7月4日から6日と横浜”みなとみらい”に出張、初日は半日で仕事が終わり、昼飯でもとぶらぶら散歩、「横浜赤レンガ倉庫」内で昼食ということに、この赤レンガ倉庫・明治44(1911)年~大正2(1913)年に建設された歴史的建造物。平成14(2002)年、“港の賑わいと文化を創造する空間”をコンセプトに、ショッピング、グルメ、さまざまなイベントが楽しめる文化・商業施設として開業しています。横浜デートでは欠かせない、人気のおでかけスポットですよね・・その昔東芝日野に入社して人生初のデートが山下公園でしたから・・山下公園来るとなぜか胸が”キュン”となる青春時代を思い出しますね・・東芝日野(東京日野市)から東芝小向(川崎市)に転勤になり、結婚後住んでいたのが東神奈川でしたから横浜は懐かしい第二の故郷でしょうかね・・ベイブリッジがまだできる前の工事していたころや、みなとみらいもできる前が懐かしい・・あのころから比べると横浜みなとみらい地区は一段と賑わっている感じです・・レンガ倉庫「1号館」「2号館」という2つの建物から成り、地上1階~3階の3フロアに合計約65ショップが集結。1号館には、1階に雑貨店やカフェ、2・3階にホール&スペースが常設されています。2号館には、1階のフードコートをはじめ、スイーツ店、カフェ、お土産店など、50以上の個性豊かなショップがズラリ。3階のレストラン・カフェフロアでは、バルコニー席のあるレストランで港の風景を眺めながら食事を楽しむこともできます。うろうろして結局、1階のフードコートで食事・・生ビール付けていい気分でした。
日光東照宮
6月27日・・日光へ・・天元台で営業していたペンションアミティエさんが病気のことやこの先歳になった時のことを考えて日光に引っ越した・・スキーや、山登りで天元台利用の初すべりや忘年会で常連として利用していたが・・引っ越しされてちょっと残念・・でもて日本を代表する世界遺産「日光」。そこに引っ越してお祝いかねて行ってきた・・東照宮から10分程度で有名な「日光東照宮」へと観光、今までに何回かきてはいますが・・外人さんが増えていますね・・徳川家康公が祀られた神社、社殿群は、そのほとんどが1636(寛永13)年、3代将軍家光公による「寛永の大造替」で建て替えられたものとある。
境内には国宝8棟、重要文化財34棟を含む55棟の建造物が並び、その豪華絢爛な美しさは圧巻です。全国各地から集められた名工により、建物には漆や極彩色がほどこされ、柱などには数多くの彫刻が飾られています。
「眠り猫」の先にある家康公の墓所の奥宮に向かう道、東照宮から日光二荒山神社へ向かう参道など、強力なパワースポットが数ヶ所あると言われ、人気・・一通り有名どころを観ても時間かかりますね・・
康寿橋
男3人兄弟、弟も完全リタイヤして自由な時間ができ、最初は弟還暦祝いで白布温泉に、次の年が花巻温泉(私は東京での絵画展で行けずじまい)、昨年は芦ノ牧温泉、今年はいわき湯本温泉へと一泊旅行、そして弟夫婦と嫁の友人含め我が家に連泊、現役時代、川崎にいる弟はめったに山形帰省は無かったが、生まれ育った故郷はいいもので、毎年帰省、山菜採りして川崎に買えるようになりました、弟嫁も自然が好きなようです、今年4月置賜桜回廊寄ったときに、『康寿桜』に『康寿橋』があり、我が息子の名と同じなので紹介して見せた、定年して田舎に戻るまでは、この存在を知らなく・・兄も知らなかった・・偶然、我が子の名前がこの名と同じ・・でも”こうじゅ”でなく”やすひさ”と呼んでいるが・・名前が同じで驚いた・・この橋は、南陽市民に親しまれている烏帽子山八幡宮の参道入り口を登っていくと階段をはさんで頭上の 方に架かる橋が康寿橋。 吉田橋(市指定文化財)を造った名工、吉田善之助の弟子である、川合兄弟の作で明治時代の 洋風石造アーチ橋という作りです。和洋折衷のデザインがところどころにかくれているようで す。整った円柱形の親柱には「康寿橋」の文字が刻まれ、橋の表面は傷みが少なく、ほかの石橋 とは違った洗練された雰囲気を醸し出しています
武蔵府中熊野神社古墳
元会社、東芝時代の後輩、初めて職場の新人教育した2人が定年となった、師匠といわれては行かないわけにはいかんということで、9年ぶりNEC府中に行く、宴会には時間が早く、NEC府中からすぐの武蔵府中熊野神社古墳へ立ち寄った、この古墳は、日本国内でも3例しかない上円下方墳(じょうえんかほうふん)という貴重なものであるとあります。他の2例(奈良県,静岡県)が7世紀後半~8世紀前半とされるのに対し、ここは7世紀前半と判明し、上円下方墳の国内最大で、最古級の古墳とわかったのだそうです。2005年7月には国指定の文化財(史跡)に指定されているとある。東京湾西岸に注ぐ多摩川が形成する立川段丘崖から500mほど段丘内に入ったところにあり、南東500mには古墳時代後期の群集墳である高倉古墳群が所在するものの、単独で所在する古墳。20号線沿いにあります。
詩の説明では、最下部の1段目は一辺約32m、高さ約0.3mで切石を外周に並べる。2段目は一辺約23m、高さ約2.5m、3段目は直径約16m、高さ2.2mで、2段目及び3段目には河原石による葺石を施す。墳丘盛土は版築によって積み上げられる。
内部主体は凝灰岩質砂岩を用いた切石積みの横穴式石室である。石室は南からハの字に開く前庭部、羨道、胴張り気味の前室と後室、胴張りの玄室へとつながり、内側にせり出す門柱状の石材によって各々が区切られる。羨道は長さ約0.9m、幅約1.6m、前室は長さ、最大幅、高さともに約1.8m、後室は長さと最大幅が約1.9m、高さ約1.8m、玄室は長さ約2.6m、最大幅約2.7mで、石室全長は約8.8mである。また、墳丘の南と東で部分的に周堀の可能性がある溝が確認されている。
















