先月、置賜地域観光ボランティアガイド研修会に西吾妻山案内人クラブで参加、喜多方のボランティアガイドさんの説明で喜多方街中散策を行いました・・蔵の街とラーメンで有名・・江戸時代、会津藩内の北部にあることから(北のほう・きたかた)と呼ばれていたことにちなんで付けられ、のちに”よろこびおおいほう”と『喜多方』となったと、なるほどと感心しました、蔵めぐりの中で昭和古民家案内があり、今でも残る防空壕がありました。
太平洋戦争中に民間個人が自家用に作ったもののようです、中は小さくて簡素な防空壕でしたが・・よく残していたものです
・日本の本土空襲が現実のものとなる1944年頃から学校の校庭、強制疎開先の空き地、個人の自宅床下や敷地内などに大量に作られるようになり、人々は空襲警報が鳴ると、身近なところに造られた防空壕に身を隠した。1940年に内務省計画局が発した通牒「防空壕構築指導要領」は、空き地や庭に堅固な防空壕を作るよう国民に指示した。ところが、防空報改正により退去禁止と消化義務が法定された後、1942年には内務省防空局が発した通牒「防空待避施設指導要領」は、床下に「簡易ニシテ構築容易ナルモノ」を設置するよう指示したというのだ。逃げるより消火優先というのね!国は・・冷たいね
ところで防空壕の世界の状況みるとスイス、イスラエルの人口あたりの核シェルター普及率は100%以上となっている
ノルウェーは98%
アメリカは82%
ロシアは78%
イギリス67%
シンガポール54%
日本は0.02%
世界各国では、核ミサイルの脅威への備えの重要性を認識し、いざという時の避難場所として、核シェルターの整備を政府主導で進めている。
日本は唯一の被爆国でありながら、かつ周囲の中国、ロシア、北朝鮮などの核保有国に囲まれているにもかかわらず、核シェルターの普及が全く進んでいない。緊張感のない日本と思わざるを得ないね













