分を調達に行ったので、
ネギと納豆を買っただけで、
あまりにも少ない買い物に前に並んでいたおばあちゃんが先に行けと言ってくれた。
どうして?
と聞いたら、皆買い物のかごを二つづつぐらいしてるんでず~と行列に並ぶから、
レジにも時間がかかるので、あんたみたいな買い物は逆に時間をとられてかわいそうだから先にいけということでした。
まぁある意味、そんな余裕がある群集の日本人ですが、
私が納豆を買おうと売り場に行ったら、
おばあちゃんが、もっと買おうかとちゅうちょしてるようでした。
じゃあと、私が納豆をいくつか買ったら、
そのおばあちゃんが衝動的に残りの納豆をかごに入れました。
????
そのカゴの中に、
もう10個も納豆が入っているのにもかかわらずです(^_^;)
あなたの行動が間接的に被災者の皆さんに迷惑をかけることになるかもしれません。
その人たちのことを考えてちょっとぐらい不足したって大丈夫と、
そんな気持ちで行きましょう。
いくら納豆だって、食いきれないでダメになっちゃうと作った人にも悪いでしょ。
もうちょっと冷静にね。
ニュースで皆さんが食料品から生活物資、灯油、ガソリンなど様々なものが不足で、
すごく大変だということを盛んに言っている。
何を自分たちに出来るのかというと、
消極的ながらの協力だって出来るはずです。
無駄なガソリンを使わないとか、
買いだめをしないことで食品などが被災地に届きやすくなるとか。
そんなことだって、直接的ではないが小さなことかも知れませんがある意味支援になるかもしれません。
と、そんなことを考えて昨日スーパーに買い物に行ったら、
いつも暇な店が東京並みに人であふれている。
いったい何が起こったのかとびっくりしまいしたが、
どうも皆さん買いだめに一気に殺到したのだということがようやく理解できました。
でも、どうなんでしょう。
そんなに買い込んだって一日に使う食料なんて決まっているんだから、
使い切れなくてダメになっちゃうし、被災地に物資が届かなくなる間接的な原因になるのではと思うのですけどね・・・・
私は店の食材の不足分を調達に行ったので、
ネギと納豆を買っただけで、
あまりにも少ない買い物に前に並んでいたおばあちゃんが先に行けと言ってくれた。
どうして?
と聞いたら、皆買い物のかごを二つづつぐらいしてるんでず~と行列に並ぶから、
レジにも時間がかかるので、あんたみたいな買い物は逆に時間をとられてかわいそうだから先にいけということでした。
まぁある意味、そんな余裕がある群集の日本人ですが、
私が納豆を買おうと売り場に行ったら、
おばあちゃんが、もっと買おうかとちゅうちょしてるようでした。
じゃあと、私が納豆をいくつか買ったら、
そのおばあちゃんが衝動的に残りの納豆をかごに入れました。
????
そのカゴの中に、
もう10個も納豆が入っているのにもかかわらずです(^_^;)
あなたの行動が間接的に被災者の皆さんに迷惑をかけることになるかもしれません。
その人たちのことを考えてちょっとぐらい不足したって大丈夫と、
そんな気持ちで行きましょう。
いくら納豆だって、食いきれないでダメになっちゃうと作った人にも悪いでしょ。
もうちょっと冷静にね。