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お盆と従兄弟たち

  • お盆と従兄弟たち
家の場合は妹が上山、弟が埼玉なので、みんなが集まるのはどうしてもこの時期となります。
新盆ということで、迎え火としての花火です。

その後、男子は小一時間ほど真っ暗な中でサッカーに興じました。10時過ぎまで。
それからみんなでお風呂に入り、束の間の従兄弟会を楽しんでいました。
2010.08.14:mameichi:コメント(0):[家庭の事情は!]

息子と墓掃除に行く。

  • 息子と墓掃除に行く。
昨日も暑い一日でした。

西蓮寺に墓掃除に行ってきました。
先日親父の納骨の時、随分汚れているなということで。

家の墓は元々松川の東岸の現在のお花見公園のところの共同墓地(現在もある)にあったらしいのですが、何軒かの墓は松川の氾濫により流され、米坂線と奥羽本線の間の共同墓地に移し、その後お寺に移したものだそうです。
平成も少し経ってから建てたものなので、それほど古くはないのですが結構気になる部分があります。

石の継ぎ目にあるゴミを洗車ブラシでごしごしやりましたが、古いので抜けてきます。石塚の文字のくぼみの部分にも黒いカビが随分生えていて、全部きれいにすることはできませんでした。

それでも30分ぐらいで結構きれいになったので、暑さも暑さなので終了しました。
丁度お盆の時に点灯する電球を電気工事の人が点けていました。



2010.08.11:mameichi:コメント(0):[家庭の事情は!]

お盆提灯を飾る。

  • お盆提灯を飾る。
親父の初盆なので、提灯を飾りました。確か何時まで飾るというのが決まっているらしく、6日に行ってやってきました。
こういうのの担当は長年親父がやってきたので、不慣れな私は結構汗だくです。
それでも小一時間すると見た目にも涼しげな提灯が揃いました。

これで、迷わずに帰ってこれるというものです。次は墓掃除ということになります。
2010.08.08:mameichi:コメント(0):[家庭の事情は!]

もう一人のウルトラマン

  • もう一人のウルトラマン
今から44年前の今日、ウルトラマンが放映されたそうです。
好きでしたねぇ、私も。今の子供たちが集めているカードと同様、怪獣写真というキャビネ版ぐらいの写真が駄菓子屋で売られていて、随分集めました。

そのコレクションは最近まで実家にありましたが、円谷プロになりたい!(勤めたいではない!!)という甥っ子にあげました。次期天皇も欲しがった大伴昌司の「ウルトラ怪獣図鑑」とともに。

実は今日はもう一人のウルトラマンが誕生した日なのです。
そ・れ・は、
うちのかみさんのじいちゃん、うちの息子からみれば「おじんちゃ」になるわけですが、何と102歳の誕生日なのです。

明治41年生まれ、戦前からバスの運転手として、戦後はタクシーの運転手として、昭和25年には昭和天皇の母、貞明皇后を上山村尾旅館から高畠長谷川製糸工場、米沢猪俣工場にお連れしたと話してくれたこともあります。
「俺は、意外と車を奇麗にしてだったがらよお」といって嬉しそうに。

現在は入院中ですが、私が出会った人の中では、かなりウルトラマンな感じです。

じいちゃん、おめでとう!
写真はその曾孫が作った迷路ですが、、、


2010.07.10:mameichi:コメント(0):[家庭の事情は!]

自身のマイナー嗜好と二人の祖父は赤の関係。

  • 自身のマイナー嗜好と二人の祖父は赤の関係。
ジャズのレコードをずらりと並べているので、ちょっと詳しい方はマイルスだの、コルトレーンだの、チック・コリアだのハービーだのキースだのと話しかけてこられることもあります。
残念というべきか、そういう昔のジャズ喫茶でかかっていたのは皆無といっていいほど持っていません。

みんなが好きなものが嫌いなわけではないのだけれど、自分の好きなものがみんなの中心になっていないことを何となく感じていたんです、子供の頃から。
天邪鬼とは特に思いません。自然にそういう流れに向っていかないのです。
そして自分が流れていく方向は割にはっきり見えたりするのです。

今回親父が亡くなったことで、一つ判ったことがあります。
父の父、つまりじいさんが社会党だったことです。南原村会議員を一期務めたことは聞いていましたが、社会党とは聞いていませんでした。
なぜか国鉄でヒトラーという仇名で恐れられていたらしいのです。ヒトラー=赤という図式は良く分かりませんが、論客だったのでしょうか。

母方の父、つまりじいさんはバリバリの社会党で、市議選に打って出る時、時の県会議長加藤富之助に自民党に鞍替えすれば勝たせてやると言われたのですが、言うことを聞くはずもなく、随分下のほうで落選しました。
借金取りに行っても、一銭も取れずに子供に小遣いを呉れて帰ってくるような人だったそうです。

で、この二人に共通して出てくる政治家が長俊英という人です。
母の父はうんと友達だったし、父の父も葬儀の時献花が来たという話でした。
多分どこかの集会では一緒のこともあったでしょう。

この長俊英という方には私も一度葉書をもらったことがあります。
市長のころだったのですが、ちゃんとしたコメントが書いてありました。
そのころ私は中学浪人で、市長は行っていた予備校の理事長だったのだと思います。
上記のじいさんとは苗字が違うので、孫とは知らなかったでしょうが縁とは異なものですね。

社会党とマイナー嗜好を一概に結び付けることは無茶ですが、何となくDNAを感じないこともありません。
現在私の好きな赤は、写真のようないなたいネオンです。この舞台は先週の長井の水上ステージです。

2010.06.30:mameichi:コメント(0):[家庭の事情は!]