ようやく我が家の家庭菜園、花の種植えしました・・とりあえず3種類・・
ヒメサユリ(下小松古墳群で)
6月14日(土)川西町下小松古墳群のヒメサユリ散策に行ってきた、ヒメサユリウオークと称する川西町主催のイベントは申し込みしたときには募集人員50名に達し受付終了でした・・人気ありますね・・この日川西町の朝市あるのでそこに行って、早い時間に先に散策してきました・・この古墳群、川西町の北西部、標高230m~280mほどの丘陵中に広がる4世紀から6世紀にかけて造られた古墳群。 北から陣が峰・永松寺・薬師沢・鷹待場・小森山・尼が沢の6支群に分かれ、古墳の総数は合わせて202基に及びます。この中には21基の前方後円(方)墳が含まれ、国指定史跡となってます・・
展望台から望む置賜盆地は、山形県の眺望景観資産に登録されています。高山植物の「ヒメサユリ」や「ニッコウキスゲ」、日本で一番小さいトンボ「ハッチョウトンボ」や「チョウセンアカシジミ」など見ることができます。この日ヒメサユリ観ながら古墳群散策でした
父の日
昨日は父の日でビールが届きました・・ビールが一番ですね!ありがとさんです。
この父の日、ネット検索してみると、世界の主流となってるのはアメリカから始まったものと言われています。
アメリカのワシントン州スポケーンに、ソノラの父ウィリアム・ジャクソン・スマート(William Jackson Smart)は、男手一つでソノラを含む6人の子どもたちを育て上げました。ソノラは、深い愛情を注いでくれる父をとても敬愛していました。
1909年5月、教会で行われた母の日のお祝いに参加していたソノラは「なぜお父さんの日はないのだろう?」という疑問に思い当たります。母の日は1907年に5月に提唱され、すでにアメリカ国内に広く浸透していました。その母の日と同じように、大好きなお父さんのための日も作ろう、そう思い立ったソノラは、地元の牧師教会に父の日を作りたいと相談しました。そして翌1910年、6月の第3日曜日にあたる6月19日に、最初の父の日のお祝いが行われました。当初は、ソノラの父の誕生日である6月5日の開催を目指したようですが、準備が間に合わず延期となり、そのまま6月の第3日曜日が父の日として定着することになったそうです。
母の日はすぐにアメリカ国内に定着しましたが、父の日はなかなかそうもいかず、父の日が正式にアメリカの祝日として認定されたのは60年も後の1972年でした。
そういえば、小学校の頃は母の日にカーネーションとか贈りましょうとありました・父の日は私が中学の頃なんですね、しかし日本で一般的になったのが1980年代・・私も2人の子が生まれて、子育てに奮闘していたころです・・お店で盛んに父の日に贈り物と宣伝が始まっていたのが1990年ころだったかな・・私が父や母に送るようになったのは子供が大学進学して相手してくれなくなったころかな・・我が子が成人した頃、ようやく時間的にも金銭的にも余裕ができ、父母のありがたさがわかって送るようになったのは2000年頃になってでした・・
川西町こまつ朝市
5~11月の毎月第2土曜に行われる、川西町の”こまつ市”は開催時間7時~8時30分と早い時間ですが・・久しぶりに、行ってきたぁー・・”大塚餅加工センター”の餅と”羽田酒・牛乳店”の飲み物、”真っ直ぐ屋”さんの米粉パン買ってみました・・・この後、下小松古墳群に咲くヒメサユリ観に行くんで腹ごしらえ朝食です・・米粉パン売ってる、”真っ直ぐ屋”さんは毎年味噌餅を買ってるところ、孫が味噌餅大好きになったんですね・・孫生まれてから毎年贈って一番上は中一になった、”真っ直ぐ屋”さんは現役で都会生活いていた時から都会では手に入らなかった丸小茄子、味噌餅を頼んでいたところです。妹さんがアレンジ小物を出してますね・・田舎に戻り当初3年間私もこの”こまつ市”に参加してました・・私が参加していたころお漬物、山菜や畑で採れた無農薬野菜など出していたばあちゃんは今は出てないですね・・漬物は亡くなった親父が大好きでした・・