田植え舞(安久津八幡神社)

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5月3日(日)、幼馴染の弟が帰省してきており、一緒に高畠町の安久津八幡、亀岡文珠、長井市の獅子舞とまわってきた、安久津八幡神社で行われ た「春祭り」、巫女が本殿で倭舞を舞ったあと、舞楽殿で田植舞を奉納します、終わると餅撒きがあります、今回はなんと4個もゲット、場所が良かったですね、この”田植え舞”その年の豊作を祈る舞、田植え前の「予祝」として、田んぼでの作業を舞で先取りし、稲の成長と五穀豊穣を願う神事です。全国各地の御田植祭と同じく、田の神を迎え、稲作が無事に進むことを祈る古い農耕儀礼がもとになっているとされます。古くは、田の神への信仰と結びついた民間の田植行事があり、それが神社の祭礼に取り入れられ、儀礼的な舞として洗練されてきたと考えられています。氏子の小学生から中学生までの巫女8人で舞います・・晴れ姿を撮るためにじいちゃん、ばあちゃん、両親、姉妹盛んにシャッター切ってました・・かわいいですね、私も孫に逢いたくなりましたね

 

2026.05.06:li-no3:コメント(0):[歴史探訪]

伊佐沢神社獅子舞

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5月3日、幼馴染の弟が帰省してきており、安久津八幡、亀岡文珠とまわり、置賜ではいち早く行う伊佐沢神社の獅子舞見学にいった、伊佐沢は神社内で舞う”庭獅子山形県長井市一帯の黒獅子舞は、平安時代末期の前九年の役で勝利した源頼義が、總宮神社の社殿再建の際に兵士に獅子舞をさせたことが始まりと伝えられています。置賜地方の黒獅子の源流とされ、長井市内約四十社に伝わる黒獅子舞も、この系譜上にあると説明されています。伊佐沢神社の獅子舞も、長井市に広く分布する黒獅子舞の一つとして位置づけられているため、その直接の「始まり」を記した文献は見つかっていないが、總宮神社を起点とする黒獅子の伝播の中で生まれ、地域の五穀豊穣や厄払いを祈る芸能として根付いたと考えられます。伊佐沢という地域一帯は、桜で有名な「伊佐沢の久保ザクラ」や念仏踊りなど、古くから芸能や信仰が濃い地域です。伊佐沢神社の獅子舞は境内だけを舞う「庭獅子」です。この神社は上伊佐沢に祀られていた八幡神社と中伊佐沢に祀られていた、稲荷神社を大正8年に、中間地点である現在地に合祀し、「伊佐沢神社」となり、置賜地方で一番早く例祭が行われることでも知られています。

2026.05.05:li-no3:コメント(0):[歴史探訪]

寺泊港

  • 寺泊港
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混雑するゴールデンウイーク前に新潟にプチ旅行、久しぶりにに従妹の住んでる新潟市内の自宅前に集合して、新潟市内観光して泊りは寺泊に行く、天気も良く、日本海も静か、日本海の新鮮な魚介類が水揚げされる漁港。寺泊港、国道402号線沿いにある、港に隣接する「中央海水浴場」や「みなと公園」などでは、毎年夏に「寺泊港まつり」が開かれ、寺泊太鼓等の公演や、砂浜から海上へ向けて打ち上げられる海中海空花火等を楽しむことができるとのこと、港そばには釣具店もあり、小さな子どもでも楽しめる釣りのポイントとしても知られている。

2026.05.04:li-no3:コメント(0):[気ままなつぶやき]

良寛記念館

  • 良寛記念館
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混むのを避け、5月連休前に新潟市内から寺泊、出雲埼へとプチ旅行、出雲崎に生まれ、僧侶・書家・歌人でもあり「越後の英雄は上杉謙信と釋良寛」と云われた、その良寛をご紹介する美術館に寄りました、生誕の地”橘屋屋敷跡”から、山側に少し登ったところにある。良寛遺墨を中心に展示。良寛の縁者作品と良寛を敬慕する現代作家の作品も展示しています。美術館の上に少し登ると展望公園があり、街並みが良く見えました、この日はかすんで見えませんでしたが遠く佐渡島が見えるようです・・

2026.05.03:li-no3:コメント(0):[歴史探訪]

良寛生誕地の橘屋屋敷跡

  • 良寛生誕地の橘屋屋敷跡
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新潟県のほぼ中央、日本海に面した風光明媚な町:出雲埼、10㎞にわたる美しい海岸線は夕日の名所として知られているところ。江戸時代には徳川幕府の直轄地(天領)として、佐渡からの金銀荷揚地や北前船寄港地となり、北国街道の宿場町として栄えたまち、松尾芭蕉が立ち寄って句を詠んだ場所、そして名僧良寛の生誕地としても有名です・・その良寛生誕の地に寄ってきた。良寛は、詩人・歌人・書家としても知られる江戸時代後期の禅僧で、名主の家に生まれながらも争いごとを好まず出家し、地位も名誉も捨て、「子供の純真な心こそが誠の仏の心」と解釈し、子どもたちと遊ぶことを喜びとした良寛。生まれた橘屋屋敷跡(寛さんの生家跡)に建てられた小さなお堂がある。後ろは日本海と、その向こうに佐渡島がはるかに望めるとても美しい場所です。堂内には良寛が常に持ち歩いたという石地蔵をはめ込んだ多宝塔に「いにしえにかわらぬものはありそみとみかひにみゆるさどのしまなり」の良寛自筆の歌が刻まれている、良い感じの街並みも絵になりそうな場所でした。

2026.05.02:li-no3:コメント(0):[歴史探訪]