豊川炭鉱馬車鉄道という幻  ~米沢に鉄道馬車が走っていた~  第九回

◎豊川炭鉱馬車鉄道創立の動き

米沢で田沢軽便線の動きが活発になっていた頃、明治30年12月9日の米澤新聞に株式申込の広告が掲載された。

株式申込書

豊川炭鉱株式会社       株式   (空欄)   株

右ハ自分ニ於テ引受ケ候間御了承ノ氏ヨリ会社定款並ニ商法ノ規定ニ従ヒ株主タル義務ヲ負担可致候也

明治   年  月   日              豊川炭鉱株式会社  発起人御中                                                  

 

この新聞の用紙に〇〇株と記入して株式を申し込むものと思われる。

この間小松町では町を挙げて馬車鉄道実現に向けて運動を展開していた。

 川西町史下巻によれば大川連太小松町長が時の農商務大臣伊東巳代治に対して次のような会社創立許可申請の副申書を提出している。(蔵田家文書)

  • 敢て法律命令に違反するものなし
  • 軌道管轄官庁の命に従う故公安を害するものなし公益上高価なる薪炭に代うるに低廉なる石炭を供給し且つ運輸交通の便を与え、賃金の他より少額を以てせば商工業発達は期して待つべし。これ等衆庶に益とする処少なしとせず。将来該炭山は人里離れたる処なれば風俗を害するおそれなかるべし。 
  • 従来の運送業者は貨物及石炭の運搬を請負わしむる約あり、且つ炭山には数百人の労働者を要するに至るべきにつき是等業者に障害を与えず
  • 該炭山は空気の流通宜しく且つ通気の方法そのこれに適するに至らんか石炭運搬道路概して平坦危険の恐れなし。就業者の健康の全きを害することなし
  • 発揮人各自の信用程度はもっとも適当なる人物なり
  • 亜炭の需要、近時石炭の騰貴し来たるよりみて将来好結果を得べし。
  • 資本金額募集順調なり
  • 資本金僅少、目論見書の資本にて起業の目的を達し得べし。県道両側、軌道敷設の要なし

 右者今般本町大字上小松蔵田国治外七名より豊川炭鉱馬車鉄道創立申請に付それぞれ遂調査候処敢て不全の廉無之様相認候間本人等申請の通御許可相成候様此副申仕候也

 

明治三十一年一月二十五日

        小松町長 大川 連太

 

農商工大臣 男爵伊東巳代治 殿

 

 しかしこのほかに商法、軌道条例などの定めによって内務大臣の特許状を添えて申請しなければならないので別に内務大臣に特許状を申請した、とある。

 この副申書から会社名が「豊川炭鉱馬車鉄道」となったこと、この計画の代表が蔵田国治ということが明らかになった。

それにしてもこの副申書には数百人の労働者を要するとあり、かなり大きな計画であったことが分かる。豊川炭鉱がどのくらいの埋蔵量を想定していたのか分からないが、少し大風呂敷のような気もするがいかがだろうか。

 また今まで見てきた計画から時に人車軌道になる話もあったが、また馬車鉄道に戻っている。やはり距離のことを考えると人に力では無理と考えたのではないだろうか。前回の田沢軌道線の計画が市議会で否決されると、燃料を運搬する鉄道はこの豊川炭鉱馬車鉄道に一本化されたようにも見てとれるが、まだいろいろな障害が待ち構えているのだ。

2018.07.07:mameichi:[線路は続くよ果てまでも。]

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