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史跡慧日寺跡(しせきえにちじあと)

  • 史跡慧日寺跡(しせきえにちじあと)
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先月11月5,6日と西会津方面に旅行、史跡慧日寺跡(しせきえにちじあと)よりました、広大な寺跡は昭和45年に国の史跡に指定され、復元整備が進められているということです。平成20年に金堂と中門が復元。さらに金堂内の展示物として薬師如来坐像が復元制作され、平成30年夏から一般公開されています。敷地内には、慧日寺を開いた徳一菩薩の墓と伝えられる平安時代の石塔「徳一廟」があります。かつては三重と思われていましたが、発掘調査により五重の石塔であることが分かっている、史跡慧日寺跡には、ほかにも仁王門や薬師堂など多くの見どころがあります。

樹齢800年を数えるエドヒガンザクラ「木ざし桜」もあり春は桜が楽しめますね、平安末期ごろ、慧日寺の宗徒頭・乗丹坊が挿した桜の杖がこの木になったという伝承が残っています。種まき桜ともいわれて花が咲き始めると田畑作業を始める目安とされていました。とある、マップみてゆっくり散策そこそこの運動になり、見ごたえもありました。

2025.12.19:li-no3:コメント(0):[歴史探訪]

「福満虚空藏菩薩 圓藏寺 (ふくまんこくぞうぼさつ えんぞうじ)」

  • 「福満虚空藏菩薩 圓藏寺 (ふくまんこくぞうぼさつ えんぞうじ)」
  • 「福満虚空藏菩薩 圓藏寺 (ふくまんこくぞうぼさつ えんぞうじ)」

先月11月5,6日と西会津方面に旅行、会津西山温泉の”旅館中の湯”さんへ泊って帰り斎藤清 美術館に、そこからすぐの只見川の土手・・そこには只見川に赤い橋が映え、その奥に日本三所の虚空蔵菩薩の一つに数えられる福満虚空藏菩薩がみえる。大同2年(807年)名僧徳一大師によって開創され、本尊は弘法大使により刻まれたと伝えられています。天気も良く土手からさんぽがてらお参りに寄ってみた、着くと急な石段がある・・石段を登り、本堂に到着、只見川側に張り出した舞台に立つと蛇行する川と赤い橋を見下ろすことができる。せり出した下は絶壁で怖い感じがする・・登り石段は急斜面のためか石段はまっすぐではなく、一度大きく折れている。中間に仁王門がどっしりと建っている。お年寄りにはきついかな・・元気なうちですよね、団体さんがいて仁王門でこれ以上無理と言って、待っているという老いた方々がいた・・あと10年もするとそうなりそうです・・

2025.12.16:li-no3:コメント(0):[歴史探訪]

赤芝の草木塔(米沢市)

  • 赤芝の草木塔(米沢市)
  • 赤芝の草木塔(米沢市)

天元台からの帰り道、小野川温泉を超え赤芝町にある草木塔に立ち寄った。

この草木塔は、享和元年(1801)の建立であるが、平成5年3月に大樽川赤芝地区右岸の河川護岸工事中に川底から偶然発見され、同年8月龍性院境内へと安置されたもの・・・碑文は、自然石の中央に「草木供養塔」、向かって右側に「享和元酉年」、左側に「8月15日」と刻まれている。龍性院の境内には、湯殿山をはじめ多くの石塔が建立されているが、草木塔とともに毎年住職や地域住民らによって供養祭が催され、この地域の祟高な信仰心を窺うことができる。また、この奥にある羽黒神社境内に虎列刺菩薩の石碑がある、明治12年(1879)に全国で大流行し、死者は10万人に及んだといわれているコレラ、米沢では八月に白布温泉で発生(旅行客から伝染)し小野川温泉で死者が出て、市内に蔓延、市内下流の窪田でも死者が出た、ここで「村中安全」とコレラの終息を祈願し、あわせて死者の冥福を願って虎列刺菩薩の石碑を立てている・・この地区の信仰心をうかがい知ることができますね・・

2025.08.03:li-no3:コメント(0):[歴史探訪]

ぐるっと長井の館巡り 白山館

  • ぐるっと長井の館巡り 白山館
  • ぐるっと長井の館巡り 白山館

7月12日『ぐるっと長井の館巡り』に参加。フラワー長井線”時庭駅”から”南長井駅”まで約4時間の散策コースで3番目の館が”白山館”でした・・伊達四十八館の一つで鎌倉時代に大須賀長光が築いたとされ、荒館や大須賀館とも呼ばれています。 館跡は白山神社および長遠寺の境内となり、説明版や土塁の一部に物見台とされる高土塁が残っています・・南西角で高さ2.5mと一段高い物見台になっていた。現在も屋敷鎮守の白山権現社と目通り(直径)5.8mの大欅が残っている。だいたい残った場所はお稲荷さんがあるところ・・写真2枚目土塁ですね・・その後ろは堀だったがいまは道路・・白山館を築いたのが1230年頃と言われている

2025.08.02:li-no3:コメント(0):[歴史探訪]

正福寺館(正福寺)長井市

  • 正福寺館(正福寺)長井市
  • 正福寺館(正福寺)長井市

7月12日『ぐるっと長井の館巡り』に参加。フラワー長井線”時庭駅”から”南長井駅”まで約4時間の散策コースで二番目の館が正福寺。寺の境内東側の民家・畑地が主郭内で、南西部に高さ3m程の土塁が残り、その西側の水田が堀跡とある・・残っている土塁は祠があったために現在も残ったと説明があった。

築城年代は定かでないが伊達氏の家臣である大町家継によって築かれた。家継は、伊達宗遠の置賜攻略に戦功があり、この地を与えられた。天文(1532~1555)年間には、館主の大町頼明が在城しており、天文の乱や鮎貝氏攻めで戦功をあげている。鮎貝氏攻めでは北の備えの要所でした。天文の乱(てんぶんのらん)とは、天文11~17(1542~1548)年の6年間、伊達氏当主・伊達稙宗と嫡男・晴宗父子間の内紛に伴って発生した一連の争乱で、洞の乱(うつろのらん)とも呼ぶ。この乱の後遺症の後始末がようやく終わったのは、晴宗の子・輝宗の代であった。その後、天正19(1591)年に、輝宗の子・政宗が米沢から葛西・大崎旧領に移封されることとなり、この天正19(1591)年を廃城とした。とある・・

2025.07.21:li-no3:コメント(0):[歴史探訪]