元会社、東芝時代の後輩、初めて職場の新人教育した2人が定年となった、師匠といわれては行かないわけにはいかんということで、9年ぶりNEC府中に行く、宴会には時間が早く、NEC府中からすぐの武蔵府中熊野神社古墳へ立ち寄った、この古墳は、日本国内でも3例しかない上円下方墳(じょうえんかほうふん)という貴重なものであるとあります。他の2例(奈良県,静岡県)が7世紀後半~8世紀前半とされるのに対し、ここは7世紀前半と判明し、上円下方墳の国内最大で、最古級の古墳とわかったのだそうです。2005年7月には国指定の文化財(史跡)に指定されているとある。東京湾西岸に注ぐ多摩川が形成する立川段丘崖から500mほど段丘内に入ったところにあり、南東500mには古墳時代後期の群集墳である高倉古墳群が所在するものの、単独で所在する古墳。20号線沿いにあります。
詩の説明では、最下部の1段目は一辺約32m、高さ約0.3mで切石を外周に並べる。2段目は一辺約23m、高さ約2.5m、3段目は直径約16m、高さ2.2mで、2段目及び3段目には河原石による葺石を施す。墳丘盛土は版築によって積み上げられる。
内部主体は凝灰岩質砂岩を用いた切石積みの横穴式石室である。石室は南からハの字に開く前庭部、羨道、胴張り気味の前室と後室、胴張りの玄室へとつながり、内側にせり出す門柱状の石材によって各々が区切られる。羨道は長さ約0.9m、幅約1.6m、前室は長さ、最大幅、高さともに約1.8m、後室は長さと最大幅が約1.9m、高さ約1.8m、玄室は長さ約2.6m、最大幅約2.7mで、石室全長は約8.8mである。また、墳丘の南と東で部分的に周堀の可能性がある溝が確認されている。