5月3日、幼馴染の弟が帰省してきており、安久津八幡、亀岡文珠とまわり、置賜ではいち早く行う伊佐沢神社の獅子舞見学にいった、伊佐沢は神社内で舞う”庭獅子山形県長井市一帯の黒獅子舞は、平安時代末期の前九年の役で勝利した源頼義が、總宮神社の社殿再建の際に兵士に獅子舞をさせたことが始まりと伝えられています。置賜地方の黒獅子の源流とされ、長井市内約四十社に伝わる黒獅子舞も、この系譜上にあると説明されています。伊佐沢神社の獅子舞も、長井市に広く分布する黒獅子舞の一つとして位置づけられているため、その直接の「始まり」を記した文献は見つかっていないが、總宮神社を起点とする黒獅子の伝播の中で生まれ、地域の五穀豊穣や厄払いを祈る芸能として根付いたと考えられます。伊佐沢という地域一帯は、桜で有名な「伊佐沢の久保ザクラ」や念仏踊りなど、古くから芸能や信仰が濃い地域です。伊佐沢神社の獅子舞は境内だけを舞う「庭獅子」です。この神社は上伊佐沢に祀られていた八幡神社と中伊佐沢に祀られていた、稲荷神社を大正8年に、中間地点である現在地に合祀し、「伊佐沢神社」となり、置賜地方で一番早く例祭が行われることでも知られています。
良寛生誕地の橘屋屋敷跡
新潟県のほぼ中央、日本海に面した風光明媚な町:出雲埼、10㎞にわたる美しい海岸線は夕日の名所として知られているところ。江戸時代には徳川幕府の直轄地(天領)として、佐渡からの金銀荷揚地や北前船寄港地となり、北国街道の宿場町として栄えたまち、松尾芭蕉が立ち寄って句を詠んだ場所、そして名僧良寛の生誕地としても有名です・・その良寛生誕の地に寄ってきた。良寛は、詩人・歌人・書家としても知られる江戸時代後期の禅僧で、名主の家に生まれながらも争いごとを好まず出家し、地位も名誉も捨て、「子供の純真な心こそが誠の仏の心」と解釈し、子どもたちと遊ぶことを喜びとした良寛。生まれた橘屋屋敷跡(寛さんの生家跡)に建てられた小さなお堂がある。後ろは日本海と、その向こうに佐渡島がはるかに望めるとても美しい場所です。堂内には良寛が常に持ち歩いたという石地蔵をはめ込んだ多宝塔に「いにしえにかわらぬものはありそみとみかひにみゆるさどのしまなり」の良寛自筆の歌が刻まれている、良い感じの街並みも絵になりそうな場所でした。
マリンピア日本海(新潟市)その2
ゴールデンウイークというに・・あいにくの天気です、広く雨や雷雨で、局地的に非常に激しく降るとの予報、低気圧や前線が通過した後も2日にかけて大気の状態が非常に不安定のようですね、3日も西から雨が降り、ゴールデンウィークは短い周期で天気が変わりそうです。リタイヤしてからは平日の空いてるときに旅行とか行くようになりまして、もっぱらゴールデンウイークは近場だけにしてます、しかもちょうど畑の耕耘時期なんでわが家庭菜園畑仕事専念したいのですが、天気悪いと困りますね。。
さて、混むのを避けて4月16日従妹の住む新潟へプチ旅行、市内に住んでる従妹からすぐのマリンピア日本海へ行きました・・この近くの海水浴場は小学生のころ、夏休みによく行ったところです・とても懐かしい場所・・幼稚園頃から、小学、中学生の昭和30年後半から40年全半の頃です、思えば昭和39年に発生した新潟地震、市内各地に甚大な被害を与えたその後、復興と、新潟港の開港100周年を記念して昭和42年夏に開催された「新潟大博覧会 (新潟博)」ここに小学5年になった私は初の一人旅で、羽前小松駅から米坂線経由で新潟市内のばあちゃんが住んでた古町にそして叔母の所へ行ったのです、この新潟博会場跡地に新潟市立水族館として開館したのが前身のようです、跡地はのち都市公園として整備され西海岸公園へ、隣接する西海岸公園市営プールなどと共に同公園の基幹施設として長らく親しまれましたが、施設の老朽化や狭小化によって、来館者のニーズに対応できなくなったとして昭和63年から改築事業が進められ、当時の水族館から約300m東に位置するかつてのレジャー施設「新潟ビーチセンター」跡地を建設地として施設を整備し、「マリンピア日本海」が付与されたとあります。日本海側有数の水族館というところ。イルカショーにアシカショー通年で毎日開催・とても満足できました、大人6枚つづりがありちょうど6人だったので一人当たり1250円とよくまあお安いことです、クラゲに淡水コーナーに磯の再現した場所もあり、飽きもなく、ショーにおさかな見物とおやすく楽しめました。
























