明治11年の山形県地図を

  • 明治11年の山形県地図を
購入しました。横144センチ×縦74センチの大きなものです。
地図の部分はそれほど大きくもなく、それほど詳しく書いてあるわけではないのですが、各市町村のデータが町内単位で事細かに書かれています。
私が現在店を開いている大町(現住所は門東町ですが)は戸数188戸、1029人となっています。

山形県の人口は65万1040人、戸数は11万2795戸で、現在では人口は117万2613人(180%)、戸数は39万2855戸(348%)です。133年前のことです。

ここ最近小野栄先生の「米沢の町人まち」を眺めていたら、今自分が立っている場所は、藁科梅安という儒医が住んでいたとあります。
4代松伯の三男で、幕末の蘭学者7代松伯の祖父に当たる方だそうです。
鷹山公を支えたのは何代目の松伯なのでしょうか。
大正12年4月大火で焼失した上杉神社の再建の寄付に、一金百円 東京市神田区錦町  藁科松伯とあります。その系譜はどうなってるのでしょうか。
善立寺で聞けば、分かるのでしょうが。

梅安といえば、池波正太郎の藤枝梅安です。萬屋錦之助だったでしょうか。
この人も医者なので、何か関係があるのでしょうか。それとも医者には多い名前なのでしょうか。
2011.11.21:mameichi:[豆いち、店舗にて]

この記事へのコメントはこちら

※このコメントを編集・削除するためのパスワードです。
※半角英数字4文字で入力して下さい。記号は使用できません。