7月20日(日)”西吾妻山市民トレッキング”で西吾妻に向かう大凹でチングルマ咲いてます・この花は代表的な雪田植物の一つである。高山帯や亜高山帯の地形的に緩やかな凹地では雪がたまりやすく、遅くまで雪が溶けずに残る。雪が消えるとその直後から植物たちは生長を開始し、花を咲かせるのである。先に雪が消える場所ではとっくに終わっているのですが雪が遅くまで残る大凹は今が見頃です・・チングルマの名前の由来は、この綿毛がついた種子の様子を、小さな幼児である「稚児」が遊ぶ「風車」に見立てたものである。 チゴグルマのはずが、なまって「チングルマ」になったというものである。大凹以外はみな果穂(綿毛)になってます・・綿毛が風に揺られる様も大変美しく同時期に花と綿毛が楽しめます・・
ワダスゲとコバイケソウ(西吾妻・大凹)
”西吾妻山市民トレッキング”天元台主催のトレッキングで日本百名山の西吾妻山・人形石・大凹、小凹コースでガイドとして参加した。今年は雪が多く大凹と呼ばれる湿原は雪が残りやすい窪地であり最近まで雪が残ってました・・このため、いつもは終わっているワダスゲ、コバイケソウがいい感じでした・・・・先週7月17日一切経に登ってきて・そこでも雪が残りやす所にはまだコバイケソウ咲いてましたね・・ワタスゲの花言葉は『揺れる想い』。風に揺れるワタスゲの果穂にピッタリな花言葉・・風にフワフワ、ポワポワと揺れる様子を眺めながらこの日はここで昼食となりました・・コバイケイソウは本州中部以北から北海道まで広く分布し、山地から亜高山の草地や湿地などの湿気の多いところに生えるユリ科シュロソウ属の多年草です。6月から7月に山を彩る代表的な高山植物のひとつですが、花は毎年は咲きません。今年は当たり年です・・
アサギマダラ(天元台)
一昨日、久しぶりに”アサギマダラ”見つけた・・”西吾妻山市民トレッキング”天元台主催のトレッキングで日本百名山の西吾妻山・人形石・大凹、小凹コースでガイドとして参加・・第三リフト降り場1820mから少し上の登山道にいました・・コバイケソウがまだ咲いていて、そこにしばらくとまっていたので、パチリ、2匹いて・・動かずいたので良かったです。このアサギマダラは、渡りをする蝶で、 約1500キロメートル離れた南の方から渡ってきています。 1日で200キロメートルを飛んだ記録もあるようです。春~夏には台湾・南西諸島から数世代で本州・北海道へ北上し、秋には逆のコースで一気に北海道・本州から南西諸島・台湾、時には中国大陸まで一世代で南下することが判明しとるそうです・・
百日紅(さるすべり)
我が家の百日紅が咲きました・・ミソハギ科、サルスベリ属、中国原産、木の幹表面がツルツルとして猿も登れないから「さるすべり」和名の百日紅は100日咲く、と言われるほど次々と開花し、長く花が楽しめることから来た名前のようです。この花、庭に植えてはいけない」という話が載っている、理由は「すべる」という名前が受験の失敗、運気が落ちる、という意味に繋がり縁起が悪い、とされることや、木肌がつるつるで「人間の肌」と連想され、「人の生気を吸って成長する樹木」というちょっと怖い感じの話がある、夏の暑い盛りにも生き生きと鮮やかな花を咲かせるパワーがある木である・・
正福寺館(正福寺)長井市
7月12日『ぐるっと長井の館巡り』に参加。フラワー長井線”時庭駅”から”南長井駅”まで約4時間の散策コースで二番目の館が正福寺。寺の境内東側の民家・畑地が主郭内で、南西部に高さ3m程の土塁が残り、その西側の水田が堀跡とある・・残っている土塁は祠があったために現在も残ったと説明があった。
築城年代は定かでないが伊達氏の家臣である大町家継によって築かれた。家継は、伊達宗遠の置賜攻略に戦功があり、この地を与えられた。天文(1532~1555)年間には、館主の大町頼明が在城しており、天文の乱や鮎貝氏攻めで戦功をあげている。鮎貝氏攻めでは北の備えの要所でした。天文の乱(てんぶんのらん)とは、天文11~17(1542~1548)年の6年間、伊達氏当主・伊達稙宗と嫡男・晴宗父子間の内紛に伴って発生した一連の争乱で、洞の乱(うつろのらん)とも呼ぶ。この乱の後遺症の後始末がようやく終わったのは、晴宗の子・輝宗の代であった。その後、天正19(1591)年に、輝宗の子・政宗が米沢から葛西・大崎旧領に移封されることとなり、この天正19(1591)年を廃城とした。とある・・










