宗教はどんな宗教でも共通な考え方がいろいろあります。
そんな中に”明日のことは心配しない”というのがあります。
ユダヤ教では、
”明日のことは悩んでも仕方がない。
今日これから起こることだって、人間にはわからないのに”
とか、
キリスト教でも、
”明日のことは思い煩うな。
明日のことは明日自身が思い煩うであろう。
一日の苦労はその日一日だけで十分である”
と言ってます。
それを我らが仏教では、未来は「空」である。
こだわってはいけない。
こだわったりするから心配になったり、思い悩むのです。
と教えています。
じゃあ私たちが未来を考えるときにはどうすればいいのかということになるわけです。
ユダヤの古い童話の話がヒントになるかと思われますのでここに紹介してみます。
王様に死刑囚が助命をこいました。
「王様お願いです、死刑を一年間だけ待ってください。
そうすれば、王様の愛馬が空を飛べるようにしてみせます。
そして、一年後にめでたく空を飛べるようになれば、私を釈放してください。
もしも、一年後に馬が空を飛べなければ、
そのときは私を死刑にしても結構です」
王様はその話にのり死刑囚に一年間の執行猶予をあたえました。
もちろん彼は大喜び、でもその様子を見ていた別の囚人が言いました。
「ばかだなぁ一年ぐらい猶予されても一年後は殺されるのに」
と言いました。
それに対して死刑囚は反論しました。
「この取引は四対一で俺のほうが得をしているんだよ。
確かに一年後には俺が死刑になる確率はある。
だが、助かる確率だって残されている。
第一に、一年以内に王様が死ぬかもしれない。
第二に、一年以内にあの馬が死ぬかもしれない。
第三に、一年以内にこの俺が死ぬかもしれない。
それに第四に一年以内にあの馬が空を飛べるようになるかもしれない。
だから四対一で俺が有利なんだよ」
この男の話を聞いていると、じつにめでたい男だなぁと思われます。
でも確かにオメデタイ男であるけど、
私たちが未来を考えるときには、このオメデタサで考えるぐらいでも良いのではということです。
未来は「なるようになるさ」とね。
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