男3人兄弟、弟も完全リタイヤして自由な時間ができ、最初は弟還暦祝いで白布温泉に、次の年が花巻温泉(私は東京での絵画展で行けずじまい)、昨年は芦ノ牧温泉、今年はいわき湯本温泉へと一泊旅行、そして弟夫婦と嫁の友人含め我が家に連泊、現役時代、川崎にいる弟はめったに山形帰省は無かったが、生まれ育った故郷はいいもので、毎年帰省、山菜採りして川崎に買えるようになりました、弟嫁も自然が好きなようです、今年4月置賜桜回廊寄ったときに、『康寿桜』に『康寿橋』があり、我が息子の名と同じなので紹介して見せた、定年して田舎に戻るまでは、この存在を知らなく・・兄も知らなかった・・偶然、我が子の名前がこの名と同じ・・でも”こうじゅ”でなく”やすひさ”と呼んでいるが・・名前が同じで驚いた・・この橋は、南陽市民に親しまれている烏帽子山八幡宮の参道入り口を登っていくと階段をはさんで頭上の 方に架かる橋が康寿橋。 吉田橋(市指定文化財)を造った名工、吉田善之助の弟子である、川合兄弟の作で明治時代の 洋風石造アーチ橋という作りです。和洋折衷のデザインがところどころにかくれているようで す。整った円柱形の親柱には「康寿橋」の文字が刻まれ、橋の表面は傷みが少なく、ほかの石橋 とは違った洗練された雰囲気を醸し出しています
HOME > 歴史探訪
武蔵府中熊野神社古墳
元会社、東芝時代の後輩、初めて職場の新人教育した2人が定年となった、師匠といわれては行かないわけにはいかんということで、9年ぶりNEC府中に行く、宴会には時間が早く、NEC府中からすぐの武蔵府中熊野神社古墳へ立ち寄った、この古墳は、日本国内でも3例しかない上円下方墳(じょうえんかほうふん)という貴重なものであるとあります。他の2例(奈良県,静岡県)が7世紀後半~8世紀前半とされるのに対し、ここは7世紀前半と判明し、上円下方墳の国内最大で、最古級の古墳とわかったのだそうです。2005年7月には国指定の文化財(史跡)に指定されているとある。東京湾西岸に注ぐ多摩川が形成する立川段丘崖から500mほど段丘内に入ったところにあり、南東500mには古墳時代後期の群集墳である高倉古墳群が所在するものの、単独で所在する古墳。20号線沿いにあります。
詩の説明では、最下部の1段目は一辺約32m、高さ約0.3mで切石を外周に並べる。2段目は一辺約23m、高さ約2.5m、3段目は直径約16m、高さ2.2mで、2段目及び3段目には河原石による葺石を施す。墳丘盛土は版築によって積み上げられる。
内部主体は凝灰岩質砂岩を用いた切石積みの横穴式石室である。石室は南からハの字に開く前庭部、羨道、胴張り気味の前室と後室、胴張りの玄室へとつながり、内側にせり出す門柱状の石材によって各々が区切られる。羨道は長さ約0.9m、幅約1.6m、前室は長さ、最大幅、高さともに約1.8m、後室は長さと最大幅が約1.9m、高さ約1.8m、玄室は長さ約2.6m、最大幅約2.7mで、石室全長は約8.8mである。また、墳丘の南と東で部分的に周堀の可能性がある溝が確認されている。