斎藤清

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11月5,6日と西会津方面に旅行、会津西山温泉の”旅館中の湯”さんへ泊って帰りに斎藤清美術館そしてアトリエ館に寄り・・作品とその場所をめぐってきた。作品案内とあわせ、現地の写真がある・・意外と何の変哲もないとこでも作品になるとなんとも日本的な趣のある風景が引き立つのですね・・ほっこりするよな、そんな作風が好きですね・・

斎藤清(1907~1997年)は、福島県河沼郡会津坂下町出身の木版画家です。 独学で独自の木版画技法を確立したことが有名で、なおかつ浮世絵版画の技法や西洋作家の近代的造形を積極的に取り入れ、独自の日本的感情を表現したことが高く評価されてます・・

2025.12.13:li-no3:コメント(0):[気ままなつぶやき]

柳津橋 (国道252号)

  • 柳津橋 (国道252号)
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先月11月5,6日と西会津方面に旅行、会津西山温泉の”旅館中の湯”さんへ泊って帰りに斎藤清美術館によりまして、そこからすぐの只見川の土手・・そこには只見川に赤い橋が映える、額が立てかけてありそこから望む風景がなんともいい感じですね、福島県河沼郡会津坂下町出身の木版画家『斎藤清』はこの橋を作品に残している、清氏は独学で独自の木版画技法を確立したことが有名で、なおかつ浮世絵版画の技法や西洋作家の近代的造形を積極的に取り入れ、独自の日本的感情を表現したことが高く評価されてます・・晩年移住して多くの作品を残している、写真2枚目の柳津橋・・従来の柳津町中心部を通るルートを避けるために新たにバイパスとして建設された国道252号の橋である。近傍に日本三大虚空蔵尊の一つとして名高い福満虚空蔵尊その門前町が広がる景勝地でもある、金属アーチ補剛桁部分が赤く塗装され、只見川の流れや周囲の山々の緑色に映え大変美しい景観見せる、清氏の作品は自宅アトリエから見た橋となっている・・

2025.12.12:li-no3:コメント(0):[気ままなつぶやき]

軽井沢プリンスホテルスキー場

  • 軽井沢プリンスホテルスキー場

軽井沢プリンスホテルスキー場のリトモスノーアカデミーのスタッフ登録案内、もうすぐ締め切り・・・今年は行くかどうかいまだ悩んでいますが、このプリンスホテルスキー場はもと会社の先輩が定年になり、アルバイトで務めていて、どこよりも早くから滑れるし、8時からのリフト開始でミーティング集合が9時半∴開始まで1時間半の空き時間、講習は10時から12時で昼は1時間半、午後は13時半から15時半講習で終了、16時から17時までイントラ勤務の時もたまにあるが、なければ16時から無料のスキー講習もある、ナイターもあるからナイターで自主練習もできる、元気があるならですがね、都心勤務で仕事終了後、東京から車で約2時間、JR長野新幹線で約1時間というアクセスのよさもあり、現役世代で金曜夜に仕事帰りに来て日曜までイントラ勤務しながら空き時間に滑って日曜に夜に帰る人もいた、認定指導員なら2級からでも時間単価は低いが勤務できる、指導員取得目的で来る人もいた・・私も準指導員目指した頃はここでバイトしながら練習したものだ・・

プリンスホテルスキー場は、なだらかな斜面を中心にしたコースが豊富で初心者にはいいところ、初心者コースは混み合うからいやだが、上級コースもあるから、滑りごたえも充分にある、強風運休などないし、快晴率は95%くらい、12月の中頃までは、一部のコースしかできないが末には超上級コース以外オープンする、造雪機と人工降雪機を使い、ゲレンデは常にベストコンディションとなっている・・

2025.12.11:li-no3:コメント(0):[気ままなつぶやき]

寒々しい景色

  • 寒々しい景色

昨日の天元台高原スキー場、麓は雨でしたが、高原は雪、昼でも-5度、木々は霧氷で覆われて、金属部分についた雪も寒々しい・・でも雪はいい感じ、明日は晴れ予報、そして明後日からは雪マークが続く・・

2025.12.10:li-no3:コメント(0):[気ままなつぶやき]

防空壕

  • 防空壕

先月、置賜地域観光ボランティアガイド研修会に西吾妻山案内人クラブで参加、喜多方のボランティアガイドさんの説明で喜多方街中散策を行いました・・蔵の街とラーメンで有名・・江戸時代、会津藩内の北部にあることから(北のほう・きたかた)と呼ばれていたことにちなんで付けられ、のちに”よろこびおおいほう”と『喜多方』となったと、なるほどと感心しました、蔵めぐりの中で昭和古民家案内があり、今でも残る防空壕がありました。

太平洋戦争中に民間個人が自家用に作ったもののようです、中は小さくて簡素な防空壕でしたが・・よく残していたものです

・日本の本土空襲が現実のものとなる1944年頃から学校の校庭、強制疎開先の空き地、個人の自宅床下や敷地内などに大量に作られるようになり、人々は空襲警報が鳴ると、身近なところに造られた防空壕に身を隠した。1940年に内務省計画局が発した通牒「防空壕構築指導要領」は、空き地や庭に堅固な防空壕を作るよう国民に指示した。ところが、防空報改正により退去禁止と消化義務が法定された後、1942年には内務省防空局が発した通牒「防空待避施設指導要領」は、床下に「簡易ニシテ構築容易ナルモノ」を設置するよう指示したというのだ。逃げるより消火優先というのね!国は・・冷たいね

ところで防空壕の世界の状況みるとスイス、イスラエルの人口あたりの核シェルター普及率は100%以上となっている
ノルウェーは98%
アメリカは82%
ロシアは78%
イギリス67%
シンガポール54%
日本は0.02%

世界各国では、核ミサイルの脅威への備えの重要性を認識し、いざという時の避難場所として、核シェルターの整備を政府主導で進めている。
日本は唯一の被爆国でありながら、かつ周囲の中国、ロシア、北朝鮮などの核保有国に囲まれているにもかかわらず、核シェルターの普及が全く進んでいない。緊張感のない日本と思わざるを得ないね

2025.12.10:li-no3:コメント(0):[気ままなつぶやき]