詳しいことは言えないんだけど、わたしは飲食店の本部で仕事してます。
そして、先週から事務所勤務後に助っ人としてリニューアル店舗の呼び込みをして
ます。
・・これがハマってしまった。
楽しい!
勧誘時のコミニュケーション、まるで友達に声を掛けるみたいに楽しい。
何でかなぁー?
・・と考えたら、断るお客さんも「笑顔」なんですよ!
笑顔で声掛けて笑顔で断られる。
もちろん売り上げは頭にあるし「今日は○○万売るぞ」
なんて思ってるんだけど、このコミニュケーションが楽しいのかもしれない。
・・実は、呼び込みなんてまだ2回目なんだけど。。
周りの呼び込みしてる同業者とも「おつかれさまでーす、お客さんどうですか?」
なんて会話もしながら夜の街の雰囲気に自然に溶け込んでしまいました。
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絵画
写真は、父が描いた油絵です。
たぶん10数年前のものです。
父はわたしが幼い頃から絵画が趣味でした。
(わたしが幼い頃というより、父の子供時代の頃から)
戦時中、アメリカ人の同年代の子供と絵画を通して仲良くなったこと、
言葉はお互いに分からなかったけど「絵を描く」ことで仲良くなったこと、
など聞かされてたっけ。
父がまだ元気だった頃「これ、ちょうだい」と二点ほど
もらってきたうちのひとつがこの作品です。
当時は、キャンバスに描きっぱなしの絵が実家にはごろごろあった。
そして自分が気にいった作品は、額も父が自ら作り、
サインも入れてあった。
山形美術館には入選作品として飾られた作品もあった。
父は桜をこよなく愛していた。
わたしが小学生くらいまでは、よく一緒に写生に行った。
ある時、わたしの桜の絵の宿題に手を加えてもらったら、なんと
「学校賞」をもらってしまったこともある。
父が亡くなり、父が大切にしていた「桜の絵」がほしいと
母に言ったところ「これだけは駄目」と言われた。
また、親戚たちもこぞって父の絵を「形見分け」として持って
行ってしまった。
ヒトはいづれ亡くなるけど、作品はずっと残るんだね。
芸術家だった父は「絵画」を通してみんなの心に根付いているのかも
しれません。。
たぶん10数年前のものです。
父はわたしが幼い頃から絵画が趣味でした。
(わたしが幼い頃というより、父の子供時代の頃から)
戦時中、アメリカ人の同年代の子供と絵画を通して仲良くなったこと、
言葉はお互いに分からなかったけど「絵を描く」ことで仲良くなったこと、
など聞かされてたっけ。
父がまだ元気だった頃「これ、ちょうだい」と二点ほど
もらってきたうちのひとつがこの作品です。
当時は、キャンバスに描きっぱなしの絵が実家にはごろごろあった。
そして自分が気にいった作品は、額も父が自ら作り、
サインも入れてあった。
山形美術館には入選作品として飾られた作品もあった。
父は桜をこよなく愛していた。
わたしが小学生くらいまでは、よく一緒に写生に行った。
ある時、わたしの桜の絵の宿題に手を加えてもらったら、なんと
「学校賞」をもらってしまったこともある。
父が亡くなり、父が大切にしていた「桜の絵」がほしいと
母に言ったところ「これだけは駄目」と言われた。
また、親戚たちもこぞって父の絵を「形見分け」として持って
行ってしまった。
ヒトはいづれ亡くなるけど、作品はずっと残るんだね。
芸術家だった父は「絵画」を通してみんなの心に根付いているのかも
しれません。。