あのころのデパート

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子供の頃小学校に入る前、米沢には百貨店がなかった。
それに近いもので、糸屋という山森佐太郎さんがやっていたのが衣料店にレストランが併設されていて何となく百貨店の雰囲気があった。
他には十字屋というのが衣料店におもちゃ売り場があったような気がする。

でもそれまでは山形に行って、大沼に行くのがデパートに行くということだった。
その大きな違いは、屋上に遊園地があったことだ。
それは、米沢に進出したときも踏襲されており、山形ほど立派なものではなかったが、楽しい場所であった。

長野まゆみさんは、百貨店出身の作家で、母親も百貨店に勤めていたということで、よくその裏おもてをご存知だ。

私にとっての百貨店は、前職の物産展が全てになった。
在職17年、どのくらいの百貨店に伺っただろう。
北は札幌西武五番館、西は博多大丸、三越、高島屋、伊勢丹、阪急、阪神、京王、東武、東急、さいかや、遠鉄どこまでいったんだろう。

子供の頃あんなに輝いていた百貨店は、バブルの崩壊と共に少しづつ力を失ってきてはいるし、余りにも出入りしすぎて随分面白くない思いなどもさせられたが、日本橋を歩けば、何となくふらふらと誘蛾灯のごとく入ってしまう、日本の商人が作り上げた傑作だと思う。
2012.11.14:mameichi:[あの頃]

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