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ラッキーセブン

  • ラッキーセブン

一昨日の我がホームページ、ブログ既読カウンターが”777”とラッキーセブンでした。珍しいから記念に写真撮りました。

ラッキーセブンのいわれネット検索したら・・以下のことが書いてました。一週間を七日と定めたことからもいわれているように、旧約聖書から生まれた幸運の定義・・ 七日は神が天地を創した日数といわれ、七日目を安息日として 神をたたえる日と定めたことからも、聖なる数字として定着しました。 ヒポクラテスは人間の成長を七歳に区切りし、7歳までを幼児期、14歳までを児童期、21歳までを少年期、 28歳までを青年期、49歳までを成人期、 56歳までを中老年期、63歳までを老年期としています。 なので、「7」という数字は幸運な数字なのですね・・ラッキー7と呼ばれるようになったのは、野球で7回によく逆転することから そのように言われるようになりました。とあります、なんかいいことあるかなと期待しましたが?

2024.03.14:li-no2:コメント(0):[気ままなつぶやき]

ARTS MEET OKITAMA 2024”愛し故郷・豊穣の秋”

  • ARTS MEET OKITAMA 2024”愛し故郷・豊穣の秋”

昭和30年半ばまで、農作業は人力と牛馬を使った作業でした・・・昭和32年生まれの私はギリ、そんな風景を覚えてます・・ 田植えは朝早くから一家総出、不足は人を雇っての手植え作業、秋の稲刈り時も同様で、人力による刈り取り、刈り取った稲束をここ米沢、川西あたりは杭にかけ、 1 週間ほど乾燥する作業、その後脱穀作業と続いた。機械化が普及するまでは、子どもたちも重要な労働力で、農繁期は、小・中学校では田植え休み・稲刈り休みを設けていたとあります、子どもたちも作業の手伝いや子守り等をしていました、生まれ育った川西町の上小松殿原、すぐ近くに小松木材があり馬車小屋ありましたね・・近所の家でも、牛や馬を見ること出来ました、30年代後半から急激に機械化が進みましたね・・田んぼの区画整理や川もコンクリートブロックへと急激に変化していきました・・懐かしい思い出の、田園風景、今年の出品作です、来週月曜日3月18日までです。

2024.03.13:li-no2:コメント(0):[気ままなつぶやき]

ARTS MEET OKITAMA 2024”段雷だんらい”

  • ARTS MEET OKITAMA 2024”段雷だんらい”

米沢市内”なせBA”市民ギャラリーで開催の”ARTS MEET OKITAMA 2024”は18日までで、この10日の日曜日に観てきました。・・・・いいなーと思ったのが、一枚板から彫っている女性の後ろ姿ですが、タイトルが”段雷”だんらい・・・とある・・タイトルがふさわしいかは私にはわかりませんが、作品は芸術やなーと思いました。ところで段雷とは・・音だけの花火でドンッと単発で鳴るものが「号砲」と呼ばれ、ドンッ、ドンッと間隔を開けて連発で鳴るものを「段雷」という。段雷は、3発なら「三段雷」、5発なら「五段雷」となる。

2024.03.13:li-no2:コメント(0):[気ままなつぶやき]

パートタイマー・秋子

  • パートタイマー・秋子

昨日川西町フレンドリープラザで『パートタイマー・秋子』を観てきました・・作・演出 永井愛で出演が 沢口靖子、生瀬勝久、亀田佳明他、土井ケイト、 吉田ウーロン太、 関谷美香子、稲村梓、 小川ゲン、 田中亨、 石森美咲、水野あや、 石井愃一という顔ぶれ、スーパー「フレッシュかねだ」でパートを始めた、セレブな主婦・秋子。世間知らずで他のスタッフから浮いてしまう秋子、主人が失業し、しょうがなくパートを始めている、そこには大手企業をリストラされ、屈辱に耐えながら働く貫井がいてという設定で始まる……2003年作ということです・・当時リストラの嵐や食品の偽装とか不正が横行していた頃、時代背景が見えますね・・あれから21年だそう・・当時東芝からNECと東芝の合併会社に移動した頃でした・・不安と期待の新職場、そういえば生瀬さんに似た感じの上司がいたっけね、懐かしく思い出しました。
話はさえない店長派と、ぐーたらバイトの反店長派の対立・・そこに、世間知らずの奥様役、沢口靖子さんが良くはまってましたね。世の中の悲喜こもごもが渦巻いている・・あるある話のようでねーー、正義を貫いてスーパーが盛り上がると思いきや、不正に染まっていくという、ちょっと残念なとこがある、店長役の役者さんは、お母さんが天童出身という‥凄く、はまり役ででしたね・・とても面白かった、生瀬勝久の「焼肉ヨーデル」のスイス風の節回や皆さんでの歌、傑作でした・・ここは盛り上がりました、ごくせんのドラマでの生瀬さんの教頭役が好きでした、ほんとに喜劇度は非常に高い生瀬さん、沢口さんもキレイ、カワイかった~

2024.03.11:li-no2:コメント(0):[気ままなつぶやき]

姉の背

  • 姉の背

出生率が毎年減少していて、今後日本はどうなっていくのと心配になりますねーー、この出生率は「人口1,000人に対する1年間の出生数の割合」を示す数値です、日本においては、毎年10月1日時点の人口をもとに計算されるとあります。

この普通出生率よりも注目される機会が多いのは、「合計特殊出生率」で、「15~49歳の女性人口」をもとに計算されるもの・・・導き出された数値は「1人の女性が生涯を通じて産む子どもの数」となる。私の親世代は昭和戦前生まれ、どこの家庭も子だくさんで5人6人は当たり前の時代、私の母は8人兄弟で、うち2人は生まれて間もなくなく亡くなったということです。7歳までは神の子、医療が行き届かない時代で弱い子はなくなるという時代でした、7歳を過ぎるとようやく落ち着いて、もう大丈夫・・神の子から人になるとして・・7,5,3歳の節目にお祝い事ありました。

そんな、子だくさん故、親は仕事で忙しく、赤ん坊はイチコに入れて動けなくし、目の届く範囲で田んぼの隅に、唐傘射して置いておく・・母の下の子は双子でしたので一人はイチコで動けなくして、一人は姉がおぶって子守していたそうです・・私の母はそんな姉の姿みて、早くおんぶしたいと言ってましたが、まだ小さく・・出来なかったのが残念だったそうです・・お風呂も遊びも姉がしてくれて、まるでお母さんという感覚だったそうです・・・・母は姉が嫁に行くときに、大泣きして・・行かないでと母に頼んだそうです・・昔おばあちゃんに聞いたことがあります・・この世代の子は、兄や姉の背で育っていくのが当たり前、その分兄弟の結びつきはいまよりずっと強かったものでしょうね・・昨日から”なせBA”でART MEET OKITAMAが開催されてます、そこに出した昭和30年代前半までの田園風景一部です

2024.03.09:li-no2:コメント(0):[気ままなつぶやき]