◎新聞による合併協議の斡旋
明治32年12月16日の米澤新聞に〇米沢五大事業の合併談、という記事が掲載された。その記事がこれだ。
(要約読み下し。)
「宇宙大の眼光をもってこれを見れば大事業とは云わないかもしれないが、米沢においては数万円の資本を投じるものは大事業として数えられるだろう。しかもこれらの事業は共益公利をはかるもので、郷土の幸福を増進することに大である。その目下計画されつつある五大事業は
- 米沢小松を経て手の子に至る人車鉄道
- 小松長井間の人車軌道
- 米沢田沢間の人車軌道
- 豊川石炭鉱
- 田澤石炭鉱
である。この計画を聞いてみると、共に郷土の公共事業にして利益も大きく本紙はこの事業の一日も早く成立することを希望している。しかし共にいまだに該事業に着手されていない。逡巡躊躇しつつあるのは何故か。それは互いに利益が衝突するためで、しかも発起人の一部は会社間の相互関係に気遣っているものもあるようだ。
この五大事業の小松米沢間の人車鉄道と豊川炭鉱は同一発起人の計画であり、これは勿論その利害を共にして進退は同じである。しかし田澤米沢間の鉄道とは大いに利益の衝突がある。こちらの事業は薪炭会社を創立してこの鉄道により薪炭木材を運搬する目的である。また米沢手の子間の鉄道も中津川周辺の木材及び薪炭を運搬することを計画している。その利益の相衝突することはこのようなことだ。
事業は少しずつは進んでいるが、長井小松間の鉄道計画は、貨物がそれほど多くないことが予想されるため、株主にとっては迷惑かもしれないが、この路線を接続させないと西郡の貨物は奥羽線の赤湯に集まってしまう。そのためやはり長井小松間を接続して赤湯に集まるべき貨物を小松に集め米沢を経て集散すればその鉄道の利益は大きいだろう。
これらの事業を合同し米沢と小松に事務所を設けて薪炭材木を運搬しこれを販売、かつ客車を設けて往来の便にすればその利益は大きいものである。
当局者に乞う。再思参考、自家専有の利益を得ることのみに汲々せず、眼光を広大にして公共的利益を謀れ。」
という調停案的な記事となっている。また田沢炭鉱の持ち主は豊川炭鉱の発起人であるという記述もあり、合併の画策もあったのかもしれないが実現していない。
この記事では馬車鉄道ではなく人車鉄道で米沢-小松-長井間を結ぶという計画なのだが、人車にしてはちょっと距離が長すぎるような気がする。現在の米坂線米沢-今泉間が23km、山形鉄道今泉-長井間が6kmで計29kmの人車鉄道は日本には存在しなかった。栃木の鍋山人車鉄道が15.9km、千葉の夷隅軌道が15.5kmでもし実現していたら日本最長の金車軌道になったかもしれない。
また田沢-米沢市(御膳部町)に計画された人車鉄道だが、舘山の坂を空荷とはいえ人の力で車両を田沢まで上げることが出来るのかも甚だ疑問だ。計画は当事者がするものではないので、実際作業をする人夫から云えばどちらも無理のある計画だったのではないだろうか。
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